私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
今朝、ぼんやりと家内とNHKのテレビ・ニュースを視聴していると、
《本日は『いい夫婦の日』の日を迎えていますが・・》
とキャスターのひとりが発言されて、夫婦のあり方について小特集されていた。
私は68歳で、家内はまもなく63歳となる身であるが、
『いい夫婦の日といわれてもなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、家内に話しかけたりし、いつものように旅先のこぼれ話しなどを談笑したりした・・。
私がこの広い空の下で家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。
妹は1969〈昭和44〉年の秋に嫁ぐこととなり、結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。
こうした時、義父と何かの時に、文學のことが話題となった。
この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
余暇は10畳の書斎の中で過ごし、ある地方の文学誌に寄稿されている方で、
私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
やはり永井荷風は群を抜いた文士でした、と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。
こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975〈昭和50〉年の秋であり、私たちは交際をはじめ、この年の12月15日に婚約するために、
両家の結納となった。
その後、私たちは結婚日の日取り、結婚式場、新居の場所、荷物のことなどで、行き違いが発生して、
両家からの意向から、大波、小波に揺れたりした。
そして何とか1976〈昭和51〉年3月30日に結婚式、披露宴を終えて、
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、情報畑でシステム改定をしていたので多忙期であり、
短めな新婚旅行から帰宅し、賃貸マンションで新たな人生をスタートした。
私はサラリーマンの身であったが、もとより生計の責務で孤軍奮闘し、
家内は専業主婦で、私に従順な新妻であった。
その後、新居の件で色々と思案したが、結果として私の生家の近くに空き地があったので、
この地に一戸建てとした。
家内は中学生の頃から茶事を習い、その後の私たちの生活の合間に、
先生の元に週一度通って修業していたので、私としては住宅関係で多大な借り入れ金をするので、
若さ勢いで母屋の部屋は一室増やして、茶室とした。
こうした結果、作庭の経費もなくなり、やむなく私の月給分ぐらいで雑木を中核としたり、
私は奮戦しても家計は赤字が多く、突然に家内はデパートに契約社員として働き、
我が家は共稼ぎで何とか安泰し、三年後に家内は専業主婦に復帰して、今日に至っている。
こうした間に、私たち夫婦は子供に恵まれなかった。
ある日に叔母の入院見舞いに病室に私たち夫婦が訪れたた時、
貴方の幼年期に《おたふく風邪》の影響かしら、と教示され、
そして無知な私は恥ずかしくもあり、少し遠方の病院で検査を受けたりした。
そして診断の結果としては、精液の量は普通ですが、やや精子が少ない、と医師から告げられた。
帰宅後、私は家内に包隠(つつみかく)すことなく伝えたりした。
色々と対策を医師から提示されたことも私たちは話し合ったりしたが、
結果としては自然のままの性愛の結果にゆだねるとした。
このような状況で、私は40歳過ぎた頃になった時、
私たち夫婦は子供のいない家庭に違和感もなく過ごしたりし、今日に至っている。
私が40代の時、会社でヨーロッパ研修の選抜に私は敗退し、
私は自宅の居間で家内に打ち明けたりし、涙を浮かべたりした。
このような私たち夫婦の日常を、くまなく見ていたのは、
居間の片隅に置いてある《ぬいぐるみ》の洗いガエルである。
この《洗いガエル》は、私たち夫婦が新婚の生活を始める準備をしていた時、
電気洗濯機を買い求めに、最寄りの家電量販店に行き、
たまたま家内があるメーカーの気に入った洗濯機の内部に、
宣伝キャラクター商品として添付されていた《ぬいぐるみ》であった。
この《洗いガエル》は、少し凹(へこ)んだりしているのは、
家内が日中のひととき、昼寝をした時に枕の代わりにして、少し歪(ゆが)んでしまったり、
少し汚れているのは私たち夫婦の37年を見続けて、少しへたばっているからである。
私の定年退職後、年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
そして家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行き、孤軍奮闘をしているのが定年後の状態でもある。
この間、私としては『おひとりさま』の生活となっているが、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良し恋し、と好評を頂いている私たちでも、
実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。
このように私は、『いい夫婦の日』といわれても、どのようなご夫婦のことなの、
と微苦笑を重ねたりしている。
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今朝、ぼんやりと家内とNHKのテレビ・ニュースを視聴していると、
《本日は『いい夫婦の日』の日を迎えていますが・・》
とキャスターのひとりが発言されて、夫婦のあり方について小特集されていた。
私は68歳で、家内はまもなく63歳となる身であるが、
『いい夫婦の日といわれてもなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、家内に話しかけたりし、いつものように旅先のこぼれ話しなどを談笑したりした・・。
私がこの広い空の下で家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。
妹は1969〈昭和44〉年の秋に嫁ぐこととなり、結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。
こうした時、義父と何かの時に、文學のことが話題となった。
この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
余暇は10畳の書斎の中で過ごし、ある地方の文学誌に寄稿されている方で、
私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
やはり永井荷風は群を抜いた文士でした、と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。
こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975〈昭和50〉年の秋であり、私たちは交際をはじめ、この年の12月15日に婚約するために、
両家の結納となった。
その後、私たちは結婚日の日取り、結婚式場、新居の場所、荷物のことなどで、行き違いが発生して、
両家からの意向から、大波、小波に揺れたりした。
そして何とか1976〈昭和51〉年3月30日に結婚式、披露宴を終えて、
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、情報畑でシステム改定をしていたので多忙期であり、
短めな新婚旅行から帰宅し、賃貸マンションで新たな人生をスタートした。
私はサラリーマンの身であったが、もとより生計の責務で孤軍奮闘し、
家内は専業主婦で、私に従順な新妻であった。
その後、新居の件で色々と思案したが、結果として私の生家の近くに空き地があったので、
この地に一戸建てとした。
家内は中学生の頃から茶事を習い、その後の私たちの生活の合間に、
先生の元に週一度通って修業していたので、私としては住宅関係で多大な借り入れ金をするので、
若さ勢いで母屋の部屋は一室増やして、茶室とした。
こうした結果、作庭の経費もなくなり、やむなく私の月給分ぐらいで雑木を中核としたり、
私は奮戦しても家計は赤字が多く、突然に家内はデパートに契約社員として働き、
我が家は共稼ぎで何とか安泰し、三年後に家内は専業主婦に復帰して、今日に至っている。
こうした間に、私たち夫婦は子供に恵まれなかった。
ある日に叔母の入院見舞いに病室に私たち夫婦が訪れたた時、
貴方の幼年期に《おたふく風邪》の影響かしら、と教示され、
そして無知な私は恥ずかしくもあり、少し遠方の病院で検査を受けたりした。
そして診断の結果としては、精液の量は普通ですが、やや精子が少ない、と医師から告げられた。
帰宅後、私は家内に包隠(つつみかく)すことなく伝えたりした。
色々と対策を医師から提示されたことも私たちは話し合ったりしたが、
結果としては自然のままの性愛の結果にゆだねるとした。
このような状況で、私は40歳過ぎた頃になった時、
私たち夫婦は子供のいない家庭に違和感もなく過ごしたりし、今日に至っている。
私が40代の時、会社でヨーロッパ研修の選抜に私は敗退し、
私は自宅の居間で家内に打ち明けたりし、涙を浮かべたりした。
このような私たち夫婦の日常を、くまなく見ていたのは、
居間の片隅に置いてある《ぬいぐるみ》の洗いガエルである。
この《洗いガエル》は、私たち夫婦が新婚の生活を始める準備をしていた時、
電気洗濯機を買い求めに、最寄りの家電量販店に行き、
たまたま家内があるメーカーの気に入った洗濯機の内部に、
宣伝キャラクター商品として添付されていた《ぬいぐるみ》であった。
この《洗いガエル》は、少し凹(へこ)んだりしているのは、
家内が日中のひととき、昼寝をした時に枕の代わりにして、少し歪(ゆが)んでしまったり、
少し汚れているのは私たち夫婦の37年を見続けて、少しへたばっているからである。
私の定年退職後、年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
そして家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行き、孤軍奮闘をしているのが定年後の状態でもある。
この間、私としては『おひとりさま』の生活となっているが、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。
我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良し恋し、と好評を頂いている私たちでも、
実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。
このように私は、『いい夫婦の日』といわれても、どのようなご夫婦のことなの、
と微苦笑を重ねたりしている。
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