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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子は大人になって以降、何故よく転ぶか??

2024年06月22日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、今からほぼ10年前の 2014.04.14 に自宅バルコニーにて洗濯もの取入中に激しく転び、右手首及び左鎖骨の二か所を骨折した後の右手首の写真。)


 誰しも、子供の頃にはよく転んだことだろう。
 そしてそれが重傷になったことはまれで、おそらくすぐに立ち上がっては遊びの続きを楽しんだはずだ。

 この原左都子の場合、親のポリシーがかなり歪んでいた(と言うより父親に重度の鼻炎があり、家の中で暴れると埃が舞って父の鼻炎が激しくなるとの理由で、室内で走ったり運動をすることを厳しく禁止されていた。)
 その鼻炎を引き継いでいる私だが、我が娘には決して室内で暴れるな!なる歪んだ指導は一切していないにもかかわらず、とにかく静かな娘は室内で暴れることは無かった。


 さて、一昨日大規模公園内をランニング中に転び、特に右膝にけがをした話題に移そう。

 転倒後2日が経過した今現在、やはり一番の大怪我箇所である右膝がえぐれ傷からの出血が続いている。(それを堰き止める措置は自分で随時施していて、実際はさほどの出血量ではない。)

 今回は身体の右側中心に倒れ込んだ様子なのだが。
 右腕上腕にも痛みが残っていて、上腕を上下するのに難義さもある。

 ただそう考えてみるに今回の転倒による怪我はその程度であって、おそらく日にち薬で日々よくなることであろう。

 要するに、やはり怪我も「骨折」すらしていなければ まさに“日にち薬”と言えよう。



 表題に戻そう。

 この原左都子が大人になって以降に、何度も転ぶ羽目になった最大の理由は、「大雪」時に限定されそうだ。

 南国郷里にも、大雪が降る事が稀にあった。
 
 例えば中学生時代に、私は自転車通学だったのだが。 
 ある日 無情にも朝から大雪に見舞われ、5㎝程の積雪があっただろうか。
 こんな日に、自転車で学校へ行かねばならないの!?!
 朝から恐怖感に苛まれつつ恐る恐るペダルを漕いでいると。 案の定家の近くの曲がり角で激しく転倒した!!
 寒いし痛いし最悪感に襲われつつ、それでも学校へ行かねばならない。😫 
 あの時の最悪の情景は、今尚脳裏にこびりついているが。 幸い、何らの怪我も無く学校へたどり着いた。
 後にも先にも自転車通学中の大雪は、あの日だけだった。


 上京後は、何度も大雪に見舞われた。
 大都会の場合、駅前等は既に人通りが多く雪がかき消されていて助かるのだが。
 我が通勤に当たり、駅で降りてバスに乗るルートがあったのだが、そのルートが(南国出身の私に言わせてもらうと)物凄い積雪だ!!
 同僚の皆さんは、「こんな日に何でヒール靴を履いて来るんだ!!」と私を説諭するのだが。 南国育ちの私にとっては雪の備えの経験が皆無なのだ!
 それでも2度転倒した暁に、私も不本意ながら雪用ブーツを買いましたよ!!
 それにしてもやはり私も若かったのか。 雪道で激しく転んでも、特段の怪我はしなかったものだ。



 なのに何故……  

 高齢域に入ると、転ぶと大怪我になりかねないことを何度も学習させられる身だ。
 もう分かってるよ!! と言いたいのに、どうしてこの私だけが予期せぬ時にこれ程転ばねばならないのか!?!?
 (脚長で元々重心が身体の上部にあること、かつ側弯症で現在は左に身体が傾いているとの、おそらく生まれ持った体型のバランスが悪いとも推測しているが…)


 今尚痛む右膝と右上腕を抱えつつ、これ程に道路上で転ぶ人生を歩まざるを得ない我が身を、心底恨みたい気分だ… 😫 😭 


「学歴詐称」って経歴詐称の中で一番みっともない感覚がある!!

2024年06月05日 | その他オピニオン
 冒頭より、水原一平氏(大リーガー・大谷翔平氏の元通訳担当者)の学歴詐称問題に関するネット情報を引用しよう。



 水原一平被告やはり学歴詐称か…大卒名乗っていたが「少しだけ通った」…
 2024年06月05日 12時11分スポーツ報知


 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平投手(29)の元通訳で、大谷の銀行口座から約1700万ドル(約26億3000万円)を盗んだとする銀行詐欺と虚偽の納税申告書を政府に提出した罪で起訴された水原一平被告(39)が4日、米カリフォルニア州サンタアナの連邦裁判所に出廷し、有罪を認めた。
 ホルコム連邦判事から問いかけられた質問に水原被告やフリードマン弁護士、検察側がそれぞれ回答する形で答弁が進行した中で、同被告の学歴詐称疑惑が浮上した。
 同被告はカリフォルニア州のダイヤモンドバー高出身で、カリフォルニア大リバーサイド校卒と名乗っていた。だが事件発覚後、米メディアが同大に問い合わせたところ、在籍していたことを確認できなかった。
 開廷後、まず裁判官が被告に名前と年齢を聞いた。その後、就学年数を聞かれて水原被告が「13年」と答えたため、裁判官は「高校までですか?」と聞いた。それを受け、これまでの裁判ではイエスかノーしか回答していなかった被告が「大学(カレッジ)にも少しだけ通いました」と付け加えた。
 カレッジに「少し」通って、就学年数が「13年」と奇数。相当な飛び級でない限り、名門大卒の経歴には大きな疑問符がつく。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 この水原一平氏の場合、大谷翔平氏に関する銀行口座から約1700万ドル(約26億3000万円)を盗んだとする銀行詐欺と虚偽の納税申告書を政府に提出した罪、が暴かれた時点から。

 私め原左都子は、水原氏の学歴が胡散臭いと感じていた。😨 
 
 と言うのも、この私も過去に米国西海岸の「カリフォルニア大学バークレー本校」への短期留学経験がある故だ。
 その際に感じたのは、歴史ある当該カリフォルニア大学には世界各地から各種の留学生を受け入れる体制が、私が短期留学した時代の50年前程から整っていたものだ。
 今となっては、それを目指せばいくらでもかの大学にて短期から長期の留学の選択が可能であることだろう。


 この原左都子がそれを目指したのは、まさに今から50年程前の事だった。
 特に当時としては日本国内でも、たとえ短期留学と言えども大変珍しい事象であるに加えて。
 私の場合、未だ19歳! しかも、日本過疎地からの単身にての米国留学経験だったものだ。

 いえいえ結論を述べるならば。
 そのカリフォルニア大学バークレー本校の短期留学は 若気の至りの私にとって、おそらくその後の人生にまで影響を及ぼすがごとく貴重な体験となったことには間違いない!!



 それに引き換え。

 水原氏が現在に及んで、「米国留学」なる学歴詐称を持ち出すにあたり。 
 今となっては誰でも実行可能な、たかが「米国短期留学」を一つの盾としていたなど、あまりにもお粗末過ぎるとしか言いようが無い。


 事は深刻かもしれないが。

 とにもかくにも、移籍先のドジャースにて相も変わらぬ大活躍を日々続行している大谷翔平氏の姿を見るにつけ。

 今後は 新たな通訳者の下に、更なる御活躍に期待します!!
 

2012.12 ブエノスアイレス旅行にて、冒頭漫画と全く同じ間違いをしでかした!!

2024年04月18日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.04.14付朝日新聞・いちいひさいち氏著 漫画「ののちゃん」より転載したもの。)


 いやはや、建物の正面玄関のみならず裏玄関までもが立派な建物の場合、この失敗をやらかし易いのではなかろうか?!?



 時は 2012.12月、アルゼンチン・首都ブエノスアイレスにての出来事だ。

 このブエノスアイレス旅行は、知人美術家H氏の国際美術賞受賞の表彰式に同行させて頂く目的ではるばる地球の南半球まで訪れた。


 本題のエッセイ記載の前に、その時に撮影した写真の一部を以下に列挙させていただこう。

         
 世界的にも著名なブエノスアイレスの「カフェ・トルトーニ」にて。

         
 宿泊ホテルのクリスマスツリーの飾りつけ前にて。

         
 ブエノスアイレス街頭の郵便ポスト前にて。 昔の日本のポストにそっくりでした!


 
 さてそれでは、話題をブエノスアイレスにてのトラブルに移そう。

 H氏の美術賞受賞の前に、世界3大オペラ劇場と称されるブエノスアイレスの劇場見学へH氏の知人・モニカさん(後に日本にて美術個展を何度か開催され、この私もそれを鑑賞しに伺い 本エッセイ集バックナンバーにて美術展のモニカさん美術個展の様子を公開させていただいている。)の案内にて訪れる約束をしていた。

 その授賞式に先立って、H氏とH氏の美術関係お知り合いのブエノスアイレスを案内していただく目的で、ブエノスアイレスのオペラ劇場(だったと記憶している)の見学に出かけた時の事だ。



 そのオペラ劇場には H氏と私の二人で無事に到着し、劇場玄関先でモニカさんを待ったのだが。
 約束時間を超えていくら過ぎても、モニカさんがやって来ない。
 「これはおかしい!!」と2人で気付いた時には既に到着から1時間程が経過していただろうか??
 「もしかしたら、ここは“裏玄関”なのでは!!」と私が気付き、H氏にはその“裏玄関”にて待機してもらって、私が表玄関までモニカさんを探しに行った!

 そうしたところ、はやりモニカさんがその真正「正面玄関」にて首を長くして我々を待って下さっているではないか!!
 私もモニカさんも「英語会話」がさほど得意では無かった(その後美術家として世界を駆け巡っているモニカさんの英語力は急激にご上達されている!)のだが、育った国が異なれど人格が似て何となく相性が良かった2人の会話は不思議と通じた。
 (参考だが、その後日本にての美術個展で来日されたモニカさんの会場までの道案内を、私が引き受けたりもした。)

 とにかく、モニカさんがオペラ劇場の正面玄関で気長に我々を待って下さっていたお陰で、三者の合流が叶ったものだった! 



 あっそうそう。
 
 その時には、私は携帯電話をアルゼンチン旅行に持参していなかったのだが。 
 冒頭の「ののちゃん」漫画では、携帯電話で家族と連絡を取り合っている様子だ。

 確かに大規模建物(デパートやオペラ劇場等々)の「正面玄関」と「裏玄関」とは、国内外を問わず区別がつきにくいのではあるまいか?!?? 


再掲載「ディズニーリゾートに見る若者の“似非”同調思考」と、現在の我が思い…

2024年04月17日 | その他オピニオン
 冒頭から、「原左都子エッセイ集」2011.02.03 公開の上記バックナンバーを、以下に引用しよう。



 昨日(2011.02.03)、私は“千葉県”にある 東京ディズニーシー を訪れた。
 いい年をした大人がこんな寒い時期に、一体全体何が目的で“子供が喜ぶ”リゾート施設なんぞへ行ったのだろうかと不思議に思われる読者の方も多いことであろう。
 一昨日の2月1日から東京都内の私立中学の受験が一斉に実施されている。 その煽りで、毎年この時期は我が娘が通う私立中高も全校2連休とならざるを得ないのだ。
 我が娘は決して“ディズニー分野”に興味がある部類ではないのだが “ものは試し” ということで、一度ディズニーリゾートをこの空いている時期に視察しておこうかと言う話になったのである。

 参考のため、ここで原左都子の 東京ディズニー歴 を少し振り返ってみることにしよう。
 東京ディズニーランドが“千葉県”にオープンしたのは1983年の事である。 
 オープン当初は、特に首都圏近辺の国民の間ではまるで歴史的出来事かのような大騒ぎだったものだ。
 当時まだ独身だった私も(彼氏を取っかえひっかえしつつ)、カップルで何度かディズニーランドを訪れている。 その頃の印象では顧客層は千差万別であり、特に顧客の年齢層やグループ構成に偏りはなかったような記憶がある。 そしてまだまだ若かりし原左都子は、テーマアトラクションにもよるがそれなりに感激し楽しめたものである。

 その後私が東京ディズニーランドを訪れるのは、我が子を産んだ1990年代半ば頃からの事となる。 その後娘が小学校高学年頃まで親として現地に何度か同行したものだ。 この時代は母である私はあくまで引率者の立場であり、自分が楽しむと言うよりも我が子が好みのアトラクションやショップに付き合ったという感覚である。
 この頃からディズニーリゾートでは、アジア系の観光客が急増しつつあったであろうか?

 そして昨日、何年ぶりかに“ディズニーシー”へは 初めて 母娘で訪れたといういきさつである。
  その日は東京都内の私立中学受験の煽りか、“ディズニーシー”の顧客層に明らかに偏りがあったと考察できる。
 それが顕著化するのが各アトラクションの待ち時間なのだが、あの“順番待ち”の列の場とは原左都子にとっては得意の「人間観察」のまたとはないチャンスだ。 ところが昨日の場合、周囲の顧客層が上記のごとく(おそらく)私立中高生徒グループばかりなのだ。 「観察」などせずとて“かしましい”年頃の言動が狭い列の間で煩いばかり…。

 皆が皆、ディズニーキャラのカチューシャやリボン、帽子を頭に被り、手にはその種のぬいぐるみ等を抱いている。 これが女の子の場合はまだしも許される思いの原左都子だが、男子までもが(皆さん、中高生の年齢の男子ですよ!)同じようにディズニーキャラの帽子を被ったりしてはしゃいでいるのだ…  
 (これぞ、男子草食化のはしりか!) などと嘆いている場合ではない。

 さらに、この若年層グループがくっちゃべる会話のその内容とは呆れるばかりにアホらしくて聞いてられないのだ。  何と表現すればいいのだろう、要するに世間の主婦連中の井戸端会議の範疇を抜け出ていないのである。 もちろん、ここはリゾートの場である。こんな所で自分達が抱えている現実課題について語る訳もないであろうし、「今皆で楽しんでいるんだ!」という“場を読む”感覚は重要であろう。
 ただ、原左都子は聞き逃していない。 一見してこの中高生グループは皆仲が良さそうに見えるのだが、会話の中に「えーと? ○○さんは何処に住んでいるんだっけ?」等の会話も交錯する。 と言う事は、おそらくこれら若年者グループは“にわか仕立て”のグループであるとも推測できよう。(あるいは、この若年層が個人情報に配慮しているのか??)
 そうだとすると、この若年層グループがこの場で会話の内容にある程度以上踏み込めない事も理解できるというものだ。 (ただし、順番待ちの狭い列という場をわきまえず集合写真を撮ったり大声ではしゃいで列を乱している様子も合わせて考察すると、彼らが決して周囲の顧客に配慮して会話内容を深くまで踏み込まないよう調整しているのではなく、ただ単にグループが“にわか仕立て”であるが故なのであろう。)

 加えて興味深いのは、そんな若年層がリゾートの係員の指示には従順だと言う事だ。
 例えばあるアトラクションで集団で船に乗った時、係員が「はい、皆さん、チャオと言いましょう!」と声高々に指示すれば、若年層の皆がそれに従う…。 (いえいえ、もちろん客観力のある原左都子も“場を乱さない”ために一緒にそう叫びましたよ!) そして、やたらと「楽しいね!」「面白いね!」を皆が連発してノリノリであることを集団内で合意し合っているようにも見受けられた…
 だた、これに関しても私は表題に掲げた通り若者のその言動が「“似非”同調志向」の範疇を出ていないと考察して後味が悪い。 年齢を重ねた私がリゾートの地で客観力を持って周囲に同調する分には何ら不思議はないのだが、もしもうら若き中高生が自分の居場所を失わないために、ここはリゾート地だと割り切って演技で同調しているのだとすれば、それは若者のストレスを倍増させるのみだ…

 (途中、大幅略)   
 
 この長引く不況の時代にもかかわらず「東京ディズニーリゾート」は不況知らずの盛況ぶりだ。
 既に年老いている原左都子にとっては、昨日訪ねた“ディズニーシー”は子供達が同調し合うほど楽しくも面白くもなく、それ程の魅力を感じるコストパフォーマンスを見出せなかったと言うのが、残念ではあるが今回の率直な感想である。

 それでも今に至って尚活況を続ける「東京ディズニーリゾート」が、将来に夢を抱く子供達に何らかの影響力を及ぼす場であるとするならば、その“社会的責任”を背負うリゾート団体としての使命を重々自覚しつつ今後発展して欲しい思いでもある。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2011年バックナンバーより一部を引用したもの。)



 話を、2024年の現代に移そう。

 当の昔に我が一人娘は自立して、我が家から出て行ったし。

 いまに至っては、「東京ディズニーランド」」とは何らの縁も無い人生に至っている私だが。
 
 それでも、「東京ディズニーランド」とは今尚営業を続行していると把握している。


 もしも私に孫がいたとして、その孫が「ディズニーランドに連れてって!!」などと嘆願したならば。
 おそらく、我が老夫婦もそれに喜んで従う事であろう!!?

 残念ながら、未だ(おそらく今後も)孫には恵まれないであろう事実を実感してそれを既に受け入れている立場にして。

 今となっては、「ディズニーランド」との夢?の世界は。
 我々夫婦や、(おそらく我が一人娘にとっては)。

 遠い過去に夢をもたらせたくれた、今となっては過ぎ去さりし「遠い夢の世界」となり果てた存在と結論づけられそうに思う…


2024 あけましておめでとうございます

2024年01月01日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.01.01 朝7時に原左都子が集合住宅上階の我が家バルコニーより撮影した “2024初日の出”。)



 皆様、2024 新年あけましておめでとうございます。

 今年も何卒よろしくお願い申し上げます。



 元旦 今朝のテレビ番組内で富士山の初日の出を放映していたようだが。

 なんのなんの、大都会東京の高層ビル群の隙間から覗く初日の出も十分に風情があるのではなかろうか。


 参考のため、こちらの写真は新宿副都心のビル群を初日の出と同時に撮影したものです。

         

 新宿副都心から直線距離で約4~5kmのこの地に引っ越してきて、既に22年程の年月が流れている。
 新宿副都心のビル群は、この22年の年月の経過と共に急速な勢いで数を増しているのだが。
 引っ越し当初に比して、おそらく数倍の超高速ビルが立ち並んだ感覚がある。
 今や、新宿を中心に東は池袋や上野・浅草方面、西は中野・高円寺方面まで超高層ビル群がズラリと並んでいる光景だ。


 本日の元旦は晴天ではあるものの、東京では冷たい北風が吹いているようだが。
 
 午後になって北風が収まったならば、初ランニングに出かける予定です。