伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

MMT

2019年04月09日 | エッセー

 荻原重秀 VS. 新井白石 そして 田沼意次 VS. 松平定信 は、江戸時代を代表する不倶戴天の敵(カタキ)同士である。荻原、田沼は経済に通じた悪徳政治家、対する白石、定信は律儀な経済正統派として──。ところが後、白石は「白石デフレ」と酷評され、定信は「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」と悪評を買った(白河は定信の暗喩)。まことに皮肉なものだ。反面、当今高い評価を受けているのが荻原と田沼。特に注目すべきは荻原である。
 荻原の「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」との持論は、300年も時代を先取りした信用貨幣論ともいえるものだ。歴史学者磯田道史氏はこう語る。
〈元禄期の勘定奉行・荻原重秀は「元禄の貨幣改鋳」をおこなった。彼は前近代人であるにもかかわらず、貨幣のもつ神秘性、犯しがたい貴さが、金銀などの貴金属によって担保されるというドグマ・思い込みから自由であった。彼だけが「金銀は神ではない。国家の信用が神なのだ」という現代的な通貨の本質に目覚めていた。通貨にとって、神となるのは通貨を発行している発行元=国家の信用力であると看破していたところに、私は、荻原の天才性=時代からの超絶をみる。〉(「日本史の探偵手帳」から)
 最近の研究により貨幣改鋳によるインフレはさしたるものではなく、逆に元禄の好景気を呼んだ「大江戸リフレ政策」として見直されている。
 元禄金銀の是非はともあれ、貨幣の本質を“幻想性と信用性”だと見抜いた眼力は驚異的だ。この二つは小稿で何度も触れてきた(「瓦礫」が幻想性、「国家が造る」が信頼性)。経済学者浜 矩子先生もズバリこう仰せである。
〈結局のところ、全ての通貨が仮想通貨だということである。我々はビットコインなどの電子決済手段を仮想通貨と呼んでいる。だが、考えてみれば、これはどうも少しおかしい。通貨は、人が通貨だと認知するから通貨となる。ということは、今日、世の中に出回っている通貨は、全て、人がそれを通貨だと「仮想」しているから通貨なのだ。〉(「通貨の正体」から)
 今月4日のこと、参院決算委員会で「財政赤字は怖くない」と、自民党の西田昌司くんが得意然とMMT(現代金融理論)の能書きを垂れていた。
〈米国で注目される「異端」の経済理論を踏まえて日本は借金を増やしても財政破綻しないとする意見に対して、麻生太郎財務相らが否定的な考えを述べた一方、安倍晋三首相は「日本の信用は十分にある」とまんざらでもない様子を見せた。西田氏は、「十分に財政出動ができていない。緊縮財政がむしろデフレをつくって財政を悪化させている」と主張。財政赤字を問題視しないMMTを引きながら、「自国通貨でお金をどんどん出していけば日本政府は絶対破綻することはない」と、財政支出の拡大を求めた。〉(4月5日付朝日から抄録)
 MMTとは「貨幣的主権を持つ政府は貨幣の独占的な供給者であり、物理的な形であれ非物理的な形であれ任意の貨幣単位で貨幣の発行を行うことができる。そのため政府は将来の支払いに対して非制限的な支払い能力を有しており、さらに非制限的に他部門に資金を提供する能力を持っている。そのため、政府の債務超過による破綻は起こりえない。換言すれば、政府は常に支払うことが可能なのである」と、ウィキペディアにある。
 “Modern Monetary Theory”──確かに Modern ではあるが、祖型を荻原論としその極めつけとみられなくもない。日本でもかなり以前から取り上げられ、トンデモ経済論として総スカンを喰ったこともある。知ってか知らずか、西田くんはアホノミクス不振の尻拭いを買って出たのだろうか。ご苦労なことだ。
 さてMMT、稿者には眉唾だ。貨幣の“幻想性と信用性”──幻想性はともあれ、MMTへの最大の疑念は“信用性”にある。刻下「非制限的な支払い能力」と「非制限的に他部門に資金を提供する能力」自体が問われるパラダイムシフトの渦中にあることを失念しているのではないか。つまり、いまだに成長神話を甲斐甲斐しく信じて疑わないのではないか。ピケティの指摘を筆頭に、資本主義は黄昏にあるというのが“Modern”な識見だ。成長経済から「脱成長」「定常経済」へ、が“Modern”な志向だ。だから、MMTは前提がおかしい。貨幣論の先駆性は別にして、荻原の「大江戸リフレ」は近代以前の、まだ成長が夜明け前にあったころの昔々のお話である。「重要なのは答えではない。問いを立てる力だ」とするなら、なぜアホノミクスが糠に釘に終始しているのかを問うことこそ緊要だ。
 荻原の先駆性とは無縁。白石の律儀も定信の清廉もなく、あるのは田沼の「濁り」のみ。「忖度」はついにこの政権の金看板となった。お札の顔を変えるより、内閣の顔を変えるが先だ。 □