伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

維新の強さ

2019年04月23日 | エッセー

  エスカレーターの2列乗り、「歩かず2列で」が奨励され始めたというTV報道があった。その方が結果速いのだそうだ。ふと、東京は左立ち、大阪は右立ちが浮かぶ(数年前、稿者は東京の某駅で右立ちをしていて突き落とされそうになった)。東京と大阪では言語、食文化を始めさまざまなものがちがう。「マック」(関東)と「マクド」、蕎麦とうどん。ディズニーランドとUSJ。3.11で顕在化した電気周波数の違い、などなど。挙げれば切りがない。笑ってしまうのが、警察官募集のキャッチコピー。警視庁は『あなたがまもる東京』、大阪府警は『行くぞっ!チカラの見せ所や!!』。府警は芳しからざる世評を気にしてか、妙に肩に力が入っている。ともあれ、これほど向こうを張る都市は世界にも稀ではないか。張っているのは大阪だが。
 エビデンスに欠ける腰だめの与太ではあるが、大阪維新の会の強さは如上のメンタリティーにあると稿者は観る。“アンチ東京”である。洒落ていえば、カウンターカルチャーの意地か。一端潰えたかに見えた「都構想」がまた生き返る(あるいは蒸し返す)。東京でオリンピックなら、大阪で万博。半世紀も前だ。08年、大阪でもオリンピックと狼煙を上げたが、やっぱり今度も万博。ならば、せめて「都(ト)」として肩を並べ副首都に。案外といっては礼を欠くが、維新の強さは“アンチ東京”という大阪人メンタリティーの琴線に触れるがゆえのような気がしてならぬ。だから、一時(イットキ)伸(ノ)した国政での維新の会は尻つぼみになってしまった。
 どのような党内事情があったかは知らぬが、立ち上げ時の大阪維新の会は大阪自民党からの離党組である。もちろん、府連には獅子身中の虫だ。ところが総理の座を投げ出した時秋波を送られた因縁もあってか、アンバイ政権も憲法改正の補完勢力として微妙な距離間を保っている。そんな複雑な相関関係の中を金看板の「大阪都構想」が再び“アンチ東京”の琴線をストレートに弾(ハジ)いた──。そういうドクサである。
 「都構想」については何度か触れてきた。詰まる所、以下の内田 樹氏の洞察に集約できる。
 〈大阪市廃止構想の本質的な瑕疵は、「自治」の問題であるにもかかわらず、徹底的に「効率」の問題として語られていることです。市民の自治権と効率的な行政サービスの交換取り引きに応じようとする人たちは、一度放棄した自治権はもう回復できないことを忘れています。〉
 複数の審級を組み合わせて意志決定を図る政治のありようを民主的という。自治権はそこに関わる。行政サービスの効率とは次元の違う話だ。「何も言うな、オレに任せろ」で痒いところに手が届けば結構なことだが、そんな思考停止の白紙委任ができるほど市民はバカではあるまい。いわば立法権と行政権をバーターしようとするものだ。それが「本質的な瑕疵」である。
 行政を会社運営と同一視する橋下徹のしょぼい政治観や政策についてはアンバイ君とのアナロジー、及びシンパシーを含めいいたいことは山ほどあるが別稿に譲る。
 強さの秘密は身近に宿る。存外、『行くぞっ!チカラの見せ所や!!』が当たらずといえども遠からずかも。 □