9月の中旬を過ぎた頃から北海道の大雪山の山麓が早くも色づき始めたり、
或いは日本で一番紅葉が遅いと称されている房総半島の中央部にある亀山湖を11月の月末に旅してきた私は、
日本の各地であまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染める錦繍(きんしゅう)の情景に、
齢ばかり重ねてきた私でも魅了されてきた・・。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市の隣接した調布市の片隅み住む年金生活の68歳の身であるが、
私の住む地域は、毎年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は多彩に染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染めら錦繍(きんしゅう)の情景となり、
やがて数多くの葉が舞い散る中で公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せ、
そして周囲に黄色い絨毯を重なるようになるのが12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
こうした中で、日本の各地の名所、旧跡などで、美麗な錦繍(きんしゅう)の情景が、
テレビなどで放送されたりし、私も過ぎ去りし日々に旅先で観た光景も重なり、
確かに綺麗な情景だ、と思ったりしてきた。
古来、日本の幾数千年に及び常緑樹、落葉樹の森や里に恵まれた中、
人々はそれぞれ育(はぐく)み、生活を営んできた。
そして特に室町時代の頃から権力者に命じられ中で、作庭師たちは英知とたゆまぬ研鑽で、
日本の各地に四季折々の情景を独創的な形で作庭し、この中の一部が今日の名所、旧跡となっている。
もとより時代を超えた山間の情景、そして名所、旧跡は突出した情景に数多くの人に確固たる美を感じさせる。
このようなことを私は若き日の20代の頃から思ったりしてきた。
私は自宅の小庭に経済力に乏しく、やむなく落葉樹を中核に植えて、
35年を超えて、四季折々の情景と共に過ごしてきた。
或いは通勤、散策、買物の時などは最寄りの住宅街の歩道、旧街道、遊歩道などの場所を歩いたり、
ときには小公園、大きな都立公園などを訪れてきた。
こうした中で、過ぎし日の思いが突然に甦(よみが)ったりして、微苦笑したりする。
幼年期に母や叔母に手を引かれて歩いた場所や少年期にあてどもなく近くを歩き廻った所、
或いは失恋して途方にくれて歩いた場所など生家に近い私の自宅の周辺をひたすら歩くことが多い。
そして日々の生活を過ごしている中、このような近い場所にこんなに美しい状景があったの、
と思いがけない光景にめぐり逢ったりしている。
昨今の私は、名所、旧跡などを訪れるのもよいが、
住まいの近くを歩いたりし、過ぎゆく錦繍(きんしゅう)の情景を過ごしている。
たまたまデジカメを19日に買い改めたので、つたない技量と不慣れな液晶画面を頼りに、撮ったりしている。
自宅のくに流れる野川の川沿いの遊歩道、隣接した『喜多見ふれあいひろば』の小公園があり、私の散策の好きなコースのひとつで、
週に3回ぐらい歩いたりしている。
ときには幼年期に遊んだ霞嶺(かすみね)神社に四季折々に訪ねたりしている。
日常の買物コースのひとつに、欅(ケヤキ)の樹があり、早春の芽吹きの時から冬木立まで、
私は見たりしている。
このように年金生活の中、過ぎし日々に愛惜を深めたり、予期せぬ情景にめぐり逢ったりして、
過ぎゆく今年の錦繍(きんしゅう)の時期を過ごしている。
そして誰しもが日常生活の中で、お住まいの地域が愛(いと)おしく、過ぎ去り日々に愛惜を重ねたりし、
これから到来する時節を迎え、ささやかな期待を秘めて過ごされていると思われる。
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或いは日本で一番紅葉が遅いと称されている房総半島の中央部にある亀山湖を11月の月末に旅してきた私は、
日本の各地であまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染める錦繍(きんしゅう)の情景に、
齢ばかり重ねてきた私でも魅了されてきた・・。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市の隣接した調布市の片隅み住む年金生活の68歳の身であるが、
私の住む地域は、毎年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は多彩に染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染めら錦繍(きんしゅう)の情景となり、
やがて数多くの葉が舞い散る中で公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せ、
そして周囲に黄色い絨毯を重なるようになるのが12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
こうした中で、日本の各地の名所、旧跡などで、美麗な錦繍(きんしゅう)の情景が、
テレビなどで放送されたりし、私も過ぎ去りし日々に旅先で観た光景も重なり、
確かに綺麗な情景だ、と思ったりしてきた。
古来、日本の幾数千年に及び常緑樹、落葉樹の森や里に恵まれた中、
人々はそれぞれ育(はぐく)み、生活を営んできた。
そして特に室町時代の頃から権力者に命じられ中で、作庭師たちは英知とたゆまぬ研鑽で、
日本の各地に四季折々の情景を独創的な形で作庭し、この中の一部が今日の名所、旧跡となっている。
もとより時代を超えた山間の情景、そして名所、旧跡は突出した情景に数多くの人に確固たる美を感じさせる。
このようなことを私は若き日の20代の頃から思ったりしてきた。
私は自宅の小庭に経済力に乏しく、やむなく落葉樹を中核に植えて、
35年を超えて、四季折々の情景と共に過ごしてきた。
或いは通勤、散策、買物の時などは最寄りの住宅街の歩道、旧街道、遊歩道などの場所を歩いたり、
ときには小公園、大きな都立公園などを訪れてきた。
こうした中で、過ぎし日の思いが突然に甦(よみが)ったりして、微苦笑したりする。
幼年期に母や叔母に手を引かれて歩いた場所や少年期にあてどもなく近くを歩き廻った所、
或いは失恋して途方にくれて歩いた場所など生家に近い私の自宅の周辺をひたすら歩くことが多い。
そして日々の生活を過ごしている中、このような近い場所にこんなに美しい状景があったの、
と思いがけない光景にめぐり逢ったりしている。
昨今の私は、名所、旧跡などを訪れるのもよいが、
住まいの近くを歩いたりし、過ぎゆく錦繍(きんしゅう)の情景を過ごしている。
たまたまデジカメを19日に買い改めたので、つたない技量と不慣れな液晶画面を頼りに、撮ったりしている。
自宅のくに流れる野川の川沿いの遊歩道、隣接した『喜多見ふれあいひろば』の小公園があり、私の散策の好きなコースのひとつで、
週に3回ぐらい歩いたりしている。
ときには幼年期に遊んだ霞嶺(かすみね)神社に四季折々に訪ねたりしている。
日常の買物コースのひとつに、欅(ケヤキ)の樹があり、早春の芽吹きの時から冬木立まで、
私は見たりしている。
このように年金生活の中、過ぎし日々に愛惜を深めたり、予期せぬ情景にめぐり逢ったりして、
過ぎゆく今年の錦繍(きんしゅう)の時期を過ごしている。
そして誰しもが日常生活の中で、お住まいの地域が愛(いと)おしく、過ぎ去り日々に愛惜を重ねたりし、
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