ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

今日は私の ”高校卒業&旅立ち” の記念日

2021-03-08 12:07:24 | 日記・エッセイ・コラム
3月8日(月曜日)
57年前の昭和38年3月8日は、私の”高校卒業式&旅立ち” の記念日です。年に一度思い起こして、一日でも元気で長生き出来るよう、精進致しましょう。

【独身時代の思い出】
57年前の昭和38年と言えば、日本は高度成長期真っ只中。どの企業も新卒を早く戦力にしたくてたまりません。私の就職する会社も同様で、「3月9日に入寮せよ」の通達が送られて来ました。高校の卒業式は3月8日(金曜日)。卒業式が終われば”遊ぶぞ!”と張り切っていたのに、何ということでしょう。クラスの仲間はほとんど4月1日なので、羨ましくてたまりませんでした。早く就職する者の特典は、クラスメートの多くがが駅まで見送りに来てくれます。可愛そうな者は、3月の終わりに旅立つ者。クラスメートの見送りは期待出来ません。
夜行列車で、上井(あげい)駅(現在は倉吉駅)から、 「頑張れよ!」の級友の励ましの声に見送られ、大阪(枚方市)へ。
ドラマチックな光景が、連夜繰り広げられたことでしょう。当時の夜行列車は蒸気機関車で、山陰線はトンネルの多いことで有名です。トンネルに入れば、車内は煙で真っ白になります。翌朝京都駅に着けば鼻の穴の中は、ススで真っ黒け。駅の便所で顔を洗いましょ。奈良電に乗り、丹波橋で京阪電車に乗り換え、「枚方市駅」に降り立ちました。
今でこそ枚方市は大阪府下で4番目の人口で、40万人を超えています。当時は約10万人。これだけの人口でも、枚方市は都会には見えません。故郷、倉吉市の方が、枚方市より圧倒的に店も多く、まさにど田舎でした。ビックリしたのは、喫茶店が駅前に1軒しか見当たりません。
9日(土曜日)に出社し、会社で説明を受け独身寮”双葉荘”へ。この寮は元フランスベッドの女子寮だったとのこと。寮に着けば、小豆色の布団袋と柳行李が届いていました。これが私の荷物のすべてです。入居した部屋は4畳半一間。この一間で、高校の同級生の山ちゃんとの共同生活が始まりました。
今の時代であれば、4畳半に二人住めば、「タコ部屋」と世間の皆さんは言うことでしょう。4畳半の部屋に二人とも机を置き、布団を敷けば足の踏み場もないとはこのことを言います。真面目な山ちゃんは、遊びが好きな私と大違い。勉強が大好で、2年後に会社の高等専門学校に合格して、2年間石川県で勉強です。出て行った後は、四畳半の部屋で一人生活となり、ようやくプライベートが確保出来ました。向かいの部屋に住む ”西野君” は石川県鳳至郡から大阪の親戚の家に下宿して工業高校卒業。都会育ち故、ええかっこシーの遊び人。見た目と大違いは高校時代の成績。通信簿を見せてもらえば、成績優秀では有りませんか。夏になれば腹巻にステテコ姿。パンチパーマとくればチンピラと同じです。二人で寮の前のバー、枚方市民病院の前のスナック。香里園のキャバレー”美都”、枚方市駅の近くにある、ばばあの一杯いるキャバレー”ミス枚方”に、数え切れないほど行きました。独身時代にチカラ一杯遊べば、世の中の裏も表も勉強しました。お蔭様で、女性に溺れての失敗は有りませんでした。毎年3月8日が来れば、57年前が懐かしく思い出されます。
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