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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

七夕(たなばた)、ささやかな秘めたる想い・・。

2013-07-07 12:35:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝6時過ぎ、ぼんやりとカレンダーを見ると、
『七夕』と明示されていたので、
きょうの7日は『七夕(たなばた)の日』だったか、と教えられたりした。

そして、ぼんやりと数年前までは、『七夕(たなばた)の日』に関しては、
現代風に解釈したならば、遠距離交際の恋人たちが、
待ち焦(こが)がれてたった一年に一度だけ秘かに逢える日、
と齢ばかり重ねた私は、固く信じてきたひとりであった。

しかしながら、織姫と彦星の関係は恋人でなく夫婦であった、と知った時は、
私は、夢をこわさいでね、と微苦笑したことがあった。
               

私は齢を重ねるたびに、幼年期の頃の出来事を思いだすことが、多くなっている。
こうした時に、幼年時代に七夕の飾り、短冊のことも思いだされる・・。

私は1944〈昭和19〉年の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受けた。

祖父と父が中心となり、小作人の手を借りながら、程々に広い田畑を耕していた農家であった。
そして敗戦後、農地改革などで田畑の多くは強制収制となり、ある程度は狭ばまったが、
それなりに旧家として維持されていた。

こうした中で、七夕(たなばた)に関しては、
私が小学生の頃まで、生家の庭の隅に竹に短冊を吊るす慣わしだった。
東京の都心は、もとより全国の各地は『七夕(たなばた)の日』は7月7日が多かったが、
東京の郊外の付近の一部の地域に於いては、一ヶ月遅れの8月7日であった。

          
               現在、私の住む周辺は竹林がなく、私が5月中旬、近くの『実篤公園』で撮った一葉。

宅地に隣接している竹林から、兄と共に私は孟宗竹の今年成長した5メートル前後の若竹を一本だけ伐って、
庭の片隅みに兄たちが杭を打ち、安定させていた。
父の末妹の叔母が嫁ぐ前だったので、お正月の小倉百人一首と同様に、
叔母の指導の下で、私は妹のふたりと共に飾りだてをすることが多かった。

こうした毎年過ごし、1952〈昭和28〉年の3月、私が小学2年の3学期、父に病死され、
その翌年の1953〈昭和29〉年の5月に祖父が亡くなった。

農家の大黒柱の2人が亡くなり、母と叔母、そして長兄、次兄、私、そして妹の2人が残されたが、
もとより農業の技量、大人の男手を失くしたので、生家は没落しはじめた・・。


私は祖父の葬儀が終わった後、学校に行くと、担任の女の先生から、職員室に呼ばれた。
『XXくん、貴方のお父さん、お祖父さんも亡くなってしまい、
大変に可哀想と先生は思っていますが・・貴方、男の子でしょう・・
お母さんに心配させるようなことは・・分かっているわよね・・』
と私に言った。

そして
『男の子は、頑張るのよ・・』
と先生は私に握手してくれた。

私は、その夏、短冊に秘かに書こうとしたが、少しためらっていた・・。

《 せんせい、あくしゅもいいけど、
              だきしめてほしい・・ 》

叔母や妹が短冊に何かしら綴っているので、私は本心を書けなく、ためらっていた。
そして私はやむなく、

《 せいせいも げんきで
            ぼくもがんばります 》
と何とか読める汚(きたな)い字で書いた。

短冊を吊るしている時、叔母が、
『どういうことなの・・』
と私に言ったりした。

『何でもない・・何となく・・』
と私は下を向きながら答えた。

私は小学生の時は、兄ふたりは成績が良い優等生で、
私はいじけた『2』と『3』の多い劣等生で、可愛げもない児であったが、
齢を重ねた68歳の今、それなりに苦くも懐かしい想いでとなっている。
          

このようにささやかな想いでもあり
短冊に関しても、確か18年前の頃だったと思われるが、
私なりに深い思いであり、今でも鮮明に私の心の片隅に残っている。

この当時も、私は現役のサラリーマンで数多くの人と同様に、多忙な時期であった・・。

春先に大幅な人事異動であり、私も異動し、ある部署に落ち着いたと感じた夏季休暇に、
家内と宮城県の作並温泉に3泊4日で滞在した。

上野駅から仙台駅までの新幹線は、わずか2時間ばかり、そして在来線に乗り継ぎ作並駅まで1時間弱で、
駅前から宿泊する観光ホテルの迎えのマイクロバスで到着した。

そして、私たち夫婦はホテルの周辺のラベンダーの丘陵、渓流で魚釣りをしたり、散策をしたりし、
のんびりと過ごしていた。

翌日のひととき、ホテルのロビーの一角に、
3メートル前後の竹に5色の短冊が飾り付けられていたことに気付いた。

私は昼の風呂上り、浴衣姿でロビーの一角を歩いていた時、
この短冊を何気なしに読んだのである・・。

数多くの短冊を読んだが、ひとつの短冊に心を惹(ひ)かれた・・。

《 らいねんも このホテルに
      かぞく ぜんいんで こられますように 》

と小学生の上級生の女の子らしい綴りで書かれていた。
          
私は作並温泉に訪れる途中で、
仙台市内の華麗で豪壮な七夕(たなばた)を少し観えたが、
この女の子のひとつの短冊に籠(こ)められた願いが、心に沁みた・・。

そして私は華美な仙台の七夕もそれなりに良いが、遥かにこの短冊のひとつに魅了され、
この人生の微笑みを頂き、心を寄せたのである。


このようにささやかな想いでがあり、私はこうした情愛が限りなく愛(いと)おしく、
華美な飾りより、たったひとつの願いを託した尊ぶ心に、圧倒的に魅了される。

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コメント (2)
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