こうした中、年金生活を始めて2年過ぎた62歳の頃、
会社時代のOB懇親会が開催され、
私は御世話になった16歳上の大先輩と談笑したりしていた。


こうした中で、大先輩より、
『年金生活の中、病気になって病院にお金を運ぶか、
或いは自身の好きな趣味に使うか・・人それぞれだよねぇ・・』
と私は言われたりした。

そして私は

『確かにセカンンドライフを過ごす中、天と地ですよねぇ・・』
と私は漠然としながら応じたりした。


      
この2年が過ぎた会社時代のOB懇親会の中で、
私の上司だった7歳上の御方と歓談している中で、この御方より、
『ところで・・年金生活で健康に過ごすひとつに、
「きょういく」、「きょうよう」・・、知っている?』、
と私に尋たず(たず)ねられたりした・・。

この後、親切なこの御方より、
『「きょういく」は、今日行く「きょういく」ところある・・、
 「きょうよう」は、今日用事「きょうよう」がある・・』
このように退職後の年金生活でも、溌剌と日々を過ごしなさい・・
と駄洒落なような格言なの・・、と私に教えて下さったりした。

そして『教育』も『教養』も、ボケない程度に自身の為に・・、
と微笑みながら、私に教えて下さったりした。




我が家の平素の買い物に関して、年金生活を始めた当初より、
私は自主宣言をして、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に独りで行っている買物メール老ボーイとなっている。

しかしながら4年半前の2月に新ウィルスコロナの烈風後は、
感染が怖くて、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、
3日に一度ぐらいに集約して、素早く店内の品を確認し、買い物をしている・・。

こうした根底には、定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言し、今日に至っている。



 




そして昼食だけは、私たち夫婦はお互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

こうした根底には、やはり






この間に、年金生活を始めて間もない時に、
ブログの世界を知り、パソコンの故障、国内旅行、入院などで自宅不在でない限り、
原則として一通は投稿している。

ブログの大半は、年金生活を過ごしている今、
日々に感じたこと、思考したことなどの心の叫び、思いなど、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。



こうした日常生活を過ごし、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


そして秋になれば、私は80歳のお誕生日を迎えるが、
ささやかな願いを叶える為には、健康寿命の範囲で過ごすことが大切だ、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。