4年がすぎた福島から、保養の取り組み「やんちゃっ子ひらかた」に参加された宍戸恵美子(福島市)からの投稿 福島は、終わっていません
私の住む杉妻(すぎのめ)地区の除染の住民説明会は昨年7月にあり、順にモニタリング・除染とすすんで、私の家にもあと1ケ月くらいでようやく順番がまわってくると思います。モニタリングの数値は0.4μ㏜/hくらいが多く、雨どいにあったドロは3.0μ㏜/hくらいありました。除染にともなってフレコンバッグにつまった土が庭に山積みになり、その脇を子供たちが学校に通うという異様な光景を見慣れてしまった私がいます。
幸い私の子供たちに今のところ甲状腺には異常は見られず元気に忙しい毎日を過ごしています。小学生の次男とは折にふれ放射能がたまりやすい場所やとりこみやすい食べ物、実際に小学校から学童保育所までHSF(*)で放射線量を計測した話をしたりします。しかし長男に「友達と放射能の話をすることはあるの?」と聞いたところ「全く無い!」という返事。年頃の子供は親からこういう話を特に嫌がるようで、本人のこれからの為にも、広くは日本の為にも伝えていきたいと思っているのにとジレンマを感じます。
学校の先生方とは、例えば運動会の時に外でご飯を食べるかどうかのアンケートや廃品回収などで時おり放射能の話題はでてきますが、こちらから話をしなければ先生からということはありません。次男の小学校は小人数で、私がPTAの本部役員をやっていることもあり、先生と顔を合わせることも多いのでざっくばらんに聞くこともあります。担任の先生は強風の時は外に出さない、校庭に腰を下ろさせないなどの注意や、授業中に放射能の豆知識などを話しているようです。副担任の先生は、自分の子供の高校の部活に「外でやらないで欲しい」と要望を伝えたら、その部だけしばらくお休みになり、子供が先輩から文句を言われ、そして息子から責められたとのこと。色々あってほんとに大変な立場だったと思います。長男の中学校に申入れしたときには、校長先生は「周りの学校の様子を見て外に出すかどうかを決めます」と言われました。とてもがっかりして、この人に言っても無駄だと思ってしまいました。学童の先生とも少し話をしましたが、「どこまでの数値がいいのでしょうね」と、考えてもしょうがない、考えてもよくわからない、どこで判断していいのか悩むような返答でした。おそらくみんな内に抱え込んでいるのだと思います。ここで生きていくのにマヒしている、マヒさせなければ生きていけないのです。
3月14日、仙台での国連防災世界会議のパブリックフォーラムの一部に参加してきましたが、華々しすぎてあの時の大変さとギャップを感じて帰ってきました。あれから何も変わらず、ただ生きることに精一杯で、放射能とは一体何なのかもうわからなくなりつつあります。見えないだけに本当に難しい問題です。色々な情報をずい分取り入れた4年間。それはそれで疲れました。引き算をしたいと段々考えるようになりました。シンプルに軽やかに生きていきたい、何かにまどわされて生きていくのは、もうたくさんだと感じます。
(*)HSF-ホットスポットファインダー:GPS連動型の空間線量率自動記録システムで、放射線量が高いホットスポットを地図上で特定することができる
私の住む杉妻(すぎのめ)地区の除染の住民説明会は昨年7月にあり、順にモニタリング・除染とすすんで、私の家にもあと1ケ月くらいでようやく順番がまわってくると思います。モニタリングの数値は0.4μ㏜/hくらいが多く、雨どいにあったドロは3.0μ㏜/hくらいありました。除染にともなってフレコンバッグにつまった土が庭に山積みになり、その脇を子供たちが学校に通うという異様な光景を見慣れてしまった私がいます。
幸い私の子供たちに今のところ甲状腺には異常は見られず元気に忙しい毎日を過ごしています。小学生の次男とは折にふれ放射能がたまりやすい場所やとりこみやすい食べ物、実際に小学校から学童保育所までHSF(*)で放射線量を計測した話をしたりします。しかし長男に「友達と放射能の話をすることはあるの?」と聞いたところ「全く無い!」という返事。年頃の子供は親からこういう話を特に嫌がるようで、本人のこれからの為にも、広くは日本の為にも伝えていきたいと思っているのにとジレンマを感じます。
学校の先生方とは、例えば運動会の時に外でご飯を食べるかどうかのアンケートや廃品回収などで時おり放射能の話題はでてきますが、こちらから話をしなければ先生からということはありません。次男の小学校は小人数で、私がPTAの本部役員をやっていることもあり、先生と顔を合わせることも多いのでざっくばらんに聞くこともあります。担任の先生は強風の時は外に出さない、校庭に腰を下ろさせないなどの注意や、授業中に放射能の豆知識などを話しているようです。副担任の先生は、自分の子供の高校の部活に「外でやらないで欲しい」と要望を伝えたら、その部だけしばらくお休みになり、子供が先輩から文句を言われ、そして息子から責められたとのこと。色々あってほんとに大変な立場だったと思います。長男の中学校に申入れしたときには、校長先生は「周りの学校の様子を見て外に出すかどうかを決めます」と言われました。とてもがっかりして、この人に言っても無駄だと思ってしまいました。学童の先生とも少し話をしましたが、「どこまでの数値がいいのでしょうね」と、考えてもしょうがない、考えてもよくわからない、どこで判断していいのか悩むような返答でした。おそらくみんな内に抱え込んでいるのだと思います。ここで生きていくのにマヒしている、マヒさせなければ生きていけないのです。
3月14日、仙台での国連防災世界会議のパブリックフォーラムの一部に参加してきましたが、華々しすぎてあの時の大変さとギャップを感じて帰ってきました。あれから何も変わらず、ただ生きることに精一杯で、放射能とは一体何なのかもうわからなくなりつつあります。見えないだけに本当に難しい問題です。色々な情報をずい分取り入れた4年間。それはそれで疲れました。引き算をしたいと段々考えるようになりました。シンプルに軽やかに生きていきたい、何かにまどわされて生きていくのは、もうたくさんだと感じます。
(*)HSF-ホットスポットファインダー:GPS連動型の空間線量率自動記録システムで、放射線量が高いホットスポットを地図上で特定することができる
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