夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活13年半の私、最も聴いてきた歌は『ハナミズキ』かしら、と微笑み返しして・・。

2018-02-21 14:41:02 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

        

私の午前中の殆どは、年金生活を始めた当初から、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言して、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店に行ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように私は午前中の大半は、小庭の手入れ、冠婚葬祭、懇親会、或いは家内と共に国内旅行、
そして家内が買物をする時は、ボディガード兼荷物持ちをする以外は、殆ど毎日している。

                                
      
こうした主な原因は、定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時代は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信したりした。

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

こうした中、家内は専業主婦の延長戦のように朝夕の料理、そして掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

              
    
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

先程、年金生活13年半過ぎしてきた中で、最も聴いてきた歌は・・ぼんやりと思い馳せたりした。

私はシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんに関して、
遅ればせながら1989年〈昭和64年〉初春に、偶然に聴いたりした。
『エレーン』の歌であり、この当時の私はある会社の情報畑で奮闘していた時代であった。

この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』の歌で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』の歌が支えとなっている。

この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。

そして年金生活の中でも、数多くの曲を幾たびも愛聴している。

        

こうした深情で、中島みゆきさんは別格であるが、
やがて一 青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌かしら、と私は微笑んだりした・・。

私は遅ればせながら、2004年(平成16年)年の秋に退職してまもない時、
偶然にラジオから、一 青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌が流れて瞬時に魅了された。

やがて確か12年前だったと思われるが、NHKテレビの音楽番組の『SONGS』中で、
一 青窈(ひとと・よう)さんと徳永英明(とくなが・ひであき)さんが、デュエットでこの歌を唄っていた。

一 青窈(ひとと・よう)さんは美麗ながら、心の深淵まで託した御自身の思いを唄い、
徳永英明さんは、透明感あるシルキー・ヴォイスで、圧倒的な歌唱力の声量で唄い、
この歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、
胸が熱くなり、やがて涙を浮かべそうなくらい圧倒的に感銘を受けたりした。

私としては異例であるが、この曲を録画したのが【YouTube】にあり、掲載させて頂く。


http://www.youtube.com/watch?v=vh_nZWhX3Es
【YouTube】☆『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一 青窈、徳永英明 ☆

留意・この曲はこの時の番組が放送されてまもなく、どなた様が【YouTube】に於いて掲載されたが、
          その後NHKテレビは著作権の侵害と判断し削除された後、
          やがて投稿された《akikoh1121》氏の勇意で復活したのを、敬意し付記する。


       

私がこの歌に圧倒的に魅せられたのは、歌詞の中で、特に、
♪君と好きな人が 百年続きますように・・である。


家内は日頃の多くは、私のことを、

『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、
もとより神様が仏様の采配に寄ると思われるが、

この先いつまでも慎(つつ)ましながら、生活ができますように、と念願したりしてきた・・。

       

私は、散策したりする時、ときおり心の中で唄ったり、人影の少ない道などで、
♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。

私たち夫婦は、この先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、
いつの日にかは、無念ながらどちらかが片割れになる・・。
このような思いを重ねたりして、歩く時もある。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする