伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

神! 

2013年02月14日 | エッセー

 「カミ かわいい」「カミ おもしろい」「カミ やばい」「カミ おいしい」と言うものだから、「カミ」さんという人物の話かと聞いていたら、どうも違う。なんと「神」、つまり“GOD”のことだ。「超」の上、「超」では表現し切れないほどの格別さを「神」というらしい。
 神を副詞として使う。『神懸かったほどの可愛らしさ』『神業といえるほど美味しい』とでも翻訳すればいいのか。“Oh,My God!”の亜流、もしくは勘違いともいえようか。
 「チョー 気持ちいい」はつとに有名。「超特急」があるから「チョー おもしろい」という副詞風の使い方もありかと納得していたら(気づいたら、自分でも結構使っていた)、今度は新手のお出ましだ。いくらなんでも「神特急」はなかろう、とても副詞になぞ降臨されるはずのない厳かな名詞がいかな御時世とはいえお労しい、副詞となって下々にお仕えになる。ああ、世も末。鶴亀鶴亀(古いか!)……。
 先日のこと、若い女の子たちがぞろぞろ出てくるテレビ番組で耳にした。「カミ」といえば「神、上、髪」、どれも高みにある尊きものだ。中でも神は最上位であろう(筆者にとっては「髪」だが)。「超」の上位が「神」だと、その次は「天」か。さらに高位は「宙」か。他人事ながら、先行きを心配してしまう。かつ造語というよりは言葉のブリコラージュの才に『神 おもしろい』と、恐れ入谷の鬼子母神だ(これも古いか!)。「変態」から「H」。その昔から、ハイティーンの女の子はブリコラージュの天才だ。
  ついでにいうと、「なります」言葉。「こちら、コーヒーになります」のあれだ。モノの本によると、「ございます」が「なります」に“なった”のだそうだ。「ございます」が上等すぎるのか、上品すぎるのか、日常からは消えている。ために、ファーストフード店当たりで置き換えを始めたのではないか。「コーヒーです」ではぞんざい。かといって「コーヒーでございます」は、使い慣れてないから面映ゆい、舌を噛みそう。それで、「なります」に“なった”か。
 ということはいかに洒落たレストランであろうとも、「なります」と言って料理を持って来たのでは接客レベルは低いと見ていいのではないか。状態が変化していく様を「なります」と表現する。だから理屈をつければ、ご注文をお受けしていろいろな過程を経てこのような品物に変化しておりますとの謂だといえなくもない。とはいうもののコーヒーになる前は何だったのかと、真っ正直な筆者などに余計な思案を強要するようでは、言葉のセンスは決して高くない。だから、「なります」言葉の有無は星三つのうちの一つにはちがいない。筆者などは、「はい、お待ち!」の方がよほど心地いいのだが……。

 突然だが、神 おかしい! のがレスリングをオリンピックから外そうかという詮議だ。紀元前の古代オリンピックの時代からレスリングは正式種目であった。BC9世紀よりAD4世紀、徒競走やボクシング、戦車競争と並んで由緒あるオリンピック競技である。まさか戦車競争を復活せよとはいわぬが、レスリングを止めるとはどういうことか。IOCは気が触れたのではあるまいか。神 変だ!  
 肥大化を防ぐためなら、テニスやサッカーのようにほかに伝統と権威ある国際大会がある種目こそ除くべきだ(本ブログで再三触れた)。理由に挙げる競技人口の少なさ、ルールの分かりにくさなどは、オリンピックの歴史を考えれば取ってつけた言い訳に過ぎぬ。欧米にメダルが少ないことや、テレビ視聴率が低いことこそ本当の理由かもしれない。だとすれば、神 バカな話だ。
 太古、オリンピックは神々を崇めるための宗教行事として始まった。サマランチ以来、市場原理がそこに風穴を開けてきた。延命と脱皮には奏功したが、常に古層との軋轢が生じてきた。その端的な例が今回のレスリング騒動ではないか。蓋し、レスリングは古層の象徴である。
 3000年も前から神々に捧げられてきた伝統を捨てて、はたして神々は嘉せらるるであろうか。神に弓引く所業であると、お怒りになるやもしれぬ。そうなると本当に、神 ヤバい! □