伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

親の因果が子に報い

2008年01月26日 | エッセー
 鮮やかな一本勝ちであった。ところが、世間の評価が存外に低い。低すぎる。前任者はこれがために自滅したほどの難関であったというのに。解説を生業とする者、また各紙誌とも冷淡すぎる。この辺り、わが国ジャーナリズムの貧困と懐の狭隘を言わず語るものであろうか。
 今月11日、補給支援特別措置法案(給油法案)が衆議院で3分の2の再議決で成立した。憲法59条の発動はじつに57年ぶりのことであった。この問題については昨秋以来、本ブログやコメントでなんどか触れてきた。しかしここでは事の賛否には言及しない。元来生臭いものを好まない。司馬遼太郎いうところの「政治という理外の理のような機微」(「街道をゆく」から)について語ってみたい。
 この問題の処方は3分の2の再可決しかない。肝心なのは、いかにそこにソフト・ランディングするか。それに尽きる、といってきた。フグタ操縦士の腕前は見事というほかない。視界は悪かった。まさに五里霧中であった。就任直後こそ御祝儀相場で支持率は高かったものの、年末にかけて年金解明の公約違反の逆風が吹いて低迷が続いている。参院での問責決議案への対処もなかなかスタンスが定まらなかった。
 なんといっても決定打は『大連立』騒動であった。仕掛け人はナベ爺さんとも喧伝された。「たかが選手ごとき」のあの爺さんだ。「たかが文屋ごとき」爺さんがなにを血迷ったか、国家の大計にしゃしゃり出て仕掛け人を気取るとは、「余計な親切、大きなお世話」である。ただこの爺さん、並のジジイではない。「党内が追従するだろうと踏んだのがオオサワ代表の誤算だった」との後日談はそれなりに鋭い。オオサワくんには自民党のDNAが濃厚に流れている。それもかなり古い自民党のDNA、親分・子分のそれだ。カネも票も丸抱え、親分が右を向いているのに左を向く不届き者などいる筈はない。いや、いなかった、あのノスタルジックなよき時代のことだ。
 さらに、辞めます、辞めませんのドタバタ劇はいかにもオオサワくんのイメージを損じてしまった。この騒動、約2ヶ月、ボディーブローのように効いた。結局はフグタくんの一人勝ち。敵失を丸々頂戴したかたちだ。案の定、年明けは野党の求心力が弱まり、問責決議案も雲散してしまった。再議決では、直前にオオサワくんが退場するというオマケまでついた。あれはきっと、同じように右を向かなかった同党の無礼者に対する面当てだったにちがいない。
 ともあれ、この絶妙な事の運び。運に恵まれることも含めて生半ではない。繰り返すが、マスコミはあまりにも冷評に過ぎる。「理外の理のような機微」が政治を動かす。論理を超えるなにがしかが蠢く。それが見えぬ者に政治家は勤まらぬ。経済学者が財をなした例(タメシ)はない。経済を動かすのは別種の人間だ。役割の違いである。同じく、政治アナリストなるもの、政治学者、政治屋、政治家、みな役どころが異なる。別けても、政治家には天稟の才が要る。
 
 さて因果の話だ。以下、余話、徒話のたぐいである。
 57年前の昭和26年、「モーターボート競走法案」が衆議院の3分の2で再可決され成立した。ということは、参議院で否決されたのだ。
 かの笹川良一を世に生んだこの法律。参院での反対理由がふるっている。
1. 戦後で余裕がない ―― 今は国民こぞって経済復興に一意専心すべき時だ。ギャンブルなどしている余裕はない。      
2. 国民消費を圧迫する ―― 国民生活に不健全な影響を与える。真の地方税制への寄与とは言い難い。
3. 不正の温床となる ―― 都道府県で一つしか公益法人の設立が認められておらず、政治的利権や許認可が不純な結果を招来する危険性がある。
4. 射幸心を無駄に煽る ―― すでに競馬、競輪がある。それに競艇が続くとなると、さらには牛・鶏・豚・猫など畜犬競技法が登場することは火を見るよりも明らかである。

 1. 2. 3. はいかにも良識の府たるを髣髴させる。おそらく新憲法1期生か、2期生。真新しいランドセルを背負(ショ)って弾みながら登校する小学1年生か。実に初々しい。清々しい。4. は勢いというもの、御愛嬌だ。
 その後の競艇の隆盛はつとに御案内の通りだ。だが、かつては2兆円を稼ぎ出したこの業界も昨今は低迷気味。9千億円台に甘んじ、赤字の施行者が続出している。60年、時代は変わる。人心も変わる。
 さて、お立ち会い。この再議決に持ち込んで成立させた立役者。時の衆議院議院運営委員長こそ、誰あろう。オオサワくんの父君、小沢 佐重喜(サエキ)氏その人であった。
 もうひとつ。57年後の本日ただ今、衆議院議院運営委員長の大任にあるのは、誰あろう。笹川良一氏の子息・笹川 堯(タカシ)氏その人である。
 親の因果が子に報い……。報いたか報いはせぬか、それは判らない。ただ、十分に因縁めく話ではある。加えて、57年の時を跨いで発動された憲法59条。どちらも船がらみ。おまけに双方とも臨時法としての扱いであった。この際だ、『報い』たと考えた方が話がおもしろい。ただこの因縁話、「理外の理」ではない。そのような機微はない。単なる与太の咄である。□

☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆