夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

老人週間の中、昨今の社会状況に、ささやかな願いを秘めて・・。

2014-09-17 13:48:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。

こうした中、一昨日は『敬老の日』を迎え、『老人の日』とも別称されて、
この日から21日までの1週間は『老人週間』と制定されている。

私はまもなく70歳となるが、『老人』は後期高齢者と称せられる75歳以上の方と思っている。
そして75歳以上は1590万人、8人に1人となり過去最高となっている。

もとより敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の主要国の中でも、
有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
日本に住む私たちがこうして生活を享受できているので、尊敬の念を抱(いだ)いている。
            
   
何かしら『全国社会福祉協議会』に於いては、
①国民の間に老人の福祉への関心と理解を深める。
②老人が自らの生活に努める意欲を促す。と明示されている。
提唱されているが、老人の方にとっては余計なお節介かしら、と私は漠然としながらも感じたりしている。

それぞれの老人は、自助努力で『健康』と『生きがい』を保持し、そして悩ましい『預貯金』を崩しながら、
大半の方たちは堅実に晩年期を生活されている、と感じたりしている。

確かに老人は身体は衰えているが、心は健(すこ)やかなであり、何より知恵がある。
そして私たち世代、団塊の世代はもとより、若い諸兄諸姉の世代の人は、
こうした人生の知恵を学べは良い、と思ったりしている。
          

私はまもなく70歳となる身であるが、若い諸兄諸姉の世代の人に期待するのは、
言葉づかいと動作の粗雑であることにつきる。

そして働いていて下さる諸兄諸姉は短期に成果を問われる難題の中、、
街中でスマートフォンを歩きながらは危険であるし、まして自転車に乗りながら視ることは、
論外と確信している。

もとより学生の一部の方も含まれ、私は憂いたりしている。


私は買物などで狭い歩道を歩いたり、街中で先代の諸兄諸姉とすれ違う時、
たとえ両手に重い荷物を持とうが、道を開ける。

或いは公園などでポッンとベンチに座っている方を見かけると、最低限として挨拶程度の言葉をかけたりしてきた。

こうしたことは、少なくとも先代の諸兄諸姉に対して、礼節と思っている。
          

しかしながら私は65歳以上の高齢者全般の方たちに困惑することもある。
たとえば、公共の場で恥知らずな言動をするグループを見かけると、老害と思っている。
特にご婦人の方に多いのは、女性にいつまでも憧憬(しょうけい)している私としては、
はなはだ残念と思ったりしている。

あなた方の持っていた羞恥心という美徳はどうされたのですか、人前でご迷惑を感じていないのですか、
そして、お孫さんに恥ずかしくないのですか、と私は憂(うれ)う時もある。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 定年後の年金生活の中、『特... | トップ | 都議の諸兄、国の方針も理解... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

定年後の思い」カテゴリの最新記事