伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

銀河の向こう

2008年01月21日 | エッセー
 タイトルは「年賀の向こう」を親父流に洒落てみた。お笑い召さるな。この齢になると、物事が素直に表現できないのである。 
 さて今年はどうしたものか、恐竜のロングテールよろしく三が日以降日に二、三枚、ずるずると2週間を過ぎても届いた。その中に、名宛人不明で返送されたものが混じっていた。今年は特にこれが多かった。宛先を訂正し切手を貼って再度差し出したものまで4、5枚舞い戻ってきた。ひょっとしたらわが家だけか。もしかしたら、POSTMANの復讐か。(07年3月4日付本ブログ『PLEASE MISTER POSTMAN』で悶着の顛末は書いた)いやいや、それは邪推というものだろう。人を疑ってはいけない。誤配なきを期したのだ。それが少々いき過ぎてしまった。そういうことにしておこう。お互いの幸せのために。
 今回が約29億枚。前年より4%減ったものの、一人が30枚、世界に冠たる国民的大イベントである。明治中期から郵便制度に組み込まれて以来100年を優に超える。虚礼との批判はかねてよりあるが、廃らせてはならぬ良俗である。とはいうものの、わたしなぞは毎年11月になると悩みが始まる。来年の賀状をどうするか。通り一遍のものでは気がすまぬ。オリジナリティーがほしい。持ち合わせぬ者に限ってあるように見せたがるのがそれで、無から有を生む呻吟がはじまる。こじつけていえば、知的鍛錬としてもこの慣習は貴重である。
 さらに生存の確認と家族構成のチェック。近頃はPCの普及で写真の貼り付けも自在だ。子どもの成長を知らせる格好の手段でもある。もっとも過剰な情報の押しつけで辟易する時もあるが。付き合いの間合いははなはだ遠いものの、それでいて存命もしくは延命だけは知っておきたい人物については賀状がうってつけだ。

 ともかくもその数、29億である。小振りの銀河といったところか。さらに29億枚が織りなす壮大な相関図を虚空に拡げてみれば、これはもう立派な銀河だ。
 不即不離で運行する星々。絶妙な間合いを取りながら宇宙のある一角を目指す星の群れ。踵を返して離間していく星々。古来先人たちがさまざまな物語を紡いできた多彩で豊潤な星辰の群れ、それが天涯なる河、銀河だ。
 さて、その向こうである。天文学上の知見に沿えばその向こうには、また別の銀河がある。さらに、その向こうにも……。となれば、話は世界に広がる。わが国の賀状は糾える相関を一息に顕在化させるもので、まことに重宝である。ただこのような慣行をもたぬ諸外国にあっても、人はひとりでは生きてはいない。200を超える国々に住まう65億の民がそれぞれに相関の図を織り成している。とすれば、それらは「向こう」に展開する銀河の群れではないか。銀河の向こうには、また銀河。そして、さらに銀河……。天空の銀河に伍して、地上なる銀河もまた豊饒の河だ。

 郢書燕説を続けたい。ベクトルを逆転させる話だ。「スモールワールド」、世間は狭いということである。そのテーゼを学問的に立証しようとする分野があって、数学の世界で「六次の隔たり」と呼ばれる学説がある。自分の人間関係を6人だけ辿っていくと地球上のだれとでも繋がるという。実験がある。 ―― 無作為に選んだ60人に手紙を出す。各自、世界中の特定の人物に届くよう人脈を辿って手紙を手渡していく。ウソのような話だが、これがうまくいくのだ。介在する人数が平均して6人。もちろん豊富な人脈をもっている人が仲介すると、より早く届く。袖振り合うも多生の縁、先達の慧眼に脱帽だ。
 古いコピーだが、「友だちの友だちは、また友だちだ!」である。タモリ、畢生の至言である。当意即妙、言い得て妙、一句万了ではないか。

 展(ヒラ)けば銀河へ、統べれば6人に。地上なる銀河も隔たりは六次でしかない。銀河の向こうは至近にある。□


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