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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ピアノの音が聴こえた頃・・♪    《初出2007.8.25.》

2008-05-30 11:17:06 | 音 楽
先程、庭先で樹木を眺めながら、煙草を喫っていると、
近所のお宅からピアノの音色が聴こえてきた・・。

女の子の弾くのは、バイエルの何番かしらと思っていた時、
東京オリンピックの少し前の時代が甦(よみがえ)ってきた・・。


あの頃は私は実家に居て大学生の身であり、
今もあるが程遠くない所に有数な音楽専門大学がある。

近所の家では、親戚の娘さんと云われた方が、下宿していた。

バイオリンの音色が、毎日ある一定の時刻から聴こえはじめて、数時間は続いていた。
練習をしているらしく、今日はスムーズに聴こえている、
と私なりに感じたりした。

まもなく卒業したらしく、音色は途絶えた・・。

数年後、新聞で日本の有数なバイオリニストになった、
と私は知った。


このころ実家の最寄に、音楽家の夫婦が引っ越されてきた。

ご主人は、日本のある交響楽団でオーボエを担当され、
奥様はピアニストである、と風の噂で聞こえたきた。

日中からピアノの音色が聴こえ、
私なりに何回も聴いているうちに、そのピアノ独奏曲を覚えてしまった。
私が10数曲覚えた頃、海外に行かれた、と後日知った。

私が23歳になると、このピアニストは日本の国内の有数なホールで、
ピアノ独奏会を開催するまでになった。

数年後、あるレコード会社でレコードを3枚録音し、
ご主人と離婚されて、少し遠方にある小高い丘陵に一軒屋で過ごされている、
と私は知った。

私は音楽が好きであり、ある程度のレコード、カセット、CD、DVDを所有しているが、
ときおりピアノの楽曲を聴いたりしている。

残念ながらこのピアニストの弾かれたものはなく、
この方が著名になる前、練習で聴こえてきた音色を懐かしく想いだしたりしている。


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夏のひととき、私が涙ぐむ歌は・・♪   《初出2007.8.20.》

2008-05-30 10:46:27 | 音 楽
ときおり私は鼻歌を唄ったりしている。

真夏の時節は、特に私はふたつの歌を心の中で唄ったり、
或いは家の中で、散策の時に人影が少ないときは小声で唄いだす・・。

♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれに さまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水 】

平成3年(1991年)の秋頃、街で流れていた歌である。

私が50歳前後の時であり、世の中はバブルが終焉となり、
数多くの人々の心の痛みを感じた時代でもあった。

私はレコード会社に勤めていたが、
安楽から激動の時代となり、翌年になるとある会社と統合となり、
長年苦楽を共にした人達が分散した時でもあった。
そして一部の方達は、やむえず業界から去っていたりした。


夏の時節、帰省のニュースをテレビで観ていると、

♪兎(うさぎ)追いし かの山
 小鮒(こぶな)釣りし かの川

【 『故郷(ふるさと)』 作詞・高野辰之 】

私はこの歌が連想されてしまう・・。

地方出身の方達が、大都市で勤務し、生活されている方の大半の人々が、
夏のお盆に帰省され、心を癒す、といったことを思いだしてしまうのである。

私は東京の郊外の調布市で、結婚前後の5年以外、
この地で生活している身であるが、
私さえこの地域の変貌に驚いたり、悲しみを覚(おぼ)えたりしている。

小学生の時は通学路は・・下校の寄り道は・・
と当時の情景を思い馳(は)せたりしている。


いずれにしても夏になると、この歌が想いだされ、
過ぎ去った時の愛惜に涙ぐむ時もある。



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改めて、ZARDの坂井泉水からの想いで  《初出2007.8.17.》

2008-05-30 09:39:03 | 音 楽
昨夕、音楽関連のランキング情報と知られている【オリコン】のサイトで、
5月下旬に突然亡くなわれたポップス・グループのZARDの坂井泉水の追悼盤のアルバムの二枚が、
ランキングの1位、2位となったのを知った。

そして、先程配達された読売新聞の夕刊で、
この件に関して、トップ記事となって折、私は微笑みながら、苦笑もし、読んだりしたのである・・。

私はこの方については、旧サイトで綴っているので、
改めて掲載する。


『ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪』  投稿日:2007.5.29.


私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップス・グループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。

私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。

平成5年(1993年)の晩春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代として、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。

私は素人なりに、ZARDの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。

『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。

この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。

結果としは、私は50歳前後で『負けないで』を愛聴し、
出向時代の初め頃、ベスト盤を購入した時は、豪華なジャケットを眺めながら、
あの時代は業界も幸福な時代だった、
と懐かしげに自分の姿を思い浮かべたりした。

そして定年退職後の3年生の今でも、
ときおりアルバムの5枚を聴いたりしている・・。

今回、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心から冥福を祈ったりした。

彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信しているが、
少なくとも私は、幾つになっても時折聴くと思っている。

【注) 私が綴った原文より、補筆した】


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朝のひととき、『みずいろの手紙』・・♪   《初出2007.8.16.》

2008-05-29 12:30:51 | 音 楽
私は定年退職は年金生活をしているので、
朝のひとときは、現役時代の時間に追われながらと違い、ゆったりと過ぎていく・・。

今朝、私は歯を磨き、顔を洗っている時、

♪みずいろは 涙いろ
 そんな便箋に

【 『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠 】

このような鼻歌を唄いだした。

洗濯機のそばにいた家内は、
『カァーン!!・・』
と私に向って云った・・。

家内はNHKの『素人のど自慢』の番組の評価の鐘の音を真似て、
私が鼻歌を唄うたびに、どうした訳か解からないが鐘の音はひとつであり、
微笑みながら発声するのである。

私はかまわず、タオルで顔を拭(ふ)きながら、

♪泣きそうな心を たくしてね
 あれこれと

【 『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠 】

と唄ったりした。

庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている時、
どうして今朝は『みずいろの手紙』になったのだろうか、
と思ったりした。

過日、私が敬愛している作詞家の阿久 悠・氏が亡くなわれて、
NHKの特集番組で氏の作詞された歌の数々が放映されていた。

この番組を視聴した私は、脳裏に残り、
鼻歌となって、唄ったのだろう・・。

私は現役時代、幼年期を想いだしたりする時は、
多くの方と同様に、その時に街に流れていた歌を甦(よみが)のである。

私はX JAPAN、GLAYなど1997年度までの頃までの歌は唄えても、
ここ数年の歌は、『三日月』の唄われた若手の歌手以外は興味がなくなっている。

私は人前で唄うのは、苦手であるが、
家の中で唄ったり、散歩、買物の折などは心の中で唄うことが、
幾つになっても多いので、多分死ぬまで変わらないと苦笑している。



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吉岡聖恵ちゃんの唄声に魅了され・・♪

2008-05-27 08:30:39 | 音 楽
過日、富山市に温泉滞在旅行に向うで途中で、
昼食兼休憩として『名立谷浜SA』に観光バスから私は下り立った・・。

外れの煙草の喫える喫煙場に向う折、


♪心の真ん中が痛い
 あなたを思うたびに

【『抱きしめてあげる』作詞・山田ひろし 】


私はこうしたサービス・エリアでも、
徳永英明の最新の唄が流れていたことに微笑していた。

この後、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


あたかも青空に向かい、素直で伸びのある歌声に、
瞬時私の心は奪われた・・。

私は初めて聴く曲で、唄われた歌手、そして曲名が、
旅の間は気になっていたのである。

昨日の買物に行った時、スーパーの店内からも、
この曲が流れたので、私は思わず若い男性社員に尋(たず)ねたのであるが、
残念ながら解からなかったのである。

夜、NHKのスペシャル番組を視聴した後、
私はパソコンでこの曲を検索したのである。

ヤフーの動画で、オリコンのベスト20を観て、
初めて知ったのである。

水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、
曲名は『帰りたくなったよ』という曲名であった。

私はこの後、無料動画でこの曲を探し、
2時間ばかり聴き惚れたのである・・。

私は齢を重ねた63歳の年金小父さんの身であるが、
これほど音楽に夢中になれたのは、
一昨年の秋、綾香ちゃんの『三日月』以来かしら、
と微苦笑している。


私は過日の温泉滞在旅行で、
思いがけないふたつのプレゼントを頂いた。

ひとつはこの歌であり、
もうひとつは美術館の出入り口に掲載されたポスターの一枚である。

http://corot2008.jp/

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『何処に行けばいい』・・♪ 《初出2007.7.24.》

2008-05-16 13:48:42 | 音 楽
昨夜、ブログ系の『goo簡単ホームページ』のお知らせ欄に於いて、
9月末日でサービス終了を読んで、少し戸惑いを受けた。

私はこの『goo簡単ホームページ』を利用はじめたのは、
定年退職後のまもない2004年11月であったので、
まもなく1000日を迎えることになるが、
何よりこの間で知り得えた人達とは、愛着を持ちながらも
『goo簡単ホームページ』上では10月からはお別れである。

私はこのような思いで、玄関庭に下り立った。
暗い夜空をみつめ、その後、樹木を眺めながら、煙草を喫ったりした後、
ひとつの歌が浮んできた・・。


♪何処に行けばいい 貴方と離れて
 今は過ぎ去った 時流に問い掛けて

【 『Tears』 作詞・白鳥 瞳 & YOSHIKI 】


私は口ずさみながら、居間に戻った後、
これからはどのサイトに綴って、投稿しょうか、と迷っている。

この『gooブログ』を再開して投稿するか、
『OCN Cafe』で『日記』データ移行を受けて、継続するか、
或いは『OCNブログ』に新規一転にするか、
私の加入しているブロバイダの『nifty』のブログに新規加入させてもらうか、
迷ったりした。

いずれにしても、私自身がどのようなテーマで綴るかにより、
投稿先を8月末までには、私は決めようと思ったりしている。


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霧雨の降る中、玉簾(タマスダレ)の白い花・・♪ 《初出2007.7.21.》

2008-05-15 20:18:37 | 音 楽
東京の郊外は、霧雨の朝を迎えている。

ここ10日前後、快晴の陽射しから遠ざかって折、
来週の半(なか)ばに晴れマークが予測されているが、
大半は雨マーク、曇り空に占められている。

小学生たちは夏休みとなった、とニュースで報じているが、
幼児、小学生のいるご家族には、
お気の毒と思ったりしながら、空をみつめている。


玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら、
煙草を喫ったりした。

霧雨に煙る中、玉簾の純白の花が咲いている。


♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙 】


私は鼻歌を唄ったりした・・。

初夏の時節、特に白い花の情景に、
心に沁み、唄ったと思われる。

この歌に関しては、私の小学校の入学した前後に、
ラジオからたびたび流れて、幼児なりに好く聴いていた。
後年になると、この白い花は辛夷(コブシ)、花水木(ハナミズキ)などの春に咲く白い花、と知ったのだが、
私は白い花を見かけると、何となくこの歌を鼻歌で唄いだしてしまう。

居間に戻ると、主庭を眺めると、
アメリカ芙蓉(フヨウ)の淡いピンク、白い花がうつむきながら咲いている。

日中は曇り空が予測されているが、
ここ一週間は急に小雨が降ったりしているので、
果たして・・と空を眺めたれしている。

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過ぎ去り日々に思いをかさね・・♪

2008-05-15 16:46:38 | 音 楽
過ぎ去り日々に思いをかさね・・♪
私は4月下旬の頃から、
このブログの【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした3000通前後の
投稿文を整理、統合をしたりしている。

定年退職後まもない時に、偶然ブログの世界を知り、
私の幼年期からサラリーマンを卒業した定年までのことを何らかの形で、
心の整理をしょうと思っていた矢先であり、
私はブログの普及時代にめぐり逢え、
幸運に恵まれたと感じていたのである。

このような経過を得て、
私は定年後の年金生活の3年半の日々の思いはもとより、
幼年期から想いでも綴ったりしている・・。

先程も相変わらず編集などをしていたが、
たった数年前のことといえ、
このような気持ち過ごしていたのかしら、
と思ったりしていた・・。


♪淡き夢 淡き恋
 遠き道 青き空

【『結詞』 作詞・井上陽水 】


私は心の中で、唄いだして、過ぎ去った日々に思いを重ねたりしている。


♪今日をかけめぐるも
 立ち止るも
 青き青き空の下の出来事

【『結詞』 作詞・井上陽水 】


そして私は、再び心の中で、愛惜し唄ったりしている。



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雨、雨、そして雨が続くと・・♪   《初出2007.7.15.》

2008-05-15 16:35:01 | 音 楽
東京の郊外は、ここ1週間は雨が降るが多い。

初めの数日間は、梅雨の時節に相応(ふさわ)しく、
降ったり止んだりの村雨(むらさめ)となって、
私は鼻歌などを口ずさんでいた・・。


♪雨はふるふる 
  城ヶ島の磯に

【 『城ヶ島の雨』 作詞・北原白秋 】


ここ数日は台風の影響で、雨が降ったり、止んだりしているが、
沖縄諸島、九州、四国と災害をもたらした悲惨な情景を
テレビのニュースで見たりすると、
鼻歌などは出なくなった。

東京の郊外に住む私は、関東地方に昼過ぎから夜にかけて、
台風が直撃される恐れがあると、
天気予報は報じている。

明日は台風一過に伴い、快晴で31度前後の暑さが予測され、
暑さの苦手な私は戸惑っている。

私は天上の気候の神々に、
暴風、豪雨、猛暑の過剰な仕打ちは勘弁して下さい・・
程々の風、雨、晴れ間に・・
と空を見詰めて、身勝手に祈願したりしている。

今、こうして庭を眺めながら綴っているが、
風はないが、小雨から激しく雨に変っている。

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ときには、夢想に終り・・♪    《初出2007.6.6.》

2008-05-14 10:35:46 | 音 楽
初夏のような陽気の中、私は駅前の歯科医院に治療を受ける為に、
川沿いの遊歩道を歩いた。

樹木は緑を深めた色合いとなり、川面から吹く風が肌に心地よかった。

私の通っている歯科医院は、40前後の男性医院長と
10名程度の30前後の女医とアシスタンスの女性がいる所である。

私に担当して下さる方は、
30歳位の女医で小柄であり目が綺麗な方であるので、
私の基準からして美人に属して折、心も清らからであると、
勝手に信じている。

肝要な治療の場合は、医院長が治療して下さるので、
私は齢を重ねた身であるが、理想的な歯科医院に巡り逢えたことに安堵し、
楽しく通っている。


帰路の遊歩道は12時前の時間のためか、
白い日傘を差した散策されるご婦人の人影はなく、
少しためいきをつきながら、時間帯がいけない、と思ったりした。

一旦帰宅後、汗ばんでいたので着替えた上、買物に出かけたりした。

私はキャベツの千切りを大皿に盛り、コロッケ、メンチカツを食べながら、
そしてビールを呑みながら、家内と旅先のこぼれ話をしたりする。

こうした話は際限なく楽しいが、少しビールを呑みすぎたので、
眠くなり、簡易ベットに横たわっているうちに寝付いてしまった。


先程、玄関庭で風に吹かれながら、ぼんやりと思ったりした。
男の子は幾つになっても夢をみる・・
と自身に対し、苦笑している。


♪山の煙の ほのぼのと
 たゆとう森よ あの道よ
 幾年(いくとせ)消えて 流れゆく
 想い出の ああ 夢のひとすじ
 遠くしずかに ゆれている

【 『山のけむり』 作詞・大倉芳朗 】


私の心は、こうした歌を唄っていた。
 

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東京郊外は、朝の陽差し恋しく・・♪

2008-05-14 09:22:42 | 音 楽
東京の郊外は、ここ一週間ぐらい朝の陽差しがなく、
今朝も小雨の朝である。

私はしっとりとした庭の樹木が好きであるが、
こう毎日も続くと、陽差しが恋しくなるのである・・。


♪唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は
 後(うしろ)の山に 棄てましょか
 いえ いえ それはなりませぬ

【『金糸雀(かなりや)』 作詞・西條八十 】


私は玄関庭の軒下で、思わず心の中で唄ったりしている。

私は年金生活の自在の身であるので、
買物、散歩、散髪屋(理容店)を行く予定であったが、
少し迷っているのである。

午後の3時過ぎ頃まで雨と報じているので、
それまでの間は、相変わらず夢中になっている
別ブログの『年金青年のたわむき記』を編集しようかしら、
と思ったりしている。

それにしても何より、雨の降り続ける毎日、
現役の男女諸氏のお勤めの方たち、
通学の男女生徒・・
そして外出せざるを得ない人・・
雨傘の情景を見るたびにお気の毒と思ったりしている。



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ときには、『壊れかけのRadio』を唄いながら・・♪

2008-05-14 09:21:22 | 音 楽
東京の郊外は、台風2号の影響で小雨が降ったり肌寒い日が続いている。

私はこの半月に於いて、このブログの
【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした3000通前後の
投稿文を整理、統合をしながら、
NHKのラジオを聴いたりしている。

そして、ラジカセCDで『走れ! 歌謡曲』のゴールド編、プラチナ編と題されたCDの4枚で、
昭和の40年から平成の5年頃までの80曲前後を聴いたりしている。

誰しも同じと思われるが、その曲を聴くと、
その曲が街に流れた頃、自分のその頃をを思い返したりする。


♪思春期に少年から 大人に変わる
 道を探していた 汚れもないままに
 飾られた行きばのない 押し寄せる人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

【『壊れかけのRadio』 作詞・徳永英明 】


私は小声で唄いながら、バソコンに向かったりしている・・。

私はこの歌と共に、平成2年(1990年)の現役時代の頃、
自身の姿を想いだしている・・。

そして、私は唄い終わると、自身の中学、そして高校生の初めの頃、
昭和35年(1960年)の多感な時代を思い返している・・。


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ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪   《初出2007.5.29.》

2008-05-13 15:13:43 | 音 楽
私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップスグループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。

私はこのお方には、お会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時があった。


平成5年(1993)の春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と統合となり、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代は、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などの全盛の時もあった。

ZARDは透明感ある甘い女性の歌声、若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じた。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングル大ヒット、
アルバムに於いては、前年の『HOLD ME』に続き、
『揺れる想い』がミリオンとなり、
この1993年は女性ボーカルとしては頂点となった。

その後、ビーイングはヒーグラム社として独立会社し、
私の務めている会社から、離れていったが、
私なりにアルバムのベスト盤などを買い続けたりしていった。

私は統合当時に『負けないで』、『揺れる想い』などで、
時代に勢いのあるZARDを改めて教示を受けたり、
会社の業績にも貢献してくれたり、私のささやかなボーナスにも功してくれた。

結果としては、私は50歳前後で『負けないで』を知り、
定年退職後の3年生の今でも、時折アルバムの5枚を聴いたりしている。


今回、突然に訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんを、
《大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・》
と心から冥福を祈ったりした。

彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信するが、
少なくとも私は、今後もときおり聴くと思っている。



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私の人生の応援歌のひとつ『旅の夜風』・・♪   《初出2007.5.21.》

2008-05-13 12:54:15 | 音 楽
私は定年後の年金生活の3年生の身であるが、
私は時折、口づさむ歌がある。

現役時代に於いては、業務で苦戦した時、
親戚との確執にさいなまれた時など、ときたま唄ったりした。


♪花も嵐も 踏み越えて
 行くが男の 生きる途(みち)

【 『旅の夜風』 作詞・西條八十 】


私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め5人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。

この頃は、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。

家内は戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
家内の父が歌謡曲が好きで、唄に自信を深めていたので、
家の中、勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。


♪泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
 月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く


時折、私が鼻歌を唄ったりすると、
家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。

私は人生の苦節の折、よく鼻歌として唄ったりし、
励まされる貴重な唄のひとつである。

尚、この歌が昭和13年に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは私はここ数年前であった。



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『白い花の咲く頃』を唄いながら・・♪  《初出2007.5.14.》

2008-05-13 11:30:11 | 音 楽
朝、7時に目覚め、庭先に下りた。
昨日の剪定した樹木は、小ぶりの樹形となっていたが、
枝にまぎれて剪定した枝葉が少し残ったりしていた。
そして伊予柚子(イヨ・ユズ)の白い花を観て、
昨日の情景を想い出された・・。

私が数多くの白い花を見かけた時、

♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙 】

と私は唄いだした。

家内は亡くなった家内の父から
戦前・戦後の歌謡曲をたびたび聴かされていたので、
私よりこの世界は詳しいのである。

家内は私のつたない歌声に微笑んでいた・・。


そして私は煙草を喫いながら、現世の怜悧な国際社会より、
ただ目の前の季節のうつろいの確かさを頼りに、
無力な私はその日、その日を過ごそう、
と朝の陽射しを受けて思い返している。


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