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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

佐野眞一氏に『沖縄の・・戦後史 』を教示され・・。

2008-11-25 18:23:34 | 読書、小説・随筆
私は11時過ぎに、晩秋の陽射しの中、郵便局、スーパーの二店を廻り、
買物や散策をした。
モミジが朱色や朱紅色、そして紅色に色合いを深めた中、歩いたりしたが、
晩秋の情景が心に染めらるようであった。

帰宅後、我家のモミジは、まだ淡い朱色であることに眺めたりした後、
午後のひととき、ここ数日熱中している佐野眞一・著の
『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を読みはじめたのである・・。

私のこれまでの沖縄と奄美本島との関係を何かの本で学んできたのは、
アメリカ軍が奄美本島は山間部が多く、戦闘し占領しても利用価値が少なく、
こうした状況下で過酷な戦地から免れたこと。
その後、敗戦後の沖縄本島で沖縄人の下で、奄美人が冷遇され働いた・・
この程度の拙(つたな)い知識であった。

佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の中、
私は遅ればせながら教示されたのである・・。

【・・

軍政下の奄美はいわば日本とは”異国”となり、
鹿児島などへの渡航はすべて密航扱いとなった。
奄美住民の目はいきおい、同じ米占領下にあった沖縄に向かわざるを得なかった。

ましてや米軍基地建設ラッシュに沸く当時の沖縄は、
働く場所にもありつけず食うや食わずの状態に置かれた奄美住民にとって、
願ってもない働き口となった。

北に行けば密航者として裁かれ、
南に行けば基地ブームで一旗揚げられる。
沖縄のように熾烈な戦闘もなかった奄美を占領したのは、
安価で豊富な基地建設労働力を狩り出すため、
アメリカがあらかじめ仕組んだ高度な植民地政策だったともいえる。
・・


注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。


私はこうした本書の一節を読むと、しばらく唸(うな)ったのである。

そして私は佐野眞一氏に導かれて、午後のひととき次節を読んだりしている。



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雨上がりの朝、陽射しは眩(まぶ)しく・・♪

2008-11-25 08:08:07 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、昨日の午後2時過ぎに雨が降りだし、
早朝に止(や)み、雨上がりで風もなく暖かく感じたり、
清々しい庭を眺めたりしていた。

7時過ぎから、陽射しが射し込んで、眩しげに私は見つめたりしている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは7度、日中も14度前後の陽気に恵まれ、
夜の6時は10度前後が予測され,その後の9時過ぎに雨と予測され、
この時節としては暖かでおだやかな日中を迎える。


私の住む地域は、落葉樹の朱紅色、紅色、黄色に色合いを深めているが、
散りはじめた樹木もあり、地上はそれぞれの落葉で彩(いろど)って折、
それなりの情景となっている。

私は先ほどから、淡黄色に染められた白梅を見つめているが、
雨粒を湛えた小枝に朝の陽射しを受けて、光帯びている。
このような光景を眺めたりすると、時が止まったように感じたりしている。


私は年金生活の64歳の身であるので、
日中のひととき、いつものように買物、散策をしたりして、
晩秋の陽射しの中、名残りの錦繍の情景に心を寄せようとしている。



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