夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

今、読んで見たい佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』

2008-06-04 17:30:26 | 読書、小説・随筆
過日、読売新聞の『新潮社の最新刊』の広告として、
私はひとつの本の広告を見ていた・・。

佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』であり、

炙り出される「負の近現代史」

”従来の甘粕像”をことごとく覆す、
  衝撃の大河ノンフィクション!


と明示されていた。

私は著作者の佐野眞一氏の愛読者のひとりであるが、
近いうちに駅前に出た時に、買い求める一冊であった。

先程、【YOMIURI】のサイトの文化欄を見ていたら、
偶然に著作者の今回の新刊に寄せる思いが、
少し紹介されていた。


http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080604bk01.htm

私は著作者の数々の作品より、人の底知れる情念を学び、
怜悧までに真摯な徹底した取材、
そして行間に温かみのある著作者の主人公への思いを、
いつも感じ取りながら、読んだりしている。

現世に数多くのノンフィクション・ライターは存在しているが、
私の知る限り最も力量のある優れた作家と確信している。


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今、読んで見たい佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』・・♪

2008-06-04 17:16:00 | 定年後の思い
過日、読売新聞の『新潮社の最新刊』の広告として、
私はひとつの本の広告を見ていた・・。

佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』であり、

炙り出される「負の近現代史」

”従来の甘粕像”をことごとく覆す、
  衝撃の大河ノンフィクション!


と明示されていた。

私は著作者の佐野眞一氏の愛読者のひとりであるが、
近いうちに駅前に出た時に、買い求める一冊であった。

先程、【YOMIURI】のサイトの文化欄を見ていたら、
偶然に著作者の今回の新刊に寄せる思いが、
少し紹介されていた。


http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080604bk01.htm


私は著作者の数々の作品より、人の底知れる情念を学び、
怜悧までに真摯な徹底した取材、
そして行間に温かみのある著作者の主人公への思いを、
いつも感じ取りながら、読んだりしている。

現世に数多くのノンフィクション・ライターは存在しているが、
私の知る限り最も力量のある優れた作家と確信している。


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過去は、懐(なつ)かしく、そして愛(いと)おしく  《初出2008.1.13.》

2008-06-04 14:51:54 | 幼年・少年時代の想いで
母の命日に私達夫婦と妹2人で、お墓参りした後、
駅前に近いイタリア料理店で昼食とした。

このレストランは、末妹が偶然見つけた料理店で、
私達は気に入り、ほぼ毎年利用している。

ある程度の赤、白のワインを呑みながら、コース料理を頂くのだが、
気心知れた私達4人は、
一年に一回のささやかに母を偲(しの)ぶ集(つど)いであるので、
話題は生前の母のエピソードが多かった・・。


私は昭和19年に農家の三男として生を受けたが、
小学2年に父に死去され、まもなく祖父も亡くなり、
技量の必要とされた農家は没落しはじめた・・。
母は嫁ぐ前の叔母2人とで、
私達兄妹を何とか世間並みに願いながら育ててくれたが、
困窮した生活は隠せる状況ではなかったのである。

こうして私の小学生時代は、母、叔母達に見守られながら過ごした・・。


私は亡き母の死生観を話していた時、
ふと祖父の妹の方を想いだした・・。

私達が最も生活に困窮した時、あの頃、
このお方は頻繁に来宅し、私と妹の2人に何かと面倒を見てくれたのである。

このような話題になると、
あの叔母さんには特にお世話になった、
と私達は話し合った。

私達は多くのお方に見守れながら、
今は世間並みの生活を送ることが出来ているが、
過ぎ去った困窮した時代は、懐かしく、愛(いと)おしくも感じられ、
お互いに、あの時は、と話し込んだりした。




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寒気のつつまれ、お墓参り・・♪ 《初出2008.1.13.》

2008-06-04 14:49:18 | 定年後の思い
東京の郊外は、曇り空で風が吹いて、
体感としては今年一番の寒さである。

日中は快晴となるが、6度前後であるが、北風が1日吹くと予測されて折、
やはり大寒に向かう時節なので、寒の内と心身受け止めている。

昼時、妹の2人と私達夫婦は、お墓に近い駅で待ち合わせ、
母の命日であるので、墓参し、昼食をする。

ここ4年ばかり恒例となっているが、
お互いに勤めていたので、命日の前の休日が多かった。

お互いに60前後の身となっているが、
亡くなった母に見守られて、今日に至っている。

私達はお互いに幼年期より『ちゃん』付けで呼び合っているので、
ワインなどを呑みながら昼食を頂き、
『XXちゃん・・あの時は・・』
と話しかけたりしているのである。


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国民の多くは、羊の群れ・・!? 《初出2008.1.12.》

2008-06-04 14:33:57 | 時事【社会】
   序章

私は東京の郊外に住むサラリーマン生活を卒業した年金生活の4年生である。

久しぶりの雨の降るのを眺めながら、
日本の数多くの国民は、果たして羊のような従順と人達かしら、
と考えていたのである。

私にしては、稀(まれ)な思索であるが、
根源は今朝に読んだ記事のひとつが、無知な私さえ、
考えさせられたのである・・。

今月の『文藝春秋』の中で、
日本金融財政研究所・菊池英明・所長により、
『大増税が医療・年金を破壊する』と題された記事が掲載されていた。

副題として、《財政危機はウソだ。
世界一の医療を守るには・・》
と明示されて、記事の根幹をなすのは、
財政再建と医療・年金制度の具体的な建て直し論を提示されていた。

財政、社会保障などに関し、私のように素人で少し惚(ぼ)けた人でも解かりやすく、
このような提案内容は、国からも提示されたこともなく、
国民のひとりの私は騙(だま)されたのかしら、
と思いながら、精読し、そして考えさせられたのである・・。



  第一章


日本金融財政研究所・菊池英博・所長の財政再建と医療・年金制度の立て直し論は、
無知な私でも、数多く教示され、
単なる『文藝春秋』の読者だけでは、宝の持ち腐れと思い、
あえて国民の多くの人に知って頂きたく、
無断であるが記事の引用、要約をさせて頂きます。




財政危機が叫ばれて10年。
・・財政破綻を恐れているうちに、肝心の日本経済が縮小し、地割れしてしまった。
緊縮財政路線は、日本全体が貧しくなっていく道だったのである。

日本経済の最大のリスクは、
財政危機(増大する債務)ではなく、経済的な無策(政策危機)だった。
それでもなお財務官僚は、2011年に基礎的財政収支を均衡させる、と唱え、
天下りなどの自らの権益を死守したまま、
大増税を強行しようとしている。



記事の最初は、ここ数年の日本の医療システムの崩壊を具体的に明示され、
世界の主要国との『医療費のGDP率』の表を掲げられ、日本は少なく、
肝要の国民皆保険制度の危機を記載されている。

そして、アメリカ型の医療の悲惨さを憂(うれ)い、
そしてイギリスのサッチャー首相時代の医療危機なども載せられた上、
今後の日本の医療システムの崩壊しつつある未来に諸問題を明示し、解決策を提示している。




・・以上を論じると、読者の中には、
「医療費の増大? 公的支出5兆円? どこでそんな財源があるのか。
そもそも医療費こそ財政赤字の原因ではないか」
と思われる方もいるだろう。

そこに、「『財政危機』という罠」がある。
「日本は深刻な財政危機にあり。
それを解決する為に、支出を出来るだけ抑え、
足りない分は増税でまかなうしかない」
という発想がある。

私は、逆にこの発想こそがすべての誤りのもとであり、
日本経済の長い低迷の元凶だと考えている。

・・

この後、公的医療の負担が、財政赤字の原因になるか、
欧米の主要国と比較し、主要国は日本より医療費を多くしているが、
日本より財政状況が良好と明示し、
「医療費が日本の財政赤字の主因である」・・
という政府の説明は、事実に反する詭弁で・・

財政上の理由から、
医療費の削減する根拠はない・・





   第二章

私がこの真摯な提言の中で一番衝撃だったことは、
日本は「財政危機」ではない、
と明言され、具体的に明記したことである。




・・財務省は現代、
「日本は834兆円もの債務を抱えている。
これはGDPの160%にものぼる危機的数字だ」と喧伝し、
国民の間でも、「財政危機」はもはや常識として染みこんでしまっている。

それに対して、
「日本は本当は財政危機ではなく、むしろ公的支出を増やすべきだ。
そのための財源は豊富にある」・・




そして、欧米の金融関係者の発言も加え、日本と欧米の認識度の根本的な違い明示している。




・・まず債務の考え方が違う。
日本の財務省が主張する「834兆円」は、「粗債務」であるのに対し、
国際的には一国の債務を的確に判断するには「純債務」を使う。

・・日本政府の持つ金融資産(社会保障基金、内外投融資、外貨準備金)は、
2005年末に発表された額で538兆円、
2007年の時点では、私の推計で580兆円にのぼる。

それを粗債務(借入金、国債、財投債、政府短期証券)から差し引いた純債務は・・
日本の債務は254兆円と、およそ3分の1に・・
日本ほど政府が多額の金融資産を保有している国はなく・・
欧米諸国でGDPの15~20%程度であり、
日本は何とGDPを超える規模の金融資産を抱えている。
・・



そして別の証言者として、政府の税制調査会長を10年間務められた加藤 寛・氏の発言で、



2005年12月14日付の産経新聞「正論」欄で、
「(日本の)純債務は250兆円程度」
「債務の半分は二重記帳」
「日本は財政危機ではない」
と述べており・・



現時点でもこの指摘はズバリと当てはまる、
と明記している。




・・財務省自身、日本が財政危機でないこともよく承知している。

2002年4月、アメリカの国債格付け会社が、
一斉に日本国債の格付けを引き下げた。

この時、黒田春彦・財務官(当時)は、
「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債は殆ど国内で消化されている。
また世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備高も世界最高である」
と意見書を格付け会社に送りつけた。

・・つまり、政府は自ら「純債務で見れば日本は財政危機ではない」
ことを認めていたのだ。

その一方で、「債務は834兆円」と叫び、
医療崩壊を招くほど緊急財政を続け、大増税さえ目論んでいる。

外国向けと国内向けとを使い分けて、
国民を欺く2枚舌としかいいようがない



この後、「小さすぎる」政府では景気が悪化するばかりで、
日本の現状の問題点を明示し、緊急財政と増税路線(定率減税廃止)を止めて、
減税、公共投資などの景気振興策を提言している。

財源として、政府の金融資産260兆円を運用益を活用すれば十分、と提言されている。

そして外貨準備金などの運用益だけでも年間に5~6兆円あるので、
様々な活用さえすれば、活性化になる、
と明記されている。

そして、最後に、



・・いまこそ緊急財政から積極財政へ、経済政策を大転換する時期である。
財政危機の呪縛から脱皮して、
基礎的財政収支を2011年に均衡させる方針を凍結させ、
我々国民が蓄積してきたおカネを使って、
景気振興策と医療・年金・生活保護などのセーフティ・ネットの拡充につとめるべきだ・・




と提示している。


              
  最終章

日本金融財政研究所・菊池英博・所長に寄る
財政再建と医療・年金制度の立て直しの提言を、
大幅に引用させて頂き、要約してきたりしたが、
せっかくの真摯なご提案であっても、
政府、そして国民の賛同がなければ実現不可能である。


日本国憲法に於いて、前文の中で、

・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。・・


そして第25条では、

すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2 国は、すべての生活部面について、
社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


と日本人の憲法には明示されている。


しかし、それぞれの思惑で選挙民の清き一票の結果、
国の今後の方針、運営を信任された国家議員に託し、
官僚と共に行使されている実態である。

政界、官界に心に節度を願いながらも、
ともすれば国民の念願から遊離することもあるので、
悩ましいことと思っている。

日本人の数多くは、私と同じ様に羊のようにおとなしいので、
さて日本の先は・・と憂(うれ)いているのが本音でもある。


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東京の郊外は、雨の日中となり・・♪  《初出2008.1.12.》

2008-06-04 14:31:28 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、早朝はどんよりとした曇り空で、
遅ればせながら先程より小雨が降りだしてきた・・。

ときおり微風が樹木の葉を揺らいでいる程度で、
乾気の時節であったので、樹木の枝葉、地上の黒土もしっとりとし、
清々しい潤(うるお)いの情景となっている。

雨の日中となり、6度前後の寒い日となるが、
夜半に止(や)み、明日は冬晴れが予測されている。

三連休の方も多いと思われるので、
年末年始の休暇後、勤めて1週間で何かとお疲れと思いながら、
人々には安息、樹木などの外気には潤(うるお)いかしら、
と私は和(なご)み、ときおり小雨の舞降る空を見つめたりしている。



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ときには、『死のまぎわぎ』を考えさせられて 《初出2008.1.11.》

2008-06-04 14:29:14 | 定年後の思い
昨日、発売されて総合月刊雑誌の『文藝春秋』に於いて、
今回の2月特別号としての特集記事のひとつとして、
『見事な死~著名人52人の最期~』がある。
肉親、知人の方が語られたドキュメント形式で掲載されている。

昨日から読んだりしているが、
副題として《阿久 悠から黒澤 明までの・・》
と明示され、各界の人が選定されていた。


私は政界、財界、スポーツ界の人々には、興味が薄く、
作詞家、作家、映画監督、俳優、女優などの創作、表現力が要求される人々に関心がある。

このような思いで、こうした分野で活躍された人の最期を読んだ限り、
やはり作家・城山三郎の最期には、心を揺すぶられ、そして感銘を受けたりした。

語られたのは次女のお方であるが、娘から見た父の死後まもない時の表情を、
的確な言葉で表現できた内容は哀切以上の感がある。


残念ながら著作権の関係により、記事の引用は出来ないが、
私は城山三郎に関しては、このサイトで数多く綴っており、
慈父のようなお方と尊敬しているひとりで、
亡くなわれてから、まもなくした時、
次女のお方が思いを『文藝春秋』等で掲載された読んだりし、
涙ぐんだりした。

作家・城山三郎のご自身の真の心の拠り所は・・教示させられ、
人生を春の陽射しと薫風のような爽やかな風を残された人だった、
と改めて感じたりしている。

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『たちならびの日』の朝を迎えて・・♪   《初出2008.1.11.》

2008-06-04 14:27:19 | 定年後の思い
東京の郊外は、おだやかな朝の陽射しが射しこんでいる。

1月11日なので『たちならび』の日、と先程、テレビで視聴して、
私は生まれて初めて知った言葉である。

ほんのささいなことであるが、齢を重ねても初めて知ることは、
何かと嬉しいのである。

午後より曇りで、夜から雨が降り続き、
明日の雪の予測が雨に変りました・・、
と天気予報が報じていた。

サラリーマンの多くの人は、明日より三連休と聞き、
年末年始の休暇後、1週間を頑張った後のことであるから、
ご当人は何かとほっとされているのが本音かしら、
と私の現役時代も想い出して、感じているのである。

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『私を忘れないで・・』・・!?   《初出2008.1.10.》

2008-06-04 13:33:07 | 現役サラリーマン時代の想いで
東京の郊外は、週末の12日の土曜日、
雨のち雪、と天気予報が報じられているので、
私は少し驚いている。

平成10年に母が亡くなった時に近い日であり、
母のお通夜の当日は、この地域としては珍しく15センチ前後の風まじりの大雪となった。
公共の交通機関も支障が出たり、
ご近所のお方の尽力で、実家、周辺の雪かきをして頂いたりした。

翌年の1周忌の法事の日には、
粉雪が舞い、私達兄妹は、親戚、知人の方達には来て頂くのに、
と心配したりしていた。

お墓のあるお寺で法事が終り、ふるまいの会場に向かう時、
相変わらず粉雪が舞い降りていた・・。

叔母と妹の2人で私は歩いていたが、
『お母さん・・私を忘れないで・・と降っているのかしら・・』
と私は不謹慎ながら云った。

『そうよねぇ・・義姉さん・・苦労が多かったから・・
天上の神様・・覚えていたのよ・・』
と叔母は私に微笑んだ。

私と妹は微苦笑し、粉雪舞降る空を見上げ、そして会場に急いだ。


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東京の郊外は、おだやかな陽射しに恵まれて 《初出2008.1.10.》

2008-06-04 13:31:16 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、この時節にしては暖かい朝となり、
冬の陽射しが射しこみ、のどかなひとときを迎えている。

日中は10度前後の陽気に恵まれ、この時節としては平年並みであるが、
明日の午後より週末は寒さを増す、と報じている。

私は冬の陽射しの中、駅前まで散策し、本屋に寄り、
本日発売の総合月刊雑誌の『文藝春秋』等を購入した後、
コーヒー・ショップの『ドトール』で、コーヒーと煙草を友としながら、
そっと本を開く・・・
毎月のことながら、私の好きなひとときである。

その後、遊歩道を歩いたりして冬の花を観たり、
陽射しを受けた落葉樹を眺めたりする予定である。

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冬の花、山茶花(サザンカ)、そして藪椿(ヤブツバキ) 《初出2008.1.9.》

2008-06-04 13:29:05 | 定年後の思い
私は新年からの散策や買物をした時に、
白、淡紅色、ビンク色した可憐な山茶花の花を観たり、
椿の幾分小さめの朱紅色の藪椿の花を眺めたりすることが多い。

この時節、遊歩道の花も少なく、
つい山茶花、藪椿に目がいってしまうのである。

本日の日中も買物に行き、
今年初めての野菜以外の日常の食料品を購入した後、
小公園の横を通り過ぎると、山茶花と藪椿の花に出逢えるのである・・。

私は年金生活の63歳の身であるが、
山茶花は女性、少女、少年の眺める花であり、
藪椿こそは大人の男性でも、感銘を受けて、そして心寄せられる冬の花のひとつ、
と改めて感じたのである。

我家では残念ながら山茶花はなく、陽当たりの悪い処に藪椿はあるが、
まだ莟(つぼみ)は固く、待ちわびているのが本心である。

そして純白で清楚な白玉椿(シラタマ・ツバキ)は、
白梅、紅梅と共に私の最も好きな樹木の花であるが、
あと数週間過ぎれば、庭を彩(いろど)るかしら、
と煙草を喫いながら、ときおり眺めたりしている。


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東京の郊外は、霞(かすみ)のような朝を迎えて 《初出2008.1.9.》

2008-06-04 13:27:12 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、暖かい空気につつまれて朝を迎えている。

曇り空であるが、何となく春の霞の朝と同じかしら、
と感じているのである。

私は煎茶を淹れながら、


♪かすみか雲か はた雪か
 とばかり 匂う その花ざかり

【 『霞か雲か』 作詞・加部厳夫 】


鼻歌をごく自然に口ずさんだのである。


この後、庭先に下り立つと、煙草を喫いながら、
春の訪れかしら、と思い樹木を眺めたが、梅の莟(つぼみ)は固く、まだ早春前の情景である。

我家に定期便のように飛来する小鳥達は、暖かな空気につつまれて、
ご機嫌が良いようで、盛んに喜びの鳴き声のように聴こえる。

♪百鳥(ももとり)さえも 歌(うと)うなり


東京の郊外は、日中になると快晴となり、
3月中旬のような13度前後の陽気、
と報じていた。

しかし、週末に近づくと、寒さは戻り、平年並みの寒さとなるので、
『霞か雲か』の鼻歌も唄うのは、
私のせっかちな性格でも少し早いかと微苦笑している。




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知人達の年賀状の片隅には・・。  《初出2008.1.8.》

2008-06-04 13:25:25 | 定年後の思い
私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事で彷徨(さまよ)った後、
一年間ほどコンピュータの専門学校で学び、
これを手掛かりに25歳の春にある大手の企業に中途入社することが出来た。

入社し机を並べたのは、新人グループとして、団塊の世代の人が多く、
お互いに交遊を深めたりしていた。

私の勤めていた大手の企業のレコード部門は、外資の影響で幾つかの完全独立となり、
私もレコード会社の社員の一員となった。

平成の初めの頃になると、外資100%のレコード会社も実現し、
外資による利益の追求が厳しくなり、
それぞれの会社が部署間の統廃合、会社間合併、
そしてリストラの一環である人員整理をはじめた。

私の55歳の前後には、早期退職優遇制度が盛んに実施され、
多くの知人がこの業界から去り、送別会などを出席したりした。
私もこの間に出向となったが、何とか定年の60歳を迎えることができた。
この頃までは、それぞれの退職時まもなくして、
挨拶の葉書などを頂いたりしていた。


私は定年退職して、4年生となったが、
ここ4年の年賀状でも、新年の挨拶の横に、

『早期退職をし、OBとなりました』

『昨年の秋、早期退職を致しました』

このように補記されているのが、毎年5通前後ある。

そして何より喜ばしいのは、

『何とか昨年の秋、定年退職をし、ただいまブラブラしています』

『今年の春で、何とか定年退職を迎えることができました』

というのも毎年数通がある。


私はレコード業界の片隅で35年間勤めたひとりとして、
苦楽を共にし、同じ空気を共にした知人には、
愛惜を寄せている。

そして、その当時に流行った音楽などを聴くたびに、
私の現役時代が甦(よみがえ)ったり、知人の顔が浮んだりする。




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天上の母に見守られて、早くも10年・・♪  《初出2008.1.8.》

2008-06-04 13:23:49 | 定年後の思い
ここ数日、妹の2人と母の命日のお墓参りの件で、
電話連絡をしたりしている。

母の命日は一月中旬であるが、私の定年退職後の3年は、
妹の2人と私達夫婦はお墓参りをした後、昼食を食べながら、近況の話などをしている。

母が亡くなったのは、平成10年であり、一周忌、3回忌、7回忌などを
兄妹、親族、親戚、親しい知人とで冥福をしてきたが、
過ぎ去ってしまえば歳月は早い、というのが実感している。


父は私の幼少時代に死去され、
この当時の長兄は中学一年、一番下の妹は5歳だったので、
母の手の下で私達は育てられたのである。

母については、このサイトで私は少なくとも20数通は投稿しているので、
省略するが、哀惜は人一倍深く感じている。

母は亡くなる前の数年前から入退院を繰り返し、
ある程度の覚悟で過ごしていたが、
いざ死去された後、人生の節目、或いはふとしたおり、
『お母さん・・だったら・・どう判断されたのかしら・・』
と私は思いを寄せたりしている。

私はこうした体験から、男性は母親には何時までも思い、
幾つになっても甘えることのできる随一の人であり、
家内とは別の愛情と思っている。



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東京の郊外は、暖かな朝を迎えて・・♪  《初出2008.1.8.》

2008-06-04 13:22:04 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨夕のひひとき小雨が降ったが、1時間ほどで止(や)んだ。

今朝は霜もなく、風もなく、朝の陽射しが前方の空を染めている。

まもなく我家の庭に陽射しが射し込んでくるが、
日中は3月下旬のような陽気の14度前後が予測され、
梅の花の咲く前にどうして、と空を見つめたりしている。

そして、明日も同じ様に陽気に恵まれるので、
白梅の莟(つぼみ)も膨(ふく)らむかしら、と秘かに期待しているのも事実である。



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