水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《残月剣①》第二十四回

2010年08月10日 00時00分01秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣①》第二十四回
 昼前になった。鴨下は握った握り飯を籠に入れて井戸に吊るしておいたのを、ふたたび上げた。当然、臭わない。加えて、充分に冷えているから口当たりも最高で、沢庵の数切れもあれば御の字といえた。というか、夏の今には最適だった。これは今、始まった訳ではなく、古くから堀川の賄い方として続いている方法なのである。昼の膳は囲まないから、各自が思い思いの所で握り飯を頬張っては沢庵を齧る。とはいっても、三人ともお互いに見える位置に座していた。頬張りながら、スクッと立ち上がった長谷川が鴨下に近づいて何やら話を始めた。左馬介が座す位置から二人の姿は見えるが、話の内容までは聞こえない。
「そうか…、左馬介がなあ。水無月の娘のことを樋口さんにか。ははは…、左馬介がな」
 長谷川は賑やかに笑った。離れている左馬介には話の内容は全く分からないが、賑やかに笑っている姿は垣間見えたから、大方、世間話でもしているのだろう…と思えた。まさか、自分のことを話し合っているなどとは思えない左馬介である。樋口が幻妙斎の容態のことで来たなどと、二人が知る由もない。その後、昼稽古が暫く続いたが、遂に樋口のことは、お互いに語られず終いだった。
 急に暑気が遠退いたのは、それから五日ばかり後のことであった。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第四十七回)

2010年08月10日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第四十七回
「どうです? その後、例の話は…」
 帰り際、警備室の禿山(はげやま)さんに呼び止められた。そういえば、あの日以来、そのことについては一切、話していなかったのである。警備室へ入れて貰った日に、『楽しみにしとります』と云われたことを、すっかり忘れてしまっていた。それが、二、三日に一度は禿山さんに会っていたにもかかわらず、何も話さず、会釈のみで通過していたのだ。私は、そのことを、声をかけられたことでこの時、思い出し、茫然としてその場で氷結してしまった。こりゃ拙(まず)いぞ…と瞬間、思った。
「いやあ、参りましたよ。あれからいろいろとありましてねえ。禿山さんにその都度、お話すればよかったなあ…。どうも、すいません」
 私は笑って暈した。
「いやいや、お忙しかったんですから…。私などはいつでもよろしいんですよ、お暇な時で…」
 禿山さんは相変わらず照かった丸禿頭から輝かしい仏様のような後光を放って笑った。
「え~と、それでしたら、次の晩勤務の日はいつでしょう?」
「今が、これですから…明日の夜から朝にかけて…。ということは、明後日(あさって)の朝ですねえ」
「あっ、そうですか。でしたら、この前のように明後日、少し早めに出勤しますので、その折りにでも…」
「楽しみにしとります」
 禿山さんは、あの日と同じ言葉を云うと、ニコリと笑った。紅潮した赤ら顔が夕日に見えた。

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