伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

知恵者はいる!

2011年09月05日 | エッセー

 知恵者はいるものだ。素人の夢想はそのままで立ち枯れるのに、プロパーは夢想に枝葉を付け根を生やし大地に植え付けようとする。
 かつて「WEB2.0」が高言されたころ、「ネット民主主義」の可能性が取り沙汰された。本ブログでも取り上げ、新しい直接民主制の擡頭に期待を寄せたことがある。しかし現実は甘くない。ネットの進展は跛行的だし、むしろカオスの様相を呈してきた。私の中では夢想は立ち枯れた。替わって、哲人政治やその現代版としての臨調制度、選挙制度の改革、二大政党制への疑問、専門家による公開討論などへイシューが移った。
 そこに登場したのが、【創発民主制】である。
 主唱者は伊藤 穰一氏。40代半ば、気鋭のIT起業家である。日本におけるインターネット普及・伝承の第一人者であり、08年には米ビジネスウィーク誌で「ネット上で最も影響力のある世界の25人」に選ばれている。現在米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長であり、郵政省、警視庁等の情報関連委員会の委員や、経済同友会メンバーなど八面六臂の活躍だ。
 以下、かいつまんでその概要を紹介したい(〓〓部分、ネットに掲載されている論文を借用した)。あくまでも摘要である。正確には本文に当たっていただくほかない。

〓〓スティーブン・ジョンソンは、その著書『創発』の中で、収穫アリの集落が幾何学的な問題も含むきわめて難しい問題を解決する驚くべき能力を示すことを述べている。以下は、アリの研究者デボラ・ゴードンへのインタビューからの引用である。
 彼女はいう。「ここで実際に起こったことをごらんなさい。アリたちは、集落から正確にいちばん遠く離れた地点に墓地を作りました。さらに興味深いのは、ごみ捨て場の位置です。彼らは、集落と墓地からの距離を最大にするまさにその地点に、ごみ捨て場を作ったのです。何か彼らが従っている規則があるみたいですね。つまり、死んだアリはできるだけ遠くに置く。それからごみ捨て場はできるだけ遠くに置き、しかも死んだアリの近くには作らないようにするといったようにね」
 ジョンソンは、それを監督しているアリはどこにもいないという。アリがこの種の問題を解くのは、彼らがごく単純ないくつかの規則に従いつつ、直近の環境および隣接者たちといくつかのやり方で相互作用するなかから創発してくる行動なのだ。
 ヒトの胎児がより高次の秩序へと発達するのも、一連の規則に従って、直近の隣接者たちと相互作用するというこの同じ原理を通じてなされる。最初の細胞が2つに分裂するさい、半分は表の側になり、残りの半分は裏の側になる。次に分裂する時は、四半分になった細胞たちが、表の側になるか裏の側になるかを決める。そして表の表になるもの、表の裏になるもの、等々が決まるのだ。この分化と特化は、まったく即席ともいえるやり方で細胞たちが複雑な人体を創り出すまで続く。肝細胞は、近くの仲間たちもまた肝細胞であることを感知し、DNAコードを読み取って、自分が肝細胞になることを知り、自分に期待されている役割を正確に理解している。全知の制御などどこにもなく、きわめて多数の独立した細胞たちが一定の規則に従いながら、近くの細胞たちとコミュニケーションしあい、彼らの状態を感知しているだけなのだ。
 ジェーン・ジェイコブズは、『アメリカ大都市の死と生』の中で、アメリカの都市計画において、近隣住区の性質を変えるような計画がトップダウンで実施される場合には失敗する傾向があると述べている。大きなアパートを建てることでゲットーの質を改善しようともくろんだほとんどの大プロジェクトは、目的を達成できなかった。逆に、うまくいった近隣住区は、通常、創発的なやり方をもっと使って開発を行ってきた。ジェイコブズの言うところでは、歩道と街路にいる人々の間の相互作用が、近隣住区の運営にとって集中的統制よりはるかに適した街路文化を生み出す。したがって、計画当局は、ブルドーザーで都市問題を解決しようとせずに、うまくいっている近隣住区を研究して、積極的な創発行動がもたらされる条件をまねようとする方がよいのだ。〓〓
 アリと胎児と都市。単純な動きが相互作用の末に高度な秩序を作り上げる。いわばボトムアップの妙、現場の知恵だ。これを「創発」と呼び、政治への適用を説く。

〓〓直接民主制は大規模になれないし、教育のない大衆は統治を直接担当するには不向きと考えられたので、より「指導者として適切」な人物が大衆の代表者として選ばれたのである。代表民主制はまた、指導者たちがさまざまな複雑な政治問題に関して明確な意見がもてるように専門化し集中することを許す。複雑な政治問題は、教育も関心もない人民がそのすべてを直接理解するとは期待できないとしても、解決されなければならないからである。〓〓
 氏は時代のアポリアに、専門分野から真っ向斬り込んでいく。「WEB2.0」に準えれば、「民主主義2.0」ともいえる。

〓〓よりインテリジェントなインターネットでは世界の不均衡と不平等を是正するための新たな民主的方式が利用できるようになるとして、インターネットの擁護者たちはそれを模索してきた。だが今日の現実のインターネットは、多くの人々が思い描いたような平等な民主的インターネットとはほど遠い、騒々しい環境になりはてている。それはまだ、インターネットのツールとプロトコルが、より高度な秩序を生み出すようなインターネット民主制の出現を許すにたりるほど進化していなかったためだ。
 だが、世界は、創発民主制をこれまでになく必要としている。代表民主制の在来の諸形態は、今日の世界に生じている諸問題の規模や複雑性や速度にはほとんど対処できない。互いにグローバルな対話を行っている主権国家の代表たちは、グローバルな問題の解決については、ごく限られた能力しかもっていない。
 一枚岩的なメディアとそれが行っているますます単純化された世界描写は、合意の達成に必要とされるアイデア間の競争を提供できない。
 新しい技術によって可能になった創発民主制は、極度に複雑化した世界でわれわれが直面している諸問題の多くを、国家的規模でもグローバルな規模でも解決しうる可能性を秘めている。
 われわれは、ツールとインフラをより安価で使いやすいものにして、より多くの人々にザ・ネットへのアクセスを提供するよう努め、民主的対話のこの新形態が、どのようにすれば行動に転化し、既存の政治システムと相互作用し合うようになるかを探求しなくてはならない。
 市民がコントロールできる世界的なコミュニケーションのネットワークというビジョンは、いわば技術的な理想主義によるビジョンで、「電子アゴラ」とでも呼べるものである。最初の民主社会であったアテネでは、アゴラは市場であり、またそれ以上のものであった。人々が会って話をしたり、ゴシップを流したり、議論をしたり、お互いを評価しあったり、政策についてディベートをして相手の弱点を批判したりする場所でもあった。しかし、もう一つ別のビジョンにたてば、ザ・ネットの誤った使われ方も考えられる。つまり理想的な場所という見方の影にある円形刑務所、パノプチコンである。
 新しい技術は、より高度の秩序をもたらし、その結果として、複雑な諸問題に対処しつつ現行の代表民主制を支援、変更、もしくは代替しうるような、新しい形の民主制が創発してくる可能性がある。新しい技術はまた、テロリストや専制政治体制をエンパワーする可能性ももっている。これらのツールには、民主制を高度化する力もあれば劣化させる力もあるため、われわれとしては、よりよい民主制のためにこれらのツールが開発されるよう、できるだけ影響力を発揮しなくてはならない。〓〓
 民主的なネット世界への足踏み。だが、複雑系の現代に無能を晒す代表民主制。「アイデア間の競争」を阻害するマスメディア。閉塞する現況を打破する方途はあるか。そこに提唱されるのが、「創発民主制」である。まったく異次元からの曙光である。
 一言に括れば、──ネット技術による草の根からの熟議とボトムアップによる直接民主制──となるか。
 「既存の政治システムと相互作用」の模索は当然として、「電子アゴラ」はアテナイへの先祖返りのようで興味深い。つまりはネットによる直接民主制である。
 アメリカで芽生えつつある「審議型世論調査」──ある大きな問題いついて、市民が一カ所に集まり、数日間議論した上で世論としてまとめる──をネット化しようとの提案も魅力的だ。マスコミのお仕着せ情報や大勢、雰囲気ではなく、市民が自ら情報を集め、思考を深め、より質の高い議論が交わされる。政治家に決めてもらうのではなく、草の根から選択するシステムだ。
 そうなると政治家は不要か。氏は政治家は指導者ではなく、進行役、世話役、管理人という役割になるだろうという。先述の「監督しているアリはどこにもいない」だ。このあたり、かつての私の夢想と軌を一にする。そこで肝心なのが「アイデア間の競争」である。「民主」は賢明な市民による多様性の上にこそ成り立つからだ。

〓〓アイデア間の競争は、民主制が、多数支配の合意の下に、少数者の権利を守りつつ市民たちのもつ多様性を容認していくうえで不可欠だ。アイデア間の競争過程は、技術の進歩とともに進化してきた。
 たとえば印刷機は、大衆により多くの情報を提供することを可能にし、ついには人々がジャーナリズムと新聞を通じて声を発するための手段となった。だが、おそらくそれは、企業が経営するマスメディアの声によって置き換えられてしまった。その結果、多様性は減少し、アイデア間の競争は、より内にこもってしまった。〓〓
 さらに、「投票権の委任制度」。政策課題ごとに、エキスパートに投票権を預けるシステムだ。まずは知り合いで信頼できる人に。委任された人はより高度なエキスパートにと、票を渡していく。マエストロにしたところが、分野が違えばど素人も同然なのが複雑系の現代社会だ。意表をつく刺激的なアイデアではないか。
 当然、プライバシーは死活的な生命線だ。ネットの潜在的な弱点でもある。この点についても、綿密な考察がなされている。
 本年、中東を席巻したジャスミン革命の嵐。氏はインタビューに応え、若者たちの無力感を振り払い「勇気」を与えたものはソーシャルメディアであったとして、「創発民主主義の重要な実験台」だと捉える。
 また、「注意すべきなのは、短期的な変化の影響はみんないつも大きく見積もり過ぎるのに、中長期的変化については小さく見積もり過ぎるということです。僕らの世代では無理かも知れませんが、今の若い子たちの時代にはそういう方向に行くんじゃないか」と期待を投げかける。だからこそ、氏は脳髄を締め上げる思索と壁を穿つ行動を繰り返す。
 本来の意味でドラスティックな改革がなければ、行く手の闇は深まるばかりだ。であるなら、氏の構想は目から鱗だ。私のような凡愚の脳天にも軽やかに響き渡る。
 先日も紹介した社会学者の宮台信司氏の言──日本は「引き受けて考える社会」ではなく、「任せて文句を言う社会」だ。任せられる側は「知識を尊重する社会」ではなく、「空気に支配される社会」である。──を脱する方策もここにあるのではないか。
 やはり、知恵者はいるものだ。人生意を得ば須く歓を尽くすべし。まずは、「創発民主主義」に歓呼を挙げたい。□