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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

石川さゆり・・ちゃんのサントリー・ウィスキーの唄声に魅了 《初出2007.12.1.》

2008-06-02 14:43:07 | 音 楽
私は殆どテレビの民間は視聴することはないが、
過日、松本清張の名作のひとつである『点と線』が放映される折、
私は若き青年期に松竹映画で観ていたので、
ビートたけし・主演でも、事件の設定されたあの時代の社会風潮を的確に表現できるかしら、
と思いながら視聴したのであった。

グラマン機の被弾を右肩から身体に受けた主人公の設定、
そして顔をときおり引き攣(つ)る表情は、
演出家と主演の共作と感じ、優れた作品となっている。

何より現代の宇津井 健と池内淳子の2人に演じさせ、
遠い当時への回想にしたのは、最良の演出である。

このお2人は新東宝映画の主演を当時の頃、数多く主演されていたスターであったので、
私なりに考え深げに視聴したのであった。


こんな折、民間放送なので、ときおり広告時間となり、
突然、色艶(いろつや)のある唄声で流れた・・。

♪ウィスキーが お好きでしょう

石川さゆりの唄声であり、作詞、作曲は残念ながら私は無知である。

確かに平成の初めの頃に、
蒸気機関車の走るシーンもあり、サントリーのウィスキーの宣伝として、
この唄声が流れていた。
最初に聴いた時、石川さゆりちゃんかしら、と思いながら、
色艶のある声と妖艶を感じ、魅了させられた・・。

私は演歌の女性歌手として優れた石川さゆりをウィスキーの宣伝に起用した担当の方たちに、
思わず脱帽したのである。
そして何故かしら、ウィスキーを購入してしまったりしていた。


今回の広告の背景は、若き女性のうつろな表情、微笑みなどのシーンがある。

あれから私は齢を重ねたせいか、若き女性の下手な演技シーンより、
ただ、石川さゆりちゃんの色艶ある唄声に魅せられ、

♪ウィスキーが お好きでしょう

と呟(つぶや)きながら、平成の初めの頃に思いを馳(は)せたりした・・。


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『いい日旅立ち』が街に流れて・・♪   《初出2007.11.26.》

2008-06-02 14:08:30 | 音 楽
確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れていた・・。

私はこの頃は毎月5日程、新宿駅から神田駅に行き、
日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。

朝のラッシュ時に新宿駅で東京行きの電車を待っている時に、
山口百恵ちゃんの歌声、或いはメロディーでよく流れていた・・。


♪雪解け真近の 北の空に向い
 過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき

【 『いい日旅立ち』 作詞・谷村新司 】


私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日に旅行に行けるのは夢のような出来事であった。

私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な時で、
住宅ローンなどで一番大変な時代であった。

いつの日にか、『L特急』で旅行に、
こんな想いで、私の30代の一時期は過ぎていた・・。

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今宵の鼻歌は、『まちぶせ』・・♪   《初出2007.11.19.》

2008-06-02 13:24:02 | 音 楽
東京の郊外も、夕暮れ時になると寒くなったので、
早目の入浴とした。

風呂に入っている時、


♪夕暮れの街角 のぞいた喫茶店
 微笑み見つめあう 見覚えある二人

【 『まちぶせ』 作詞・荒井由美 】


私は何気なしに、この歌を鼻歌で唄っていたのである。

先週の金曜日の夜、NHKの番組で、
徳永英明が『まちぶせ』、『恋におちて ~Fall in Love』を唄っていたので、
この影響かしら、と苦笑している。

この『まちぶせ』に関しては、昭和56年の頃だったと思うが、
可愛らしいアイドル歌手のひとり、石川ひとみが、
ユーミンの作詞、作曲された曲を唄っていたのを思い出したりしている。

昨年頃から、この『まちぶせ』等の女性が唄った名曲を徳永英明が、
カバーした三枚のアルバムが大ヒットしているのは、
ニュースなどで見ていた。

私はこの『まちぶせ』を男性歌手が唄ったので、
私の好きな歌のひとつであり、恐れ多くも私も鼻歌で・・
このような気持ちが心の底にあったと思われる。


♪好きだったのよあなた 胸の奥でずっと
 もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

【 『まちぶせ』 作詞・荒井由美 】


私は定年退職後の年金生活の4年生の身であるが、
その日に応じた鼻歌などを唄ったりしている。


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ときには、無料の音楽動画を視聴・・♪   《初出2007.11.19.》

2008-06-02 13:21:29 | 音 楽
今朝は庭の樹木の剪定後の枝葉を整理する予定であったが、
微風が吹いて、ときたま風が吹くので、中止とした。
やはり、この時節、木枯らしのせいか、と思われる。

予定した時間が空いたので、
家内と温泉滞在のこれからの予定を色々と思案したりしていた。
家内の母が独り住まいであるので、
家内の母を誘い、私達3人で年に数回は5泊6日前後の滞在旅行を
ここ数年実施しているのであった。

来年の2月頃に予定とし、色々と考えたりしたが、
候補としては1長1短であり、まだ時間が充分あるので、
また後日、検討しましょう、となった。

この後、何気なしに最近の音楽を視聴し、【YAHOO! JAPAN】の動画サイトで、
コブクロ、GLAY、徳永英明、セリーヌ・ディオン等の歌の数々を10数曲を視聴した・・。

無料でプロモーション・ビデオのような曲を視聴できるので、
びっくりするほど享受できるのである。

10数年前の頃であったならば、
音楽CD、DVD、ビデオ・テープの販売店で、
プロモーション・ビデオが店の一角で映し出されていたが、
現世は簡易にネットで自分の好みの曲を選定し、ある程度視聴できるので、
時代の流れにため息をしたりし、視聴していた。

2時間ばかり視聴したが、何かしら疲れ感じ、
齢のせいかしら、と微苦笑したりしている。

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コブクロの『赤い糸』、感銘を受けたひとりとして 《初出2007.11.18.》

2008-06-02 13:03:15 | 音 楽
私は定年退職後の年金生活の4年生の身であるが、
ときおり音楽を聴いたりするのが好きである。

私は現役時代は音楽関係の会社に勤めていたが、
制作畑でなく管理畑であったので、制作関連には全くの素人であり、
ただ私なりの感覚的好きな曲は数多くある。

私は齢を重ねたせいか、2000年以降からは、
正直な云えば素直に聴いて、感銘を受けた曲は少ないのである。
《小柳ゆき》には熱愛した時期、昨年は《絢香》の『三日月』には魅了されたりした。
《元 ちとせ》、《平原綾香》には感心はしたが、感銘まではしなかったのである。

退職後の音楽情報は、現役時代と同様にオリコン、日本レコード協会のサイトより、
最新のヒット状況は判っているつもりであるが、
実際、アーティストと歌が一致していなく、第一に歌声も聴いたりしていないことが多いのである。

一年に数度ぐらいは、テレビで放映される音楽の番組を視聴するが、
私の日常生活の音楽は、私の音楽棚からCD、DVDから取り出して視聴しているが、
圧倒的に2000年以前の作品である。

この程度の素人の身であるが、一昨日の夜に、
NHKでプレミアム10『恋うた2007 autumn&winter』という番組を視聴した。

ときには、最近の若い方たちが、どのような音楽に魅了されているか、
テレビ放映であるので具体性があり、視聴した次第である。


徳永英明》、《ユーミン》は、同時性で聴いていたので、論外であるが、
ただ《徳永英明》の『まちぶせ』、『恋におちて~Fall in Love』は、
彼の特有の声質で、女性歌手が唄われた過去の名作に改めて魅了された。

《中島美嘉》の『STARS』、『WILL』、『雪の華』、
《BoA》の『メリクリ』、
《大塚 愛》の『恋愛写真』、
これらは私の苦手であり、どうでもよい、と世代の差を感じるのである。

《Mr.Chidren》に関しては、
私の現役時代から音楽市場を制覇ひとりとして判っているが、
《レミオロメン》はデビュー当時の方が良かったかしら、
と感じたりしていたのであった。

《コブクロ》に関しては、
ミリオン・セラーを獲得している最近では数少ない人達であることは、
サイト等で知っていたが、歌そのものをじっくりと聴いたことがなかったのである。

『赤い糸』は初めて聴く歌であったが、
恋情を真摯に綴られた作詞で、何より独創性がありながら余情があり、
文学性にあふれ昇華された作品である。

遠い昔、シャンソンの分野では、
こうした作風は何気ない情景、情感があったような感じを思い出したりし、
現世の時代に独創ある上で発露させた彼等に私は絶賛する。

彼等のコメントに寄れば、
結成まもない9年前に路上、その後のライブで唄い、
好きな歌のひとつです、と語っていた。

作詞、作曲、そして歌声に久々に歌の世界から感銘を受けたのである。

そして、彼らが無名の時、自分達を信じて、夜の路上で唄った時の心情を思い、
私なりに胸が熱くなった・・。

『赤い糸』は、私なりに63歳の身でありながら、
残された歳月に数少ない心に沁みた名曲と確信したりしている。

尚、この後『蕾(つぼみ)』は、今年発表された曲であるが、
私の今年度の最も好きな曲である。

余談であるが、コブクロに関しては、
私が勤めていたレコード会社とは、残念ながら他社のアーティストである。


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『風』、若き天才たちの残された歌・・♪  《初出2007.10.27.》

2008-05-31 16:54:06 | 音 楽
家内と共に遅い昼食を頂いた後、
家内は独りで台所でラジオを掛けながら、皿洗いなどをしていた時、
ラジオからひとつの歌が聴こえてきた・・。

私は居間で雨の降りしきる庭の樹木を眺めていたのであるが、
ラジオから流れる歌に聴きはじめた・・。


♪人は誰も ただ一人旅に出て
 人は誰も ふるさとを振りかえる

【『風』 作詞・北山 修  作曲・端田宣彦 】


私は年金生活の63歳の身であるが、
ときおり、この歌を聴くたびに、この歌がヒットした昭和44年の頃を思い出す・・。

この頃の私は、大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をした後、
コンピュータの専門学校で学んでいた時期である。
何とか技術を習得した上で、民間会社に中途入社をしょうとした時であった。

この歌が街に流れていたのを何気なし最初に聴いた時は、
うまく人生を切取った歌と感心しながらも、
作詞、作曲の両氏が20代の前半で私と同世代あったことに、
驚いたのである。


♪ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
 そこにはただ風が 吹いているだけ
    人は誰も 人生につまずいて
    人は誰も 夢破れ振りかえる


その後、私は昭和45年に何とか企業に中途入社するのであるが、
この歌に関して、遅ればせながら知った時である。

昭和43年に、北山 修、端田宣典、加藤和彦の3人で
作られた『帰って来たヨッパライ』の空前の大ヒットをしたが、
端田宣彦が作曲として、この歌以前の19歳の時に初めて作曲された歌が『風』であった。

そして、この歌の後に、北山 修が作詞されて、
はしだのりひことシューベルツのグループで、世に出され、大ヒットした。

人生に於ける40代の半ばで、過去の人生を表現された作品は数多くみられるが、
20代の前半で作詞、作曲をされた両氏は、
天才という賞賛の言葉がが相応しい、と思ったりした。

この私なりの評価は、40年近く過ぎた今でも、
決して変わらないのである。


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静寂な朝のひととき・・♪ 《初出2007.10.15.》

2008-05-31 15:43:57 | 音 楽
東京の郊外は、薄日が射し込み、静寂な朝を迎えている。

無花果(イチジク)の葉も黄色に色を染めはじめ、
紫木蓮(シモクレン)の葉の一部は、薄茶色となり、
微風を受けると、早くも空中を舞いながら地上に落下している。
金木犀は散りはじめ、樹木の下の黒土に橙黄色の絨毯を敷きしめているようである。

こうして主庭を眺めながら綴っているが、ぼんやりと眺めたりしている。

家内が留守にしているので、
家内の実家に朝と夕方に電話で家内と話し合って折、
互いに快活な声を確認し終えたりした。

私は日中、散策をしながら、樹木の色づきはじめた情景、
川べりの薄(ススキ)の穂をほめながら、鼻歌を唄うのかしら、
と思っている。


♪いい日旅立ち 羊雲をさがしに
 父が教えてくれた歌を 道連れに・・

【 『いい日旅立ち』 作詞・谷村新司 】


このようなたわむれのひとときを過ごすかしら、と微苦笑している。

東京の郊外は、曇り時々薄日で、最高気温も平年並み20度前後が予測されているので、
私は過ごしやすい日中となる。



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ときには、『あ~・・秋かしら・・』と唄えば・・♪  《初出2007.10.6.》

2008-05-31 14:12:53 | 音 楽
私共夫婦は、夕食前にお風呂に入ることが多い。

私がお風呂に入った後、家内と交代し、
私は玄関庭に下り立ち、パジャマ姿で、煙草を喫ったりしていた。

樹木、草花も秋の気配につつまれて、風の匂いも秋である。

私は居間に戻りながら、


♪しゃれた日焼けに 涙が流れる
 あ~ 秋かしら

【 『秋冬』 作詞・中山丈二 】


と小声で鼻歌を唄いだした。

家内はお風呂から上がり、顔にクリームなどを塗っていているが、
私は続けて唄ったりしている。

この後、家内は料理をし、
私は出来た料理を居間のテーブルに並べたりし、


♪季節の変わり目を
 あなたの心で知るなんて


と唄ったりしている。

家内は微笑みながら、料理の仕上げをしたりしている。

私はどういう風の吹きまわしか知らないが、
ときおり鼻歌を唄ったりする。


この歌が街によく流れていた頃は、
私達夫婦は住宅ローンが重く家計に響いていた頃であった。

私は赤字の家計は嫌いであるので、苦し紛(まぎ)れにこの歌を家の中で、
よく唄ったりしていた。

私達夫婦にとっては苦闘の日々であったが、
退職後の今は、鼻歌などを唄っているが、
あの当時の頃が想いだされる歌のひとつである。



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久々(ひさびさ)に、秋の陽射しの朝を迎えて♪ 《初出2007.10.4.》

2008-05-31 13:58:11 | 音 楽
東京の郊外は、久々に陽射しの朝を迎えた。
天気予報に寄れば、曇り空の日中であるが、ときおり薄日で、最高気温は23度前後、
と報じている。

こうした気候は、寒さ暑さもなく過ごしやすい日中となる。
贅沢をいえば、秋日和が望ましいが、人生と同様に、際限がないのと同じである。

家内は10月1日(月)~本日まで、家内の父のお墓参りで出かけているので、
私の日常生活ペースが更に乱れている。

深夜に読書をし明け方を迎えたり、
日中は音楽ビデオを視聴し、ときおり眠ったり、身勝手な時を過ごしたりしている。

家内の父は、3年前に死去し、お墓を千葉県の木更津の付近であり、
家内の母、妹と3人で、お墓参りをした後、
近郊の温泉地で3泊4日前後の温泉滞在をして貰っている。

家内の母は、独り住まいとなっているので、
こうした機会に娘の2人と他愛無くのんびり過ごすのも良いと思い、
昨年から実施している。

家内は7月の初めの頃、色々と思案し、
昨年は養老渓谷、今年は犬吠崎としている。

こうした状況であり、私は独り住まいの身なので、
朝に風呂に入ったり、夕方の3時頃に庭の樹木の付近で、ビールを呑んだり、
音楽ビデオ、DVDをご近所からクレームが付かない程度に大音量で視聴している。

あそこの小父さん・・サラリーマンを卒業した年金生活のくせに、
何故・・X JAPAN、GLAY、小柳ゆき・・など、
と問われても、こればかりはその時の心境に寄る、
と答えるしかないのである。

こうして身勝手な生活も夕方になると家内が帰宅するので、
乱れきった生活も平常となる。

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ときには、セリーヌ・ディオン・・♪   《初出2007.10.3.》

2008-05-31 13:54:52 | 音 楽
私は洋楽は苦手な分野であるが、
ときおり1950年代~2000年の頃までを聴いたりしているが、
街中の洋楽ファンより無知な方である。

昨日、たまたまビデオ棚より、セリーヌ・ディオンのライブ版を視聴したりした。

1997年に公開された映画の『タイタニック』のテーマ・ソングの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』に於き、
音楽ファン以外にも世界的に魅了させ、認知させた歌姫である。

私が視聴したのは、このテーマ・ソングの以前の『セリーヌ・ディオン・コンサート』(メンフィス公演)と、
以降の休業直前、大スターさえもあこがれのニューヨークにあるラジオシティ・ミュージック・ホールに於ける
『HOLY NIGHTU LIVE』である。

短絡的に云えば、世界の頂点のまじか、そして頂点の直後のビデオである。

洋楽に関しては、知らないことが多過ぎるが、
特にアメリカ音楽はプロデューサーの力量いかんで、と周知されている。

今や伝説のひとつとして、セリーヌ・ディオンが12歳の時、
音楽マネジャーをしていたレオ・アンジェリルが彼女の才能と歌声に魅了されて、
自宅を担保としてデビュー・アルバムの資金を調達したことで知られている。

そしてフランス語のアルバムが成功し、ケベック地方のスターとなり、
数多くツアーの勧誘があったが、
この才能をつぶされてしまうのはほしい、
とレオ・アンジェリルは断り、破産の宣告を受けたのである。

これ以降は、セリーヌ・ディオンに英語を習得させ、
著名な音楽演奏、関係者との機会を与えて、ショウ・ビジネスの頂点の一角に導いた、
と私は思ったりしている。

そして何よりセリーヌ・ディオン自身が不断の努力で、
ハイトーン・クリアー・ヴォイスの歌声、
そして何より肝要な歌詞の表現力に磨きをかけたことは云うまでもないことである。

私は未熟でつたない洋楽歴に於いて、
このお2人の二人三脚の成功ぐらい他の例は知らないのである。

全米の音楽市場に於いて、多くの有数な大スターさえも、
一時的に全米の頂点を立てて、
やがて、ある期間が過ぎると、個性がまさり色あせてしまうからである。

私はセリーヌ・ディオンの歌声に酔いしれながら、
『パワー・オブ・ラブ』、『ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー』等を聴くたびに、
どなたにも魅了させる普遍性である、と感じたりしている。

個性を強く全面に押し出すと、頂点も早いが、飽きられる欠点があるので、
たぐいに稀(まれ)なお2人は、この点は充分ご承知で、
ゆっくりと世界の頂点を目指されたのだろう、
と私は2本のビデオを繰り返し、視聴して一日の大半を過ごしたりしていた。


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捨てきれないレコード・・♪  《初出2007.9.21.》

2008-05-31 10:04:59 | 音 楽
私は昭和45年の春、ある大手の企業に中途入社できたのは、
25歳で遅れた社会人となった。

大学を中退して、映画青年、文学青年の真似事をし、
専門学校、先生方に紹介されたアルバイトなどで生活をしていたが、
音楽には余り関心がない方であった。

この企業に入社する前は、
レコードのLPをクラシックを主体とした10枚前後を
所有をしている程度であった。

この中の一枚は、モーツァルトの交響曲第40、41番であり、
文藝評論家の小林秀雄からの書物で影響を受けて、
買い求めたレコードであった。

もう一枚は、チャイコフスキーの交響曲5、6番であった。
ロシアの作曲家の方は、ロシアの大地と繁栄したヨーロッパの諸国をどのような思いで、
自身の創作に表現されたか、興味があったのである。

いずれにしても、お金に余裕がない時であったので、
食事を抜いたりして、やっと購入できたレコードであった。

企業に入社前の面接時に於いて、
同じサラリーマンの身であったら音響、テレビなどの製造部門でなく、
多少創造世界のあると感じたレコード部門を熱望し、
何とか叶(かな)えられた。

私は制作部門でなく管理部門であったが、音楽に知識のない私は、給料を頂くたびに、
自社の一枚、他社の一枚と買い揃えていった。
まもなく私が配属された部門が外資系の影響で、
レコード会社として独立されて、私も一員として配置になった。

この時代の音楽ソフト商品としては、
レコードが主体で、カー・ステレオなどでステレオ8(エイト)のテープがあり、
少しずつカセット・テープが増えてきた時代であった。

平成元年前後、コンバクト・デイスクのCDが主流となった。
この時、私の自宅にはレコードが1000枚前後、
カセット・テープは300本程度となった。

やがて、レコードは知人、友人などに上(あ)げたりしたが、
今の私のレコード棚には150枚前後眠っている。

されど私の青年期、若き社会人の時、深く心に影響を受けたレコードであり、
ジャケットを眺めたりした時は、その時代が甦(よみがえ)りのであり、
レコード・プレイヤーを手放しているが、捨てきれないレコードである。

退職後の今、カセット、CD、DVDの3000枚前後から、
その時に思いついた曲を聴いたりしているが、
ときおりレコード棚を見るたびに苦笑したりしている。



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『白い花の咲く頃』を唄うとき・・♪  《初出2007.9.14.》

2008-05-31 09:28:43 | 音 楽
東京の郊外は、天気予報に反して、ここ2日は秋日和の陽射しに恵まれている。

家内と昼食を頂いた後、10月下旬から家内の母を含めた3人で沖縄旅行を予約をしているが、
家内の母の要望の追加があり、観光先めぐりを家内と調節した。

私達夫婦は家内の母と3人で、温泉滞在旅行を年に数回は訪れているが、
昨年より観光地めぐりが加味された・・。

昨年の5月末頃、飛行機にも乗ったことがないし・・北海道に行って観たいわ・・
と家内に云い、
私達は高齢者の初めての北海道旅行には、旅なれた私達でも苦心惨憺の企画をした結果、
10月の中旬に7泊8日で道央、道東を周遊した。

結果としては、家内の母も楽しげに旅の想いで話が、後日もたびたび話題となったので、
私共夫婦は安堵した。

今回の沖縄旅行に関しては、ひめゆり塔・・一度は観てみたいわ、
と家内の母が云ったので、家内が色々と懸案した結果、
これだったら、お義母(かあ)さんもゆっくり廻れるよ、と私は8泊9日に賛同したりした。

家内と観光先を調整した後、
2階の寝室に行き、『文藝春秋』の読み残した記事を読んだり後、
1時間ばかり昼寝をした。

このように秋日和の時、昨日は庭の手入れで汗と泥まみれの労働日、
本日は骨休めの休養日・・退職後の自在な日々もある。


先ほど、夕暮れの玄関先で煙草を喫いながら、
『文藝春秋』の中で、民主党の小沢党首を【成長より平等】と短評したことを思い出している・・。
一長一短があることは歴史学から私は学んでいるが、
たとえ年金生活の私さえ、今後の10年先を配慮すると、
感情的には大変いごごちの良い主旨であるが、
負担が増す国民は果たして・・と危惧しているのである。

こうした日本の政局の混迷を視聴したりする時、
無力な私はため息をしたりした・・。
そして、目の前に群生した玉すだれ(タマスダレ)の純白の花が彩(いろど)っているのを見つめたりしている。


♪白い花が 咲いてた
 ふるさとの 遠い夢の日

【  『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙 】


こうした歌が思い出され、心の中で唄ったりしていた。

そして、日本の国力が二流に落ちた時の国民の悲哀を想定したり、
かって栄えたオランダ、スペインの現世を重ねたりしている。

振り子が大きく揺れ動く今、あと私達夫婦は余命は何年か解からないが、
ときには余計な憂(うれ)い、と思っている自分もある。



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そして、その後の10数年の名曲は・・♪  《初出2007.9.2.》

2008-05-30 12:54:22 | 音 楽
私の50歳前後から定年退職までの期間は、
業界はミリオンセラーが続出し販売額のピークとなった後、
減少したので、日本の数多くの民間会社と同じような現象で再構築に基づいて、
リストラが行われが、苦楽を共にした人々が業界を去っていった時代でもあった。


ZARD『揺れる想い』

GLAY『BELOVED』

X JAPAN『Rusty Nail』

小柳ゆき『あなたのキスを数えましょう』


1998年に業界はピークとなった頃までは、
ミリオンセラーとなった数多くの曲は、ほぼ聴いてたりしていた。

やがて、私の務めていた会社も早期退職優遇制度の美名の中で、
止む得なく去っていった人、或いは大幅な人事異動と配置転換、私のように出向となった人、
業界自体が混迷した時代でもあった。

私は本社勤務から、出向先となった物流情報会社の不馴れの初めの頃は、
失墜感の中で、遠方となった通勤時間のひととき、
ビジネス・バックの中にCDウォークマンを入れて、CDの3枚前後を入れて、
X JAPANを盛んに聴いたりしていた。

その後。心身が落ち着いた頃、小柳ゆきのデビュー曲を偶然聴いて惚れ込み、
半年後の頃は、退社直後の8時過ぎに、人影もない暗い夜道をバス停まで歩き、


♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑 】


小声で唄ったりした。

そして4年が過ぎて、私は定年退職を迎えた。


退職後は1960年代から2000年頃まで聴く曲が圧倒的に多く、
あの曲が街に流れていた時は・・と我が身を振り返ったりしている。

ここ数年の曲には興味がないが、昨年の秋は、
絢香(あやか)の『三日月』に魅せられて、夢中になった頃は、
月を眺めたりすると、あやかちゃん・・
などと62歳の私は小声で言ったりしていた。


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私の人生で、音楽から影響を受けた名曲・・♪ 《初出2007.9.1.》

2008-05-30 12:50:34 | 音 楽
私は定年退職後の3年生の身であるが、
ときおり収集したCDをCDラジカセなどで音楽を聴いている。

昨日、書類棚を整理していたら、葉書の専用箱を見ていて、
一枚の葉書を懐かしさがあったので、時を忘れて見たりしていた。

この一枚は、10数年前に私が書いた年賀状であった・・。

私は民間会社のあるレコード会社に勤め、
音楽の制作と直接に関係しない管理畑の部門であったが、
人並みに音楽が好きな方であった。


・・・
この間あまたの歌がありましたが、私の脳裏から離れない歌を綴って・・。

バルバラ『ナントに雨が降る』

中島みゆき『HALF』、『エレーン』

井上陽水『傘がない』

五輪まゆみ『少女』

長渕 剛『昭和』

S。アズナーブル『遠い想い出』

グロリア・ラッソ『サ・セ・ラムール』

シャーリー・バッシー『別れの時まで』

戸川昌子『ボンボヤージュ』EMI盤

パティ・キム『離別(わかれ)』

大塚博堂『私は女です』

内藤やす子『悲しい色やね』

金子由香里『愛の砂漠』、『スカーフ』

イーグルス『ホテル・カルフォルニア』

別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』


このように書かれて折、思い込みの激しい私が、
25歳で中途入社して、50歳前後まで私なりに惚れ込んだ曲であるが、
このことは少しばかりの私の信条が見え隠れするので、
と今の私は微苦笑している。

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『長崎の鐘』を聴くときには・・。  《初出2007.8.27.》

2008-05-30 12:12:48 | 音 楽
私は昭和19年9月に東京の郊外で生を受けた。

昭和25年の頃に、自宅のラジオから『長崎の鐘』がよく流れてきた・・。


♪こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ

【『長崎の鐘』 作詞・サトウハチロー 】


私は5歳の幼児であったが、何かしら物悲しく感じたりした。


♪なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る


ここまで聴いていると、いじけた幼児の私でも涙があふれてきた・・。

翌年の夏、近くの寺院の境内で、映画が放映された。
この頃の時代は、学校の校庭とかで、スクリーンを張って、ときたま映画が放映されていた。
娯楽の乏しかった時代、ご近所の方達が集まって、
このような催しが行われた時代でもあった。

近くの寺院の境内で上映されたのは、映画の『長崎の鐘』であった。

母に連れられて、初めて観た映画だった。

帰路、満天の星空が綺麗だった、ということが今でも残っている。

映画のストリーは忘れてしまったけれど、幾つになっても、藤山一郎の歌声を聴くと、
私は涙ぐんだりしている。

私は後年になると、作詞はサトウハチロー、作曲方は古関祐而と知るのであったが、
肝心な『長崎の鐘』という原作を書かれた永井 隆は無知であった。

その後、このお方の人生経路を知り、涙で曇った。


♪召されて妻は 天国へ
 別れてひとり 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの
 鎖に白き わが涙


ここまで転記させて頂いているが、著者の永井 隆の人生を思い馳せると、
また瞼(まぶた)が熱くなってしまう。


国家の国益という怜悧の中、アメリカは広島に続き、
長崎にも原子爆弾を投下した。

思えば、7月26日に於いて、アメリカ、イギリス、ソビエトの首脳により、
『ポッタム宣言』で日本に降伏を勧告したが、
日本政府と軍の首脳部が混迷し、黙殺した結果となり、
8月6日に広島に続き、9日に長崎に投下された。

こうした事実を少しづつ知りはじめると、
なお一層、この歌は悲劇を通り過ぎて、悲惨な過去の実態にうっすらと涙を浮かべる。

私は年を重ねた62歳の身であるが、
ここ10数年、8月15日の敗戦日になると、
昼のひととき『長崎の鐘』を聴いて、平和の大切さをかみ締めている・・。


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