伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

オヤジは説明できない

2019年04月27日 | エッセー

◇13年12月9日
 安倍晋三首相は9日の記者会見で、6日に成立した特定秘密保護法について「今後とも国民の懸念を払拭すべく丁寧に説明していきたい」と語った。
◇15年月15日
 安倍晋三首相は15日、衆院平和安全法制特別委員会で安全保障関連法案が与党の賛成多数で可決したことについて「国会での審議はさらに続く。国会での審議を含め、国民にさらに丁寧にわかりやすく説明していきたい」と語った。
◇17年6月23日
 安倍晋三首相は通常国会閉会を受けた19日の記者会見で、学校法人加計学園の問題が不信を招いたことを認め「丁寧に説明する努力を積み重ねたい」と述べた。
◇18年11月12日
 外国人材の受け入れを拡大するための出入国管理法の改正案が13日に衆議院で審議入りすることを受け、安倍総理大臣は、法改正の必要性を丁寧に説明し、今の国会での成立を目指す考えを強調しました。
◇19年3月13日
 安倍晋三首相は13日午後の参院予算委員会で消費税に関し「さらなる引き上げに向けて、国民に丁寧に説明し、理解を深めていきたい」と述べた。
 上記は過去5年間の重要なイシューについてのアンバイ君のコメントである。すべてに「丁寧」と「説明」の2語が入っている。果たして「丁寧な説明」はなされたか。全部、うやむやのままだ。なぜだろう? 実は「説明しない」のではなく、「説明できない」のだ。つまり意志ではなく能力の問題であると、意外なことの本質を一刀両断に剔抉してくれたのが故橋本 治氏である。  帯に──バカばかりになった日本人への遺言──と副題をつけた
   「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」 (朝日新書、今月刊)
 である。
  橋本氏はアンバイ君とは畑違いの人物を持ち出してくる。日本ボクシング連盟元「終身会長」であった山根明だ。あの「男、山根明」である。彼を「今では失われてしまった家父長制度の残像を身にまとった人物」とし、こう述べる。
 〈説明とは、言い訳と重なるようなもので、一家の上に絶対権力者として君臨する家父長オヤジが、どうして「自分より下」の立場の人間に説明なんかする必要があるだろう。オヤジが目下の人間に垂れるのは訓辞だけで、言い訳がましい説明なんかはしない。オヤジというのは説明をしない。説明をする必要が、立場としてない。だからどうなるのか? 恐ろしいことになる。オヤジには、説明能力がなくなるのだ(!)。〉(上掲書より)
 返す刀で、
 〈大阪在住のボクシングおやじと、東京の永田町にいる「総理大臣」とか「首相」と呼ばれる人物は、そのあり方──説明能力のなさ、説明能力のなさをうやむやにしてしまっている点でそっくりだ。説明をしなかった総理大臣は“なに”をしたのか? 日本ボクシング連盟会長が「みんな嘘!」と言い切って、その後に「辞任します」と言ったように、衆議院を解散してしまった。「解散します」は「辞任します」の近似形である。「見なし辞任」のようなもの。
 (総理は)「“ないこと”は証明出来ないのです」と、高級なことを教えてくれるのに止まった。下手に突っ込まれたらやばくなるから、絶対にその件に関しては触れないという戦法で、これを日本ボクシング連盟会長の言葉に翻訳すると、「みんな嘘」になってしまう。「みんな嘘」なのだから、一々の疑惑について反証する必要はない──そういうすごい展開です。〉(上掲書より抄録)
 「“ないこと”は証明出来ない」とは「悪魔の証明」である。官邸スタッフの入れ知恵であろう。「みんな嘘」の「男、山根明」よりは少しアカデミックだが、もっと狡い「みんな嘘」だ。
 続いてトドメを刺す。
 〈嘘をつこうとしている、逃げようとしているというのはモラルの問題だけれども、「説明能力がない」は、モラルとも道徳とも関係ない。すごいことに、「えらい」と言われる上の方の地位の人に多い。それは残存する家父長制の亡霊がなせるものだから。家長である男は、一家の中で一番えらいから「家族」という目下の人間に命令はしても、説明などということをする必要がない。終わってしまった家長おやじの幻想の中に入り込んでしまった人間は、だから説明能力が育たない。〉(同上)
 なんだか親分筋のトランプにもそのままいえそうだ。
 遺稿ともいうべき上掲書のそでにはこうある。
──「父はえらい、男はえらい、だから説明能力がなくてもいい」そんなバカげた世界は、とっくの昔に崩壊している!
 トランプ大統領の出現後、日本の組織でもパワハラ、セクハラが露わになり、官僚や大学のオヤジ体質が暴かれていく。男たちの「論理」が通用しない時代に、なぜ「父権制の亡霊」がはびこるのか。都知事選の変遷、ハリウッド映画の分析、学生運動の成り立ちから政治家のスキャンダルまで、あらゆる現象を歴史的にひもときながら、これまでの「当たり前」が失効する世界の到来を説く。ベストセラー『知性の顚覆』に続く、橋本治による最後の指南!──
 17年12月、小稿『昭和、平成、そして』で日本の歩みを以下のように大括りしてみた。

◇ヒメ・ヒコ制を抜けて古代国家の成立から江戸末期まで──「お家大事」。日本史のほとんどは「お家大事」の時代であったといってよい。
◇明治維新から敗戦まで──「家」から『お国大事』の時代へ。やがて暴走を始め、遂に破局に至る。
◇敗戦後から平成──アメリカが乗っ込んできて「お国」は退き、『お金大事』へ。高度経済成長、エコノミック・アニマル、やがてバブルに。だがバブルは弾けても、依然「お金大事」は続く。

 「日本史のほとんどは「お家大事」の時代であった」ゆえに、「家父長制の亡霊」は依然として残存するのであろう。実は、「お国大事」も「臣民は天皇の赤子」という家父長制の究極型だった。後続した「お金大事」はやがて成長の限界と少子高齢化という不可逆的な趨勢の中で「お家大事」を崩していく。そして「家」が急速に機能不全に陥っていったのが平成である。それはつまり、「家長」の消失と同義なのだ。橋本氏は同書を次のように締め括る。
 〈もう「家」そのものが実質的な機能を失っている以上、一人の支配者、一人の統治者であるような家長に、全体を統率する力は宿らない。だからもう実行力を持った指導者は現れない。しかし人は、まだ「力を備えた一人の指導者がやって来る」という幻想から離れられない。だから世界には、国民の考えから解離してしまった独裁的な力を持つ権力者が頻出している。アメリカでもロシアでも中国でも北朝鮮でも、日本でも。内向きで周囲の声に耳を貸さない人だけが指導者になれるというのは、時代がそこで止まってしまっているからだ。
 もう一人の人間に権力を預けて「指導者」と言うのをやめて、代表者が複数いてもいいあり方を検討すべきではないのでしょうか。〉(同上)
 重厚な博学多識と高々とした知性が徹見した世のありようと行く末。「最後の指南」というに相応しい名著である。 □