伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

囚人の記 1

2008年01月29日 | エッセー

< 藪 >
 竹藪に風が吹く。ざわざわと音を立てる。風邪ごときで騒ぎ立てる医者を「藪医者」と呼んだ。
 見分け方は簡単。患者を見ない。「診ない」のではない。「見ない」のである。検査データの数値やレントゲンばかりを見ている。聴診器を当てるにしても、目は合わさない。この手合いは、間違いなく藪だ。大藪だ。断言できる。
 11日、その藪に迷い込んだ。さんざ検査したあげく、「3年前ほどではないですね。クスリを出しましょう」ときた。待ちが2時間、検査1時間、診察3分。絵に描いたような現代医療風景である。
 12日深更、同じ症状が襲ってきた。仰臥すると呼吸ができないくらい息苦しい。横臥しても同じ。かろうじて座ると息が続く。時々、目の前が暗くなる。13日1時半、観念して、救急外来へ。駐車場から外来の窓口まで、わずか30メートル。これが遠い。肩で息をしながら、果てのない道をやっとたどり着く。
 顔を見るなり、ベッドに寝るように指示される。すぐに酸素吸入。採尿管の挿入、レントゲン、CTなど……。
 「なぜ、11日は帰したんでしょうねー。肺炎を併発しています。入院してください」最も怖れていた言葉だった。
 「通院ではいけませんか?」苦しい息の下での哀願である。
 「なにを馬鹿なことを言ってるんですか。お宅には酸素ボンベがありますか。その他必要な施設がありますか。このままお帰りになったのでは、命の保証はできません」獄卒の声だ。
 「おめぇの保証なんぞ、頼まねぇよ!」と、啖呵を切る勇気も元気もさすがに失せていた。黙するほかはない。

 横付けされたベッドに移り変わり、階上のICUへ。点滴が2本、心電図の端子が4本、1時間ごとに締め付ける血圧計、指先に酸素濃度計、酸素マスク、採尿管……。寝返りもままならない。ついに囚人(メシュウド)となりはててしまった。生まれてこの方、一度も経験したことのない「入院」の二文字が重くのしかかる。見えざる格子だ。格子なき牢獄だ。
 仕事はどうする。3日後には大事な会議がある。欠席するとなると、どう手を打つか。代役はどうするか。書きかけのブログがあった。続きはどうしよう。あしたは同窓会の打ち合わせもある。あいつと、あそこに電話して、資料をどこに届けようか。……意識がはっきりしているだけ、わが身の突然の不遇にディレンマが募る。
 一通りのことを、未だ自由の残っているわが手でメモに取り、荊妻に託す。そういえばさっき座れば呼吸が楽になると病状を説明したとき、ドクターは「だから、『キザ』呼吸でなければならないくらい大変なんですよ」と言った。キザとはどう書くのか。まさか「気障」ではあるまい。察するに、跪いて座る「跪座」ではないか。看護師に確かめて、それもメモに書き込む。
 てんやわんやで朝4時を過ぎる。小康を得て、ベッドをかなり起こして「起座」睡眠に。うつらうつらしては目が覚めるの繰り返し。ともかくも朝を迎える。
 やがて朝の巡回。同科の医師が三、四人連れだって回る。担当が同僚に病状と処置を説明する。
 いた! 例の藪が。当然、肺炎のことも担当医は言った。帰り際、彼は小声で「気がつきませんでした。済みませんでした」と軽く頭を下げた。飛びかかって首を絞めようにも、自由の利かぬ身体。いえ、いえと声なき呻きを発しつつ頭(コウベ)を振る。人格と身体との自由度とはあきらかに相反するものか。喪家の狗を託つ日々は続く。

 ただ、ひとつの発見があった。風が吹いても騒がない「藪」があることだ。□


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