水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

夏の怪奇小説特集 第三話 抜け穴(6)

2009年08月19日 00時00分00秒 | #小説

      夏の怪奇小説特集       水本爽涼

    第三話 抜け穴(6)         

 次の日の昼過ぎ、私と同僚はいつものカフェレストランで食事を取っていました。
「奴も消える前に、お前と同じようなことを云っていたんだ。『馬鹿なことを云うな!』って、一応は聞き流したんだが、その数日後、奴は消えちまった。余り気分のよい話でもないしな。それで、お前が云ってたことを思い出して、電話したって訳だ」
 後になれば、そうした内容も得心が行くのですが、この段階では他人に話せない不可解な話なのです。異次元への入口が私の家の井戸以外にも幾つかあって、それには一定の法則めいた事実が存在するということでした。
 私が、アチラの世界に住むようになって気づいたことなのですが、このように申しますと、皆さんには意味が分からないとは存じますので、結論だけを端的に申します。その事実の法則めいた共通点とは、まず第一に、家族構成が妻と数人の子供のいる家庭で、第二として、南方の斜め前に柿の木があるということでした。この共通点がどういう関連性をもっているのかは分からないのですが、アチラの世界からの幾つかの条件をクリアーした家族だったということです。同僚の友人の家族も、偶然、そうした条件に合致していたのでしょう。
 その日、同僚から話の内容を聞きいた後、いつもと変わらず勤めを終え、帰宅しました。家に入ると、数ヶ月前の生活が脳裏へ去来して想い返され、私はつい、「今、帰ったよ…」と、呟いていました。しかし妻と子供は、やはりこの空間には存在せず、空虚な佇まいの中で動く自分に気づかされました。
 抜け穴に召されるその日まで、私は何をよりどころに生きていけばいいのか…と、途方に暮れるばかりでした。だが、その一方で、なんとかせねば…と思う自分もいました。それが徒労であることは、自分にも分かっていたのですが…。なんの解決の手立ても持たない自分が滑稽でした。
 それからまた数日が経ったある夜、突然、私は宇宙の真っ只中にいるような妙な感覚に襲われたのです。それでも私は、無心に食後の食器を洗い続けていました。食後は、井戸を見にいくのが日課となっていた私ですが、その日も井戸の方へ無意識に足は動いていました。
 その日の井戸は、いつもと様子を異にしておりました。と、云いますのは、私にも見えたのです。子供達が、そして妻が見たと云ったあの地球の姿を…。
                                                          続


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