伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2007年12月の出来事から

2008年01月06日 | エッセー
■ スポーツクラブで男が散弾銃乱射2人死亡6人負傷
 長崎県佐世保市の「ルネサンス佐世保」で男が銃を乱射。アルバイト女性と友人男性が死亡、利用客ら6人もけがをした(14日)。男は翌朝、自殺した姿で発見された。
  ―― 俗に言う「凶悪事件」が起きた時、犯人一人に極小化することも社会全体に極大化することも、ともに危険だ。さらにメディアの作り出す「危機神話」はもっと危険だ。
 定義は詳らかではないが、凶悪犯罪は決して増えてはいない。むしろ微減している。だが、世論調査などでは「治安の悪化」にバイアスがかかる。明らかにメディアの影響だ。その先には、政治のポピュリズムが待ち構えている。少年法の改正、然りだ。更生のための少年法が処罰のための法に焼き直されていく。適用年齢の値切り競争に化けてしまう。  
 国民性の然らしめるところか。イシューを外さない論議が大事だ。

■ 福田首相、年金公約巡り陳謝 
 「党のビラで誤解を招くような表現があった。おわびを申し上げなければいけない」と陳謝(17日)
  ―― 街頭インタビューで一つ二つ、冷めた反応があった。初めから話半分で聞いていたから取り立てて落胆も怒りもありません、と。実はわたしも同じで、いいのか悪いのか。シニシズムは決して政治をよくはしない。冷静と冷笑はちがう。人生幸朗ではないが、「責任者、出てこい!」の熱まで『宙に浮いて』はなるまい。

■ 教科書の検定意見を事実上修正
 沖縄戦の「集団自決」をめぐる検定問題で、文部科学省は教科書会社6社から出ていた訂正申請を承認。いったん消えた「軍の関与」が復活した(26日)
  ―― 評論家の加藤周一氏は「軍の命令があったかなかったかという細かい点に解消されてしまっている気がする。肝心なのは軍の責任であり、どういう状況が人びとを追い込んでいったかだ」と述べる。集団自決などという日常性から最もかけ離れた行為が、一片の軍令などで唐突に起こるはずがない。問題は、沖縄を『捨て石』にした「状況」である。そこだけは絶対に外してはならない。画竜点睛である。
 それにしても、官僚はずるい。教科書会社からの申請を認めるという体裁をとった。検定システムを逆手にとる姑息なやりかただ。霞ヶ関の官僚群が優秀であることは認めるが、こんなところに秀でてほしくはないものだ。
 これで、アンバイ君の影がまた一つ消えた。

■ パキスタンのブット元首相暗殺
 ラワルピンディで銃撃と自爆テロに巻き込まれて(27日)
  ―― 安政7(1860)年3月3日、桜田門外の変が起こる。大老・井伊直弼が暗殺される。歴史の歯車が音を立てて回り始める。司馬遼太郎は、史上ただひとつ歴史を進展させた暗殺であったと述べた。つまりは、これ以外の全ての暗殺は無意味であったということだ。
 世界に規模を拡げても同じだ。人の死をもって前進する社会などありえない。年の暮れに世界を巡った暗い出来事であった。今年こそ同類の報道なきことをと、祈りたい。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆