夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋の運動会の想いで・・♪

2007-10-06 08:11:00 | 定年後の思い
私は秋日和を迎える朝、ときおり小学生の時の運動会を想いだすと、
微苦笑したりしている・・。

昭和26年の春に小学校を入学したが、
この頃は祖父、父が健在で、
ある程度手広く田畑を耕して、農業をしていた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた男の子で三男坊の身であり、
跡継ぎ候補が2人であったので、今度は女の子と期待されていたらしく、
また男の子、と云う視線を乳児の頃から何となく感じたりしていた。

幼児の頃から屈折したいじけたような思い過ごし、
兄2人が通っていた小学校に入学した。

長兄は原則として跡継ぎの身であったので、祖父と父たちは家庭教師を付けて、
長兄はそれなりに答えて、XX小学校60年開校で初めて国立の中学校に入学できた、
と村中の評判となっていた。

次兄は活発で運動神経にも優れ、クラスの人気者であったので、
何かと私はあいつの弟、
という視線を先生、同クラスの人々から見られた。

そして兄達は通信簿を頂く際、『5』と『4』の優れた成績で、
私は同じ小学校でも『3』と『2』で占められいた。

ともかくいじけ屈折した可愛げのない子で、
日陰のような子であった。

こうした状況で、小学校一年の秋、
初めて運動会で50メートル競争に出場した・・。

6人で同時に走ったが、そのうちに頑張れば、
と思っているうちにゴールに着いた。

結果は、後ろから2人目の5位だった・・。
この頃は、走り終えると、1位の旗から6位まで並列されていたので、
私は『5』の旗の後に並ばされた。

何故かしら、私は小学校を卒業するまで、
6人で走るといつも5位が続き、勉強の成績と同様に劣等生であった。

私が長兄、次兄の全(まった)く影響のない私立の都心の高校に入学してから、
心が解放されてか勉強に目覚めて、
体育の授業で長距離の5キロ競争はいつか追いつけると走りながら思い、
上位グループに属した。


私の古いアルバムの中で、一番古い写真の一葉は、
初めての小学校の運動会で、昼食をしている時の情景が写しだされている。

父親の横に秋の陽射しを眩(まぶ)しそうにしている私、
母に抱かれている乳児の妹との4人である。

父親と私が撮れた写真はこの一葉だけで、
私が2年生の3学期を終える頃、父は42歳の厄年に死去された。


私は今でも短距離は弱いのである。
そのうち追いついて抜いてあげるから、
と走りながら思っているうちに、ゴールになってしまうから、苦手である。

その点、長距離は頑張れる時間と機会があるから、
得意であるが、今では走れない。


秋日和のひととき、庭先で煙草を喫ったりして、ときおり幼児の頃を想いだされると、
何故かしら目頭が熱くなったりする時もある。









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