夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

北海道の洞爺湖、錦繍の時節に滞在旅行した私、心に残る深い思いは・・。

2012-11-06 13:31:12 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
ときおり家内との共通趣味のひとつである国内旅行に行ったりしている。

過ぎし10月22日より、たまたま北海道の洞爺湖の湖畔に建つ観光ホテルに9泊10日で滞在した。
この旅路は、ある旅行会社が指定した航空便で往復して、新千歳空港から往復の送迎バスで宿泊滞在している間で、
周辺の観光地を自在に観て下さい、というフリープランのひとつであった。

私たちは夫婦は北海道の旅路は、何かと心身波長に合い、春、夏、秋そして冬に各地を幾たびか訪れてきたが、
たまたま道内の洞爺湖は、通過点のように通り過ぎりばかりであったので、
洞爺湖の湖畔に建つ観光ホテルに滞在して、未知の洞爺湖はもとより周辺の観光地を訪れよう、
と私は家内を誘ったりした。

そして10月下旬に道内のこの地域を訪れる場合は、平年ならば晩秋の時節と思い、
落葉樹のたわわな葉が朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍は終わりを告げて、
葉が舞い散り、落ち葉を踏みしめて、この地の観光地を歩くことになるだろう、と私は思いを馳せたりした。

しかしながら、初めて洞爺湖の地を訪れると、平年より数週間遅い秋たけなわの情景であった。
そして私たち夫婦は、あまたの落葉樹の葉が朱紅、紅色、淡い黄色、黄色に染められてゆく錦繍の情景の中で、
私たちは幾たびか散策をしながら、心奥深く情感を重ねた。

誰しも旅行を終えて帰宅後、何かと旅先の思いを話し合ったりされると思われるが、
私たち夫婦も旅を終えた後に、あの時は・・と談笑しているのが昨今でもある。


宿泊した観光ホテルは洞爺湖の湖畔に建つ『湖畔亭』であり、
私たち夫婦は5階のある指定された和室は10畳であり、その前に3畳ばかり広さで椅子とテーブルが置かれ、
そして湖面に面したベランダの3畳ぐらいであった。

そして私たちは椅子に座ったりして、ベランダ越しに、
円形のような洞爺湖の中核には、中島と総称されている大島、観音島、弁天島、饅頭島の4つの島が浮かび、
左方の遠景にときおり蝦夷富士と称されている羊蹄山(ようていざん)が雄大に聳え立ち、
左岸、右岸にも湖岸から山里の情景が観え
洞爺湖の湖水の色合いは早朝、午前のひととき、昼下り、そして夕暮れは、
陽射し、雲の流れと共に蒼色、青色、淡き青色に変貌し、幾たびか私は長らく眺めも見飽(みあき)ることのない美景であった・・。

《画面をクリックしますと、拡大されます》

こうした滞在をしている中で27日には、快晴の中、『西山火口散策路』を訪れた。
前方の彼方に火山ヘの路が視え、その後はゆるやかな石段を登ると、
隆起したアファルト道路が隆起し、廃道となった道を見ながら、私たちは歩いた。

この道も2000年3月に噴火した際、地殻変動により盛り上がった地面であり、
まもなく展望台の第一、第二からは、火口を間近でみられ、
地熱、噴煙など、噴火の甚大さを感じることができる所であり、
第二展望台から下山のように長く整備された散策路も歩いたりした。

そして2000年3月に噴火した時、1977年の噴火時、昭和新山の噴火時、そして明治期の噴火の跡も
学んだりした、2時間ぐらい歩き廻ったりした。
この後、下山した散策路の途中、群生した薄(ススキ)は白い穂をなやびかせ、
落葉樹は黄色、朱紅色に染めらる中、赤トンボが悠然と飛び回っていた。

前方には洞爺湖の左岸の山里、遥か彼方の遠方には蝦夷富士と称されている羊蹄山が雄大に聳え立ち、
圧倒的な展望に私は絶賛したりした。

散策路を歩いているのは家内であり、平素は私が2メートルぐらい後方でいて、
ボディガート兼お供で買物などに行ったりしているが、風景写真を撮りたくて、このような情景となった。

29日は晴れ渡った朝を迎え、私たちは湖畔の左岸の幾つかの公園を歩くことにした・・。
噴火記念公園を始め、幾つかの公園を歩くと、
シラカンバ、ミズナラ、カツラ、ナナカマド、モミジなどが色合いを染め、
私たちは錦繍の世界を享受した。
その後、公園は途切れたので、やむなく道の歩道を歩いている一葉を情景である。


このような情景写真を三葉を掲載したが、もとより旅先の魅力のひとつは未知の人との出会いである。
今回のフリープラン滞在旅行で、たまたま私たちと同行となったのは、11名であった。
私たち夫婦を含めて男性が5名で、女性6名で、60、70歳代の方ばかりの上、
何よりも私たちだけが夫婦で、いずれも《おひとりさま》であり、
私たち夫婦はグループ参加の旅としては初めてであった。

この同行した方たちと、滞在している観光ホテルのロービー、食事処、
帰路の送迎車の車内などで幾たびか談笑したりした。

そして私は観光ホテルのロービー、喫煙室などで、見知らぬ札幌の35歳前後のご夫婦と15分ばかり、
別の日にもやはり20分ばかり60歳ぐらいの小樽市にお住いのご婦人と談笑したりした。

或いは26日に『登別 洞爺 楽しみ探検号』と特別企画のバス観光地周遊コースに於いて、
洞爺湖温泉ターミナル ~ 昭和新山 ~ オロフレ峠 ~ 登別ターミナル ~ 白老ポロトコタン、
このようなコースを運行する経路で、
30人乗りぐらいの中型バスであったが、乗客は私たち夫婦と25歳前後の青年だけあった。

そして温和な60代のドライバーさんの解説を聞いたりし、
やがて登別ターミナルで青年は下車すると、
私たち夫婦は貸切専用バスとなり、ドライバーさんとお互いに談笑を重ね、
互いに日常の生活状況まで語り合ったりした。

そして鮮烈なのは、『西山火口散策路』の入口に近い処で、
廃材を活用した小屋風の前で、卵、皮ごとに焼いたトウモロコシ、そしてジャガイモなどを
石焼きをしている賄(まかない)して下さる中年のご婦人と、
そして経営者の70代の男性と私たち夫婦は、二度ばかり訪れて談笑したりした。

私たち夫婦は、四季折々の情景に魅せられて旅を重ねてきたが、
見知らぬ人と偶然に語り合うことも、旅の思いが深まるのである。

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