7月15日(木曜日)
昨日は阪神ー巨人戦が雨のため流れた。今夜は3連戦の最後の日だ。今日は巨人にリベンジと楽しみしていたが、本日は雨のため試合中止と放送がありガックシ・・・。ならばと、京都の祇園祭りの宵々山に行って見ることにした。京阪四条に着くと9時になっていた。京都市内は夕方から大雨になったようで、道路はあちこち水溜りが出来ている。鴨川は増水で、河原でいつもは見れるアベックが、どこにも座っていない。
四条通りは、6時から歩行者天国になっているので歩きやすい。夕方に大雨が降ったせいか、人出はいつもより少ない。例年であれば10数万人は繰り出し、歩くのもままならないくらいだ。遠くから、”コンコンチキチコンチキチ”の祇園囃子(はやし)が聞こえてくる。音に誘われどなたも足の向く方向は同じだ。歩いていて、皆さんの浴衣姿を見るのも楽しみの一つだ。
浴衣は人様だけではない。犬も浴衣を着て宵々山に来ていた。
最初に目にするのは長刀鉾だ。長刀鉾だけは巡行の一番が決まっていて、他はクジ引きで決まる。
路地には露天がこれでもかと言うくらい立ち並んでいる。
それこそ、全国の露天が一同に集まって来たのでは思われるくらいだ。行ったことのない方は、想像しろと言っても到底およばないだろう。せいぜい半分がいいところだ。100軒200軒ではきかない。どんだけ~?知りませ~ん。
鉾と山は全部見れば32あるが、下記の13を見た。五条方面、三条方面と提灯(ちょうちん)のともった山や鉾を求めて右へ左と、テクテクと歩き疲れた。途中で本番さながら巡行の時の、クジ改めの練習風景を目撃した。
一生見ることはないだろう。宵々山に行って良かった。
1.長刀鉾
2.保昌山
3.函谷鉾
4.月鉾
5.四条傘鉾
6.蟷螂山
7.南観音山
8.北観音山
9.八幡山
10.黒主山
カズ58さんから
「祇園祭で巡行される山鉾の一つである、黒主山の懸装品には「赤地四爪龍文綴錦」が前掛としてかかっていました。これは中国明の時代の官服の裁断したものを組み合わせて仕立てたものです。文化14年(1817)に十五世良暢上人(りょうちょう)が、袋中上人が琉球王尚寧より恩賜されたものである「赤地龍文夷嶋(えぞ)綴錦」一掛を黒主山に寄進されたものです。現在、「四爪龍綴錦」は痛みがひどくなったため、1990年より古錦を復元した「五爪龍文錦」に前掛が変わりました。」
11.鯉山
12.浄妙山
13.鈴鹿山
気がつけば三条駅の近くまで来ていた。「歩行者天国は終わりますので、歩道へ上がってください」と警察のマイクががなりたてている。時計を見ればもう直11時だ。せっかく京都へ出てきたからには、飲んで帰ろう。行った先は、「沖縄料理・京風ばんざい”祇園 新右衛門”」。
これは中国明の時代の官服の裁断したものを組み合わせて仕立てたものです。
文化14年(1817)に十五世良暢上人(りょうちょう)が、袋中上人が琉球王尚寧より恩賜されたものである「赤地龍文夷嶋(えぞ)綴錦」一掛を黒主山に寄進されたものです。
現在、「四爪龍綴錦」は痛みがひどくなったため、1990年より古錦を復元した「五爪龍文錦」に前掛が変わりました。
そんな逸話があったんですか。
懸装品を100年も200年ももたせるのは、大変なことですね。