ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

付加価値の実態が経済価値と合わない例

2009-12-17 14:58:56 | 経済
昨日、内需関係の労働が日本も付加価値としては中国も日本も変わらないのに、日本のほうがはるかに付加価値が高いように計算されていると書いた。

これを一般化すると「異なる経済圏の内部における内需関係の付加価値は、資本及び人的流動性が低い場合には大きく異なったものになりえる」ということだろうと思う。

本日は国際的流動性が高い種類の付加価値で、付加価値と経済価値があっていないと私が感じていることについて書いてみたい。 それは私が所属しているICTの分野である。

ICT(情報通信)の分野は20世紀初頭には産業として成立していなかったが、20世紀中に急速な技術革新が起こり一大産業へと発展した。ところが21世紀にはいって、付加価値は向上しているものの経済価値は向上しない状態になったと感じている。

私の活動分野である日本の携帯電話産業を例にとって説明しよう。日本の携帯電話の産業規模は2002年あたりから殆ど増加していない。日本ではドコモなどの通信事業者が端末市場をコントロールしており、端末は安値で販売されているので、携帯電話の事業規模は
総加入者数X一人当たりの支払料金
でほぼ計算することができる。加入者数は少しずつ増えているものの、料金は少しずつ下がっており、産業規模としては変わっていないというのが実態である。

しかし、付加価値のほうはどうだろうか? この間、無線の方式は3Gに置き換わり、様々な新しいサービスが出てきている。カメラの解像度も上がり、お財布ケータイなども出てきて利便性は大きく向上している。若い人の中には自動車より携帯電話のほうが大事という人が少なくないほど携帯電話は生活に密着してきている。

それではなぜ付加価値を経済価値に転換できないのか?
それは競争で各社が値下げするからである。大部分の付加価値は半導体やソフトウェアによってもたらされている。これらの技術は一度開発してしまうと大量生産は簡単にできるので、価格を下げることができる。携帯電話の部品などは水平分業が進んでおり、多くの付加価値は部品の改良によってもたらされる。新たな付加価値を生み出した会社が安値でその部品(ソフトウェアを含む)を売り出すと瞬く間にシェアを向上させる。その会社にとっては大きな利益が出るのだが、他の会社は利益を失い、産業の規模としては変わらないことになる。

この点で私が非常に気になっているのはGoogleの動きである。Googleは多くの革新的ソフトウェアを生み出し、その多くを無料で提供している。Googleとしては広告料収入で大きな利益を上げているが、広告料は企業が元々予算を使っていた分野なので支払先がGoogleに代わっただけで産業規模は増えていない。一方、Googleのおかげでビジネスモデルが危うくなっている企業はかなりの広範囲に上る。

Googleは資本主義の中では模範的な会社である。人々に付加価値の付いた利便性を提供し、適正な利潤をあげている。しかし、産業界全体で言うと「これで良いのか」という思いを禁じ得ない。付加価値、あるいは技術革新をあまりにも安価に提供しすぎているために、産業規模をむしろ縮小させるのではないか、という思いである。

資本主義の枠組みでGoogleを規制することはできないだろう。しかし、資本主義が人類にとって最も良い経済の仕組みなのかどうかは分からない。資本主義を超えた新しい概念が必要な段階まで人類は来ているのではないかと感じている