ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

留学時代: ニューヨークのJazz

2009-12-19 15:15:46 | 昔話
今日は1982年のニューヨークのJazzの話を書こう。

ニューヨークにはありとあらゆるものがあるという感じだが、その中でも私はジャズが好きなのでよく聞いていた。

まず、印象的だったのはJazz Mobileである。 Jazz Mobileとはニューヨーク市が貧しい人たちのためにやっている活動で、トラックに機材を積んで、公園でジャズのライブを行うものである。日本だと2千円以上のレコード(当時はLPレコードだった)を発売しているような有名なプレーヤーがこれで回ってくる。ジャズの演奏家は黒人が多いので彼らもほとんどボランティアなのかもしれない。

コロンビア大学は貧しい地域にあったので私は良く公園に聞きに行っていた。広場で演奏して周りの階段などに皆好き好きに座って聞く。もちろん無料である。演奏の時間が近づいて観客が集まってくるとシシケバブ(日本でいえば焼き鳥)の屋台などが建っていい匂いがしてくる。ビールも売っている。 演奏が始まると、「Do you Smoke ?」と言ってたばこを売りに来る。私はタバコは吸わないので断っていたが後で聞くとマリファナだったようである。

ある時、音響系が壊れてマイクが機能しなくなった。するとボーカルの人がマイク無しで歌い始めた。マイク無しで、屋外でも十分に聞こえるだけの声量である。黒人の大柄な人だったが、「やはり違うな」と思ったものである。

夜はときどきヴィレッジのジャズクラブに行っていた。たいてい2部構成で、1回目が10時ころに終わり、2回目は12時過ぎに終わる。夜中に帰るのは心配なので最初のうちは第1部のほうを聞いていたのだが、あるとき「第2部のほうがずっと良い」と聞いて第2部を聞いてみたことがある。確かに第2部のほうが本物のジャズという感じがした。

10月頃だったと思うがCool Jazz Festivalというのがあった。これは全米の有名なジャズプレーヤーが集まって、あちこちのコンサートホールで演奏会を開くイベントである。このときに聞いたカーネギーホールでのオスカー・ピーターソンの演奏は忘れられない。

オスカー・ピーターソンは当時すでにかなりの高齢でステージに上がってくるときはよたよたしたおじいさんという感じである。しかし、彼がピアノを弾き始めるともう美しい音の洪水という感じである。しっとりと弾く感じではなく次から次へとアップテンポで音が流れてゆく。そしてそれが心地良い流れになるという感じだった。

当時の留学生仲間に富士銀行から来ていた古荘さんという人がいた。25歳前後だったがすでに直木賞作家であり、彼がジャズが好きだったのでよくあちこち一緒に聞きに行ったものである。

今は変わっているかもしれないが、ニューヨークはモダンジャズでは最高のメッカといえると思う