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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2024 あけましておめでとうございます

2024年01月01日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.01.01 朝7時に原左都子が集合住宅上階の我が家バルコニーより撮影した “2024初日の出”。)



 皆様、2024 新年あけましておめでとうございます。

 今年も何卒よろしくお願い申し上げます。



 元旦 今朝のテレビ番組内で富士山の初日の出を放映していたようだが。

 なんのなんの、大都会東京の高層ビル群の隙間から覗く初日の出も十分に風情があるのではなかろうか。


 参考のため、こちらの写真は新宿副都心のビル群を初日の出と同時に撮影したものです。

         

 新宿副都心から直線距離で約4~5kmのこの地に引っ越してきて、既に22年程の年月が流れている。
 新宿副都心のビル群は、この22年の年月の経過と共に急速な勢いで数を増しているのだが。
 引っ越し当初に比して、おそらく数倍の超高速ビルが立ち並んだ感覚がある。
 今や、新宿を中心に東は池袋や上野・浅草方面、西は中野・高円寺方面まで超高層ビル群がズラリと並んでいる光景だ。


 本日の元旦は晴天ではあるものの、東京では冷たい北風が吹いているようだが。
 
 午後になって北風が収まったならば、初ランニングに出かける予定です。 


郷里の実母へプレゼントとして送った「財布」が自宅郵便受けに返却されるトラブル発生

2023年12月27日 | その他オピニオン
 一昨日の12月25日月曜日夕刻の事だ。


 外出から我が家へ帰宅した私は、いつものように真っ先に集合玄関の集合郵便受けを開け、配達された郵便物や新聞夕刊を取り出そうとした。

 そうしたところ、何故か私が12月22日金曜日に近くの郵便局から郷里実母へのクリスマスプレゼントとして送った「財布を入れた封書」が返却されていた。
 こういう場合、いつもは郵便局から「返却の理由」が書かれたシールが貼られているのに、今回は何も貼られておらず。 私が近くの郵便局から送った封書が輸送中に傷んだ形でそのまま返却されていた。

 私が自分で切手を貼って郵便ポストに投入したのではなく。
 郵便局にて郵便局員が我が郵便物の重さやサイズ等々を判断して、その配達料が決定したため、代金不足であるとは考えられない。 何か他の理由があって返却されたのであろう。

 返却の理由が分からないのに苛つかされたが、とにかく返却されてしまっては仕方がない。
 
 とにかく翌日(昨日火曜日)の午後に、その実母へのプレゼントの財布を入れた封書をそれを持ち込んだ近くの郵便局に持参した。


 そうしたところ、やはり対応して下さった郵便局員が私に問うには。「何か返却の理由を書いたものを貼って無かったですか?」  当然「No!!」返答の私だが。
 局員氏も首を傾げつつ、とりあえず上司に相談に行ったようだ。
 その上司と2人で私の処へ戻って来て言うには。 「申し訳ないのですが返却理由が不明のため、今一度このままお預かりします。」
 私が返して、「これクリスマスプレゼントなのですが、私としてはクリスマスまでに届けて欲しかったのが正直なところです。」
 更に局員氏が平謝りしつつ、「宛先が徳島県ですね? 最短で27日の金曜日には届けますので、今回は大変申し訳ないですが今一度お預かり致します。 今回の返却理由に関しては、こちらから練馬本局へ再確認しておきます。」

 
 この実母への「財布のプレゼント」に関して、その背景を説明しておこう。
 11月に郷里へ行った際に、実母に会った話題はバックナンバーにて記載している。
 娘の私にとっては決して決して実母との“楽しい再会”ではなく、種々の事情で後味の悪い再会だったことに関してもバックナンバーにて記載済みだ。

 そんな二者関係だったが、タクシー道中実母がいうには「今欲しい財布が無くて困っている。 〇子(私の事)が持っているその財布を譲ってくれると嬉しい。」 
 私応えて、「こんなボロ財布でよければ、あげるよ。」
 ところが実母も、その後のらりくらりと話題を変えつつ何だかんだと私相手に実にくだらない訴えばかりをしてきて、すっかり財布の事は忘却したようだ。
 私の方もタクシーの中でそんな義母の悪態責めに反吐が出そうなほど嫌気がさしつつ、すっかり財布の事を忘却してしまった。

 それを思い出したのは、最近の事だった。
 そうだ、実母が財布が欲しいと言ってた! クリスマスも近いし、新しい財布を買って郷里の実母へ送ってやろう!


 そうして、送ったのがその財布だったとの訳だが。

 母子関係があまりうまく行っていない(と言うよりも、正確に言えば私側が現在の実母を毛嫌いしているだけの話だが)娘と母のプレゼントのやり取りとは、難儀することを実感させられる…

 
 そんなこんなで、とにかく再度実母宛に財布プレゼントを贈ることを、郵便局で実行してきた訳だが。

 その後、我が脳裏に浮かんだ事実がある。
 そう言えば、私が実母宛に送った封書の裏側の“キーボード打ちで糊で貼り付けた送信者である私の住所氏名の紙が、一部取れかかっていたことを思い起した。
 私側としては、表面の実母住所すら判明できたならば 裏の送り主の住所氏名など二の次でよさそうに思うのだが。
 もしかしたら、練馬本局が「これじゃあ送り主名が分かりにくいから、一度返却してきちんと貼り直してもらうべき」と判断して下さったとすれば。

 その練馬本局の“心配り”に感謝するべきかもしれない、と現在は考え直している。


 とにもかくにも、私が郷里の実母へ再度送ったクリスマスプレゼント到着は29日金曜日となるらしい。

 次女の私に対してはいつも悪態ばかりついている(私には甘えられるとの証拠だろうが)実母が、年末に受け取るであろう「クリスマスプレゼント」にどのように反応してくるのか?!?

 それにより、我が新年をどのように迎えられるかが左右するのかもしれない… 😖 😱 


「左鎖骨と右手首の同時骨折」と「左膝複雑骨折」、どっちが辛い??

2023年12月02日 | その他オピニオン
 本日午前中に見た「原左都子エッセイ集」編集画面内に、2014.07.09公開の「白いご飯にのっけるお菜もふたが開かねば食せない」と題するバックナンバーが、上位にランクインしていた。



 早速、以下にその一部を要約引用させていただこう。

 7月5日朝日新聞別刷「be」“RANKING”のテーマは、「白いご飯にのっけたいもの」だった。
 そのランキング結果を以下に紹介しよう。
  1位  生卵        2位  辛子めんたいこ     3位  のり(乾燥のり)
  4位  納豆        5位  ふりかけ        6位  梅干し
  7位  のりのつくだ煮   8位  たらこ         9位  ちりめんさんしょう
 10位  とろろ      11位  さけフレーク     12位  しらす
   (以下略)

 何処のご家庭にも白いご飯のお伴である常備菜として、冷蔵庫内や食品棚等に保存されているであろう食材の数々が、ズラリとランクインしている。

 このコラム記事を見た私の脳裏に真っ先に蘇ったのが、4月中旬の骨折直後の“悲惨な状況”である。 
 自宅ベランダで転び負傷し、左鎖骨鎖骨骨折(全治2ヶ月)右手首骨折(全治1ヶ月)の診断が下ったのは今から遡ることおよそ3か月前の4月半ばの事である。
 医師の指示として「絶対安静」と宣言されたところで、一応一家の主婦(この言葉は嫌いだが)の立場にして安静になどしていられるはずもない。 料理嫌いな私とて最低限可愛い娘の朝食準備ぐらいは母である私の責務との使命感は強い。  骨折中にも激痛に耐えつつ、娘が起床するまでに何とかテーブルの上に形のみの朝食を繕い続けた。 (参考のため、定年退職後の亭主に関しては起床時間が一定していないため、自主朝食制度を採用している。)
 日々の私自身の朝食行動に関して記すと、まず一家の先陣を切って朝起きる。 そして大学へ通っている娘の朝ご飯の準備をするのと並行して、私自身は“ビュッフェ形式”で台所で朝食を採る。
 上記“ビュッフェ形式”について説明するならば、要するに娘に出す朝食の残り物や白いご飯のお菜を頼り、娘が起きてくる前に台所に立ったままでそそくさと朝食を済ませるとの事だ。
 ところが骨折直後は、いつもなら白いご飯のお菜として食している常備菜数々の蓋が“開かない!”
 (それ以前の問題として、布団から起き上がる動作も命がけなら、トイレに入っても紙を手に巻き取れないし、パンツもまともに上げられない。  死に物狂いでそれをこなして台所に立ったとて、食器棚や冷蔵庫を開ける動作もままならない。)
 それでも我が命を持たせるためには、とにかく「食わねば!」と決死の覚悟で摂食行動に挑んだものだ。
 両腕骨折被害に遭う事とは、食事との何でもない動作すら難儀な事態に陥るものと一番に思い知らされたのが、我が起床間際の“ビュッフェ”朝食時の無念さだった。 
 例えば朝日新聞調査1位に君臨した「生卵」。  両腕骨折状態で左手は当初腰までしか上がらず右腕は箸を持つのがやっと状態で、卵を割る動作すら叶わず断念した。
 3位に位置付けている「のり」。  やはり特に右手首の細かい作業が不能なため、これを包んでいる袋の封も切れない。
 私が一番好んでいる6位の「梅干し」。 郷里の母が毎年漬けて送ってくれてはいるが、そのタッパーを開けるには程遠く断念…。
 7位の「のりのつくだ煮」に関しても、市販品のビンの蓋が開けられない始末…。
 ずっと飛ばして、11位の「さけフレーク」も上記と同様の利用で蓋が開けられない…。
 そうだとしても、早朝に未だ睡眠中の家族を起こすとの迷惑など掛けたくはない。 何とか白いご飯のお菜となる食材はないものかと台所内を探索し、私はそれを冷蔵庫内に発見したのだ!

 それは “マヨネーズ” だった!
 現在市販されているマヨネーズとは蓋が二段構造になっていて、上の蓋をプチッと片手で開けると少量のマヨネースが出る仕組みとなっている。 これを骨折した右腕で持ち上げ、前日の晩娘が焚いて冷蔵庫で保存してくれている御茶碗一杯のご飯をレンジでチンして、マヨネーズをかけて食する決断をした。
 何だか泣く泣く苦し紛れの決断だったとはいえ、この判断で骨折直後の我が朝食が叶った事実こそを、「マヨネーズ様様」と感謝申し上げたい思いだった。 (中略)
 その間、我が家族に「できたら常備菜の蓋を軽く閉めて欲しい」との要求は提示した。

 ところが、自分自身が“不自由な身”になってみないとその辛さが理解できないのであろう事態に直ぐに直面させられる…
 次の日起きてみても、やはり常備菜の蓋は固く閉めらているではないか!
 「私が昨日言ったことを覚えいる?」 と日々尋ねてみれば、若き娘からは「覚えているよ!」との返答が来るものの、亭主からはくる日も来る日も「あっ、忘れていた…。ごめん。」との返答に、体が健全な人には身体的弱者の苦悩など一生理解し得ないものと改めて悟る始末だ…
 そして白いご飯をレンジでチンしたものにマヨネーズと醤油をかける私の「犬食い」朝飯は、その後もしばらく続くはめとなった…。
 お陰様で私の骨折後の予後は比較的良好で、現在では右手首関節に多少の後遺症を残すのみとなっている。
 昨日整形外科医を受診したところ、右手首の後遺症も(私のリハビリ努力によれば)日々快方に向かうであろうとの担当医の診察結果だ。

 それにしても日本人にとっての朝食に於いて、白いご飯にお菜をのせる事は欠かせない習慣であろう。
 ある日そのお菜の蓋が開けられない日が訪れる事態とは、大袈裟に表現するならば、安倍政権による「集団的自衛権」が与党内で身勝手に合意され発令されようとしている事と同等の危機感が漂う程の恐怖心を国民に及ぼす惨劇ではあるまいか!?
 今現在国民からの支持率を大幅に下げようとしている安倍政権も、今一度頭を柔らかくして、国民から放出している「集団的自衛権」行使絶対反対意見に耳を傾けられないものなのか!?
 国民からの反対世論に配慮して、安倍政権は少しは「蓋をゆるめられない」のだろうか。  悲しいかな、それが不能な事態にまで与党政権は「蓋を固く閉めた」まま、現在がんじがらめ状態なのか…?

 私自身にとって両腕骨折とは突然の予期せぬ事故であった。
 そんな不自由な現状を経験してみて、理不尽な要求を国家政権より突然課される事実こそが如何に辛いのかを、我が身にして人生世観が揺らぐ程に学ぶ思いだ。
 そんな我が思いを、今回のエッセイで少しだけ公開した。 

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)



 2023.12の現在尚、我が「左膝複雑骨折」が完治したとは言い難い。😨 
 左膝が未だに曲がり切らず正座は無理状態を強いられている。 膝がしらの骨に関しては完璧にくっついたからこそ、病院受診は“無罪放免”されているものの… 
 私の診断では、“腱”等の結合組織が未だ損傷したままの状態なのであろう。 これ もしかしたら我が余生に於いてずっと完治しない恐れもあり、その覚悟を決めておくべきとすら腹をくくりかけている。


 そんな身にして、表題に戻ろう。

 2014年春の大怪我だった「左鎖骨と右手首の同時骨折」と、現在未だ引きずっている「左膝複雑骨折」。
 どっちが我が身にとっては“辛い”(“辛かった”)のかを天秤にかけると。

 これ、2014年の「左鎖骨と右手首の同時骨折」の方に“辛さ”の軍配が上がりそうだ。
 
 と言うのも、当時と今とでは家庭内条件が大幅に異なるのが大きな理由だろう。
 2014年当時は未だ娘が大学生だったと記憶しているが、その娘の学問や生活のフォローを母の私が陰で積極的に行っていた時期だ。
 大学の「卒論」こそは娘本人に取り組ませたが、その他の諸授業や家庭内での実習記録作成等々は、出来る限り母の私が手伝っていたものだ。

 あの頃を思い起すと、娘が家を出て独り立ちしている現在の何ともラクなこと!!

 やはり娘が独り立ちしてくれた効用とは、予想以上に大きい事を実感させられる。 
 加えて、我が身が高齢域に突入している事実も一種の安堵材料であろう。
 たとえ 今後我が左膝が「正座」できるまで曲がらずとて、特段問題は無いと私は受け止めている。
 既に趣味のランニングもゆっくりペースだが楽しんでいるし。 日常生活上、私としては特段の不都合は無い。


 それにしても。
 上記2014年に私が記した引用文を読むと、当時の安倍政権の体たらくぶりが思い起されて 今尚腹立たしいものがある!!😱 
 安倍氏の死にざまに関しては、世の反応が割れているようだが。
 原左都子の感覚としては、安倍氏は既に“忘れ去られた存在”と概ね受け止められているものと捉えている。


全国の百貨店の「屋上遊園地」が姿を消しつつあるらしい

2023年11月07日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2023.11.06付朝日新聞夕刊記事「消えゆく屋上遊園 残したい レジャー多様化、維持費負担に 屋上遊園地のある百貨店は5店のみ」より転載したもの。)


 早速当該朝日新聞記事の一部を以下に要約引用しよう。

 朝日新聞は10月、日本百貨店協会に加盟する全170店舗を対象に、常設の屋上百貨店があるかを電話で尋ねた。 今も営業をしていると答えたのは松坂屋高槻店、松坂屋名古屋店、大和香林店、いよてつ高島屋、浜屋百貨店の5店舗。 このほかにも小規模な遊具コーナーを設けている百貨店があったが、屋上遊園地という認識ではなかった。 (中略)
 屋上遊園地の起源は、100年以上前まで遡るが、設置が加速したのは戦後の高度経済成長期。 百貨店が次々とでき、屋上遊園地も「必須アイテム」のように造られた。 (中略)
 だが、郊外型ショッピングセンターの盛況、バブル崩壊や2000年代の不景気など、百貨店を取り巻く環境は厳しさを増していく。 テーマパークなどレジャーも多様化。 集客装置としての屋上百貨店の役割は維持費と見合わなくなり、00年前後から徐々に閉園していったとみられる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 実はこの原左都子、私自身の子供の頃にもデパートの屋上遊園地に行った記憶がうっすらあるものの、さほどの思い出は無い。

 それよりも。
 晩婚高齢出産にて産んだ一人娘を都内のデパート屋上や、近くの大規模スーパーマーケットの屋上の小型遊園地へ頻繁に連れて行った記憶が、今尚鮮明だ。

 先程その写真を探してみたのだが、どうやらデパート屋上遊園地にて撮影した写真は残念ながら見つからなかった。 おそらく カメラを持参せずに出かけたものと思われる。😂 😔 

          

          

          

 その代わりと言ってはなんだが。 
 我が一人娘をデパート屋上へ連れて行った幼少の頃に他の場所で撮影した写真が複数見つかったので、それらを公開させていただこう。

 一番上は、おそらく「としまえん」にて夜間撮影した写真のようだ。
 2枚目は、その当時の自宅近くに存在した大規模中央公園にて撮影したもの。
 一番下は、我が家にての撮影だが。 我が一人娘は私が写真撮影をしようとすると、姉妹がいなかったせいかいつもこうやって家中の“お友達”を集めてはポーズをとったものだ。
 面白いのは、その際に「はい〇ちゃん、ちゃんと前を向いて! △ちゃんはおりこうさんね」等々と“いっぱしの”指導を始めるのには驚かされた。😁  将来は教員でも目指すのかと一時思ったりしたが、そうではなかったようだ。😝 


 話題をデパート屋上遊園地に戻すと。
 我が一人娘は、幼少の頃からそれを大いに好んでいた。 
 その後も平日幼稚園や学校から下校した際に、「屋上遊園地へ行こうか?!」と声掛けすると喜び勇んだものだ。 平日は近くのスーパーの屋上、土日祝日には池袋の(今は無き)西武デパートの屋上へ足繁く母娘で通ったものである。 (さすがに亭主は、それには同行しなかったなあ…)
 我が子の場合、大規模遊園地よりもむしろ デパート屋上遊園地を好んでいた思い出がある。  おそらく大混雑が一切無いため、我が子なりに安心してゆったりと遊べたのであろう。

 確かに 我が子が小学生になった頃には、既にデパート屋上遊園地はさびれかけていて、人口密度がかなり低かった記憶がある。    


 かく言う私も、我が子が小さい頃にはディズニーランド等の巨大施設へ連れて行くよりも。(もちろん連れて行きましたけど。)
 近くのデパートやスーパー屋上遊園施設の方が安心感が大きかったし、私自身も我が子が喜ぶ姿を間直に見れて、ずっと楽しかった記憶があるなあ。😃 


宅配便の届け方(受け取り方)が多様化した時代

2023年10月14日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2023.10.13付朝日新聞夕刊漫画「地球防衛家のヒトビト」より転載したもの。)


 この原左都子も、漫画の主人公と同類の人間だ。
 こちらが宅配便の届け時間を指定したのならば、その時間帯に自宅に待機しているべきなのは当然と考え、いつもそうしている。
 
 これが確かに届け時間を過ぎても届かないことも稀にあり、多少苛々するのだが。 まあ大抵の場合は、多少遅くなっても予定時間を1時間以上超過することは無いものだ。


 我が家の場合、私も亭主も「ネット通販」を頻繁に利用している部類だろう。
 特に我が亭主など、通販大手の「アマゾン」ファンなのだが。 これの利用度合いが物凄い!!  日々、2,3個のアマゾン通販が到着する。😱  一体何をそんなに購入しているのかと言えば、一番多いのが「音楽CD」だ。    婚姻直後期に驚かされたのだが、我が亭主は大の音楽好きで書斎のほとんどがこのCD置き場が占めていて、その数たるや 一時一万枚を超えていただろうか?? 引っ越し時に、「ご主人は音楽家ですか??」と問われた程だ。 私の命令でその数を戸棚に入る枚数に減らさせて以降も、増殖は続くが…

 そのアマゾン通販到着時間が、一時私の昼寝タイムと重なっていて難義させられた。 私の昼寝はリビングのソファが定置なのだが、ちょうどウトウトし始めると、必ずチャイムが ♪リロリロリロリロ…♪ と鳴り始める。 ついに堪忍袋の緒が切れた私が「時間指定するなどして、昼寝中のアマゾン通販到着を避けよ!!」と亭主に指導したものだ。


 その後 世の通販配達方式の多様化に伴い、アマゾン通販の配達時間が午前中にズレたようだ。

 今では「置配」なる、消費者観点から言わせてもらうと。 まるで盗まれることを前提としているがごとくの配達方式が正当化されているのに驚かされる。😨 
 あるいは、宅配ボックスや「時間指定配達」も既に一般化していると言えよう。



 その「時間指定配達」をテーマとした漫画が、冒頭の2023.10.13付朝日新聞 しりあがり寿氏作の作品だ。

 これ、私も登場人物同様に、自分が指定した配達時間には必ず自宅にいる主義である。 おそらく大多数の人が常識として同様の行動を採っておられることだろう。


 昨日私宛に届いたアマゾン通販にて購入した「靴」の話題に変えよう。

 アマゾン社の場合、他社と比較して注文から配達までの日数が短いのが特徴と捉えている。
 そのアマゾンに注文していたパンプスが、注文の次の日に届けられようとしたようだ。
 ところが、その日はちょうど私は高齢者施設にて暮らす義母の元に訪れていた。 帰宅してみると、アマゾンとしては珍しいことに「不在者配達票」がポストの中に入れられていた。
 いつもならば総合玄関1階の宅配ボックスに入れてくれているのに、今日はどうしてそうしてくれずに持ち帰ったのだろう??? と不思議に思っていると、亭主が「もしかしたら総合玄関の宅配ボックスの位置が分からなかったのかもしれない」との回答だ。 確かに我が集合住宅の場合、一見して分かりにくい場所に宅配ボックスが設置されている。 あるいは、宅配ボックスが満杯で持ち帰ったとの事例も過去にあったが。

 とにかくやむを得ず、ネット上から再配達を指定した。
 そうしたところ、アマゾンの場合その処理も素早いことに感動させられた!
 私がネット上で「再配達」の詳細を入力するなり、その画面が私が指摘した配達スケジュールを提示してくれた。

 そして本日、その私が指定した時間通りにアマゾンが再配達のパンプスをマンションの我が部屋まで持参して下さった!
 (参考ですが、このパンプスは11月に郷里にて開催予定の我が医学部同窓会に出席するために購入したのですが。 左脚が未だ完治しているとは言えない身にして、ちょっと無理があるかも… やっぱり その日も運動靴で行くべきか?? なる、身勝手な理由で意気消沈している私です…😰 )


 
 話題を元に戻そう。

 とにかく、今現在の通販業者はその厳しい配達体制に於いて弛まぬ努力を重ねていることを痛感させられる。

 それに合わせて それを受け取る顧客側も、なるべく通販業者の足を引っ張らないような受取り努力を実行するべきと私は考え、日々そのように行動しているつもりだ。