夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて 

2015-02-14 08:03:06 | 旅のあれこれ
       第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて

2月8日
もとより北海道は、アイヌの人々が住み、その後の江戸時代の後期には、徳川幕府の意向に基づいて、
道南の松前地方を中核に移住され、
やがて明治時代になると、政府の奨励により、東北、北陸、中部地方などの一部の人々が本格的に移住され、
悪戦苦闘の苦難を得て、北海道の各地が少しづつ開拓されてきた。

こうした明治から昭和初期に及び、北海道で建築された建造物が、
『北海道開拓の村』に於いて、移築復元・再現されている、と私は遅ればせながら知り、
北海道の開拓の歴史の一面を学ぼう、と家内を誘って、私たちは初めて訪れた。

そしてこの日の8日、私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、
                   
路線バスに乗り、地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、
その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いた後、地下鉄の東西線に乗り換えて『新さっぽろ』駅に向かった。

そして『新さっぽろ』駅を生まれて初めて下車すると、この駅はJR千歳線の『新さっぽろ』駅と合体する
大きな駅ビルだったので、戸惑いながら『開拓の村』行きのバス停を探したりした。

まもなく駅ビルの一面がバス・ターミナルのように各方面のバス停となっていた。

やがて私たちは『開拓の村』行きのバスに乗車すると、車窓から新さっぽろの街並みを観たり、
まもなくバスが『森林公園』駅前に着き、周辺の状景に魅了され、後でJR函館本線のひとつの駅だった、
と学んだりした。

そして再びバスは走ると、樹木豊かな一帯となり、私は見惚れてしまった・・。
まもなく広大な『野幌(のほろ)森林公園』の中に於いて、
『北海道開拓の村』、『北海道開拓記念館』、『百年記念塔』があると知ったりした。

やがて『開拓の村』のバス停に到着いると、なだらから丘の上に、
管理棟と活用されている旧札幌停車場の大きな建物が聳え立ち、
私たちは受付となっている大きな建物を目指して歩いた。
          

やがて『開拓の村』の村内に入ると、この冬期の土・日・祝日・さっぽろ雪まつり期間中に限り、
馬そりに乗って主要な村内を観られる、と動物好きな家内は事前に調べて折、
何かと動物の苦手な私を誘った。
          

やがて若き清麗な案内嬢の解説を聞きながら、市街地、漁村、農村、山村の各群のそれぞれ建物を観たりした。

この後、私たちはこの村内の中を数時間歩き廻ったりした・・。
          

そして明治、大正、昭和の時代に、この北海道の各地で苦楽を共にし、
生活された人々の住居、郵便局、学校、府舎などを多々教示させられた。
          

          

こうした中で、欧米人風の50代の男女の6名のグループに逢ったりし、
          
この館の60代の男性の解説者を共に聞いたりした。
そして解説される方が、英語の単語を幾たび重ねながら、解説されていたのに私は好感を深めたりした。
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

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