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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには『忘却とは忘れ去ることなり・・』と私は、デパートの片隅で呟(つぶや)き・・。

2015-02-04 15:13:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
過ぎし2月1日の日曜日に、家内と共に都心の新宿のデパートに行った。

今回の買物の目的は、私の小物入れのバックであり、昨今に愛用しているバックは、
A4サイズに近いカメラ入れ専用バックを平素の買物、散策、或いは旅行の時に、斜め掛けしている。
       

このバックは昨年の春に、私の遠い親戚の方が亡くなり、
恥ずかしながら福沢諭吉のお札を2枚ばかり入れ、やがてお返しに選定する商品カタログから、
私は選び、これ以来殆ど毎日のように愛用してきた。

しかしながら、ポケットのような収容できる数が、思ったより少なく戸惑ったりしてきた。

これ以前のバックは、1998年(平成10年)の5月に、会社のハワイ旅行の時に際して、
堅牢なナイロン製のB5サイズを確か福沢諭吉のお札を1枚に少し足して、買い求めたりした。
そしてパスポート、航空券、ハンカチ、財布などを入れて、成功体験をしたりした。

やがて年金生活を昨年9年半を過ぎた頃、やはり堅牢であっても痛みが酷(ひど)くなり、
無念ながらお別れして、カメラ入れ専用バックに切り替えてきた。

この間、やはり都心で懇親会などを配慮して、少しおしゃれなビジネスバッグ風のA4サイズを、
新宿の小田急デパートの紳士バック売り場で、確か福沢諭吉のお札を3枚で、少しおつりを頂いたりしてきた。
しかしながら、平素の買物、散策には不似合いのバックだったりした・・。

こうした軌跡をしたりしてきたが、やはり内部で収納するポケットの多い
機動性に富んだA4サイズのバックが欲しく、
家内を誘って、やがて新宿の小田急デパートの紳士バック売り場で、
10分ぐらいで選定して、買い求めたりした。
       

恥ずかしながら、福沢諭吉のお札を2枚に少し足したが、
バックの内部などには収納できるポケットが数多く有り、何かと便利と感じ深めたりした。

この後、家内は『せっかくデパートに来たので・・春物のセータを見てくるわ・・』
と私に言ったりした。

こうした時の家内は少なくとも一時間ぐらい要するので、
私はデパート内の本屋に立ち寄ったりして、その後は喫茶コーナーで待ち合わせることが多いので、
いつものようにXXで待っているょ、と私は家内に言ったりした。

そして私は、大きな本屋に行き、書籍コーナーで読みたい本を探し、この一冊を選定した。
             

私は著作者・藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏に関しては、遅ればせながら2006年(平成18年)の1月に、
偶然に『国家の品格』(新潮新書〉を読み、瞬時に魅了されて、
これ以来ご著書を殆ど読んできた愛読者のひとりとなっている。

この本は『週刊新潮』に『管見妄語』と題し、長年に連載している寄稿文であるが、
やがて一年に一回ぐらい集約された単行本になった時、私は購読し、確か4冊を読んできた。

この間、理容店(散髪屋)の待ち時間に、
こっそりと『週刊新潮』の『管見妄語』と題した連載を読んだりしてきたが、
もとよりは隈(くま)なく継続して連載を読む機会がなく、
今回、新たな5冊目かしら、と微笑んだりした。

やがて待ち合わせの喫茶コーナーで、この『とんでもない奴 ~管見妄語~』(新潮社)を読み始めた・・。
そして10分過ぎた頃、あれぇ、散髪屋で読んだ連載記事もあるが・・この綴られた章も・・
と私は思惑したりした・・。

そして次章を読み始めた時、確か私は昨年の12月に買い求めて、読んだ本だった、
と気付いたりした。

この後、恥ずかしながら先程の本屋に戻り、返品しょう、と決意したりしたが、
やはり何かしら本を買い求めて、代替しなければ、と思ったりした。

そして本屋で10分ぐらい彷徨(さまよ)った中で、二冊の本を選んだりした。
             
    
この本は河出書房新社の『 ふくろうの本』の中で、『世界の歴史』シリーズのひとつであり、
『図説 フランスの歴史』、『図説 スイスの歴史』、『図説 オランダの歴史』、『図説 フランス革命史』などがあり、
優(やさ)しいそれぞれの国の歴史書である。

私は異国のそれぞれの時代で翻弄される民族、そして宗教、信条を、
改めて復習ねぇ、と買い求めたりした。
             

そしてこの『図説 ロシアの歴史』、『図説 フランスの歴史』を持ち、
この本屋の精算所に行った。

やがて若き女性の店員さんの前で、
『大変お恥ずかしいことですが、先ほど買い求めたこの本・・
読み始めて・・昨年に購読したことに気付き・・返品させて下さい。
その替わり、この二冊の本を買い求めますので、代替えして下さると・・助かるんですが・・』
と私は優しそうな店員さんに詫びながら、言ったりした。

『お客さま・・私も読書が好きで・・過ぎし日に買い求めた本が重複してしまったことがありましたので・・
お気持ちは解ります・・』
と若き女性の店員さんは、私の恐縮した様子をくみ取り、優しい表情で言ってくれた。

『そのように言って下さると、助かります・・お手数をお掛けしまして・・』
と私は言ったりした。

そして藤原正彦・著作の『とんでもない奴 ~管見妄語~』を差し出して、
二冊の本を買い求めたりした。


この後、私は喫茶コーナーに戻り、家内を待ちわびている中、
『忘却とは忘れ去ることなり・・』と私は、心の中で呟(つぶや)いたりした。
       

私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりした・・。

家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       

私はサラリーマン時代の50代の前半時期は、音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
この当時は営業本部の片隅で奮闘していた・・。

こうした中で、発売しているCDシングル、CDアルバム、DVDなどの1万5000作品に於いて、
主要作品の1000作品ぐらいのタイトル名、発売年月日、そしてアーティスト名などは、
時系列で記憶し、いつでも言葉に出来たりしていた・・。

そして他社の作品でも、売上ランキングのベスト10になる作品ぐらいは、
タイトル名、発売年月日、アーティスト名なども覚えて、自宅でときおり聴たりしてきた・・。

もとより給与を頂いている身であったので、職責のひとつとして覚えざる得ない、
というのが本音でもあったが・・。
       

そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
やがて多くのことは忘れてしまったが、
私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っているのである・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。


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