私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
私の日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、気の許せる悪友と居酒屋で談笑をしながら呑んだり、
或いは家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
パソコンの故障とか国内旅行で不在でない限り、
このブログのサイトに毎日投稿し、生きがいのひとつとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/ad/41102158c31bbbe08c08e2770adc4513.jpg)
私は定年の5年前の55歳に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症、痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたら、と念願しているひとりである。
まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるのは当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。
このような私なりの深い思いが根底にあったが、
過ぎし2010年8月下旬の頃に、医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の本を購読したら、
《・・ 私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死・・つまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。・・》
この一節にめぐり逢えて、そうですよねぇ、と私は深く同意させられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/63/4619b4e050ed2a4b9866f68e01490a47.jpg)
私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、
と思ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0a/b7390996564a81ed6ab7470ead336b57.jpg)
過ぎし日の一昨年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったりしたのである。
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そして『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が心の中で感じてくれれば充分である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/31/f667f2b0ef15a381fa2f6242e0997c54.jpg)
このように思ったりしている私は、昨日の昼下がり、私がポックリとこの世と別れた時の場合、
私の書き散らしたブログの投稿文は、どうなるのかしら、
と余計なことを考えて微苦笑したりした・・。
私がブログを綴っていることは、家内は知っているが、
お互いの個々の趣味は、干渉もしないので、
家内は私のブログサイト名、具体的な内容はもとより、
ましてURL(私の場合 http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai)も知らない。
その上、家内はパソコンの入力方法も覚束ないので、ブログサイトの解約などの手の打ちようがないのである。
私の数多くの投稿文は、銀河の彼方に彷徨(さまよ)うようになるのかしら、
と苦笑したりした。
しかし現実的には、私が加入している『gooブログ』の管理元は、
NTTグループのNTTレゾナントであり、この会社が運営しているサーバーの中で、
永久冬眠かしら、と詮無き事(せんなきこと)思い浮かべたりした。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
私の日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、気の許せる悪友と居酒屋で談笑をしながら呑んだり、
或いは家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
パソコンの故障とか国内旅行で不在でない限り、
このブログのサイトに毎日投稿し、生きがいのひとつとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/ad/41102158c31bbbe08c08e2770adc4513.jpg)
私は定年の5年前の55歳に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症、痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたら、と念願しているひとりである。
まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるのは当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。
このような私なりの深い思いが根底にあったが、
過ぎし2010年8月下旬の頃に、医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の本を購読したら、
《・・ 私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死・・つまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。・・》
この一節にめぐり逢えて、そうですよねぇ、と私は深く同意させられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/63/4619b4e050ed2a4b9866f68e01490a47.jpg)
私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、
と思ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0a/b7390996564a81ed6ab7470ead336b57.jpg)
過ぎし日の一昨年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
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或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そして『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が心の中で感じてくれれば充分である。
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このように思ったりしている私は、昨日の昼下がり、私がポックリとこの世と別れた時の場合、
私の書き散らしたブログの投稿文は、どうなるのかしら、
と余計なことを考えて微苦笑したりした・・。
私がブログを綴っていることは、家内は知っているが、
お互いの個々の趣味は、干渉もしないので、
家内は私のブログサイト名、具体的な内容はもとより、
ましてURL(私の場合 http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai)も知らない。
その上、家内はパソコンの入力方法も覚束ないので、ブログサイトの解約などの手の打ちようがないのである。
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と苦笑したりした。
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毎日暑い日が続きます、そちらは如何でしょうか。
余生の思いを書きつづられておられますが、私は今年が平均寿命(79歳)になりました。
80歳以上が800万人を超えたとか、高齢者とは80歳になって、そういう概念でこれまで過ごしてきました。
75歳から敬老会の案内が届きますが、私は老人ではないと案内状を返戻をしてきています。
私は母の認知症を女房と一緒に第二の職場を放り出して家庭で5年介護、その後4年は老人施設で。
母を見送って数年は夫婦の時間を取り戻しましたが、女房が腎臓疾患になり、1年の3分の1は入退院の繰り返しで、10年来は週3日の通院(人工透析)、このため専業主夫の日々でもあります。
だからとて、こうした暮らしを楽しんでしまおうと、アホなことを考え、ご覧のようなガハハなブログを書き込んでおります。
そんな話題を提供をしてくれる友人、知人にも恵まれているからです。
ご自分の死についても考えられておられるようですが、何か切ない気もいたします。
ご夫婦ともご健康のご様子ですので、おおらかにお暮らしになられては、余計なお節介でご免なさい。
貴兄より真摯な人生の根幹のお便りを頂き、恐縮しながら拝読致しました。
私は昭和19年の9月に農家の三男坊として生を受けました。
そして私が小学2年生の時に、肝臓を悪化していた父に病死され、
この時の父は42歳の若さでした。
私が50代の時、私は音楽業界の会社でサラリーマンをしていましたが、
業界の不況が始まり、リストラ烈風となりました。
こうした中で私は出向となった時、この間に同期の方が自裁されたり、病死された方もあり、
私は漠然として、過労死で亡くなることも考えさせられまして、
せめて60代は五体満足に生かして欲しい・・その後は余生かしら、
と思った次第です。
定年後の年金生活の中で、同僚だった方が62歳の若さで病死されたり、
私より3歳先輩の方が脳梗塞で死去されたりしました。
こうした時期を過ごしていますと、ときには漠然ながら、
70代のいつの日にか、命を果てるのかしら、と思ったりする時もあります。
今回、貴兄より《・・余生は平均寿命から・・》と励まされて、
貴兄の確かなここ10数年の人生航路を教示され、
私は人生の苦楽も少ししか解らないまだまだ青二才だ、と実感させられ、そして感謝した次第です。
本年は特に残暑厳しい時、貴兄、そして奥様共々、
お身体をご自愛してお過ごしして下さいますように・・。