伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

たかが3年、されど3年

2009年03月27日 | エッセー
 本ブログを始めてきょうで3周年、4年目となる。 …… 紛らわしい。いや、勘定の仕方が、である。
 「周年」「周忌」と【周】が付くと、満で数える。1周、2周のトラックレースを考えればよく解る。スタートして一巡り、戻って来てカウント=1だ。【ぶり】も満勘定である。バットの1振り、片道である。ヘッドが構えた起点から動き、ある位置で止まる。それが終点で、1振りである。起点を含まない。3回振れば3振りだ。100メートル走でもいい。スタートラインからゴールまで走って、カウント=1だ。日本舞踊で踊りと踊りの間をつなぐしぐさを「振(フ)り」というそうだ。つまり間隔のことである。それからも類推できそうだ。
 【目】は数えである。10本目のホームランは、当然最初の1本を勘定に入れる。アイズの目ではなく、ネットの目であろう。すべての網目は勘定に入れる。【回】も数え。「回」とは度数を意味する。重なりである。重ねた皿は一番下の皿から「1枚、2枚 …… 」と勘定する。だから、「回忌」は数えである。忌日の度数だから、最初の忌日を含む。「周忌」は『トラック』だから、起点は含まず次の忌日が来てはじめてカウントする。「1周忌」は亡くなった翌年、翌々年は「3回忌」となる。「三年ぶりの浮気」は、中(ナカ)3年。「三年目の浮気」は、中2年である。まことに面倒だが、ちがいは大きい。後者は常習性が芬々だ。10年のスパンでは、前者が4回、後者は6回となる。山の神としては『大目に見』るわけにはいくまい。
 ともかく、今稿で219本。このランキング・サイトでは数日間の例外を除き、浮沈と出入りが忙(セワ)しいなか、3年間ずっとベスト10内にいつづけることができた。いつも巧みなコメントを入れてくださるメンバーをはじめ、ご愛読いただく皆さまに満腔の謝意を捧げたい。
  
 さて、わたしは生来耳が悪い。いや、耳『も』悪い。この5、6年で4度左の耳を患った。水が溜まって聴力が落ちる。さしたる痛みはないが、わが声さえも淀みくぐもってしまう。医者は中耳炎の一種だという。1度だけ自然に治ったことがあり、1、2週間はひたすら快復を俟つ。だが、ついに堪えきれず病院へ。耳に孔を開け空気を送り、鼻から水をバキュームする。数秒だが、激痛が隙間だらけの頭の中を駆け巡る。年甲斐もなく「ンガッー! ! 」と喚く。医者は驚き、看護師は嗤う。『耳の』恥はかき捨てだ。待合室を足早に抜け、支払いを済まして早々に退散する。それで一件は落着、耳は元通りになる。毎度の顛末、問題はその決心がつかぬことだ。
  ―― この際、何年ぶりだろうが何年目だろうが関係ない。そんなことはどうでもいい。 ―― どういうリズムなのか。今年もまた、2週間前あたりから左の耳がおかしくなった。ただ今回は事情が違う。大いに違う。スタジオ・コンサートが控えているのだ。

   大いなる明日へ ~復活!吉田拓郎~
   3月22日(日) 19:30~21:00
   NHK-BS2

 こんな状態では満足に聴けない。左の耳が通らねば、「復活!」の音が掴めない。コンサートより先に、わが耳を「復活」させねばならない。万に一つの自然回復に望みを繋ぐものの、埒が明かない。ついに意を決したのが前日21日。「ンガッー! ! 」一発で、クリアーな音が蘇った。

 コンサートは格別にすばらしかった。大病以来では、声が一番よく出ていたのではないか。番組の構成も気が利いている。瀬尾一三率いるビッグバンドの演奏もさらに洗練された。リハを除き、全11曲。ほとんどが新曲の中で、なんと「伽草子」が入っていたではないか! コンサートでこの曲を聴いた記憶は、たしか、ない。
  ―― このブログへのトリビュートにちがいない。開始3周年を祝って。 ―― わたしは勝手にそう確信した。これは決してドッペルゲンガーでも、誇大妄想でもない。単なる偶然である。かつ偶然の解釈に恣意が紛れ込むだけのことだ。文句はないはずだ。だれも傷つけはしない。
 さて、番組の大団円。ファンにメッセージを、と促されて ――

 はっ。メッセージはないし、まっ、あのー、これで例えば、あのー、何てんだろ、えーっと、すべてが終わってしまうっていうようなことでは全くない訳で。
 僕は音楽は続けたいと思ってるし、音楽のそばにはずっといたいし、まだやり足りないなってものもあるしね。
 それをやっぱりやりたいっていうことがあるんで、そのためにもコンサートツアーは、あのー、もういいっていうのもあるんで。まー、そういうこともあるんで、音楽はやり続けていきたい。それは、まあ、その、僕の人生が終わるまで音楽っていう気はするんで。
 ですから、まっ、今後のことについて言うと、まあ、ありきたりですけども、「ほっといてくれ!」と。

  ―― 最後の一言には笑いが弾けた。のけぞって大笑した。なんとも拓郎らしい! 拓郎、健在! である。一句満了である。このワン・フレーズで「ンガッー! ! 」が報われた。哭いた甲斐があった。絶妙のカタルシスであった。

 たかが3年、されど3年。自身も世間も、さまざまなことどもがぎっしり詰まった3年間であった。隔靴掻痒ながら駄文に留(トド)めてきたつもりだ。もちろんエッセーを気取ってみても、与太話の域を出なかったが。
 「桃栗三年柿八年」「石の上にも三年」「三年飛ばず鳴かず」「三年塞り」 ポジとネガはあるものの、いずれも相応の辛抱を説いている。メルクマールとしての3年だ。そうすれば状況は拓く、と。
 だが、どうやら当方は「三年味噌」が落ちか。造って3年も経つと味噌は塩辛くなる。転じて吝嗇なこと、勘定高いことをいう。いや、そうなってはまずい。やはり、面相と同じく三枚目の賑やかしでいくか。いやはや、なかなか「三年竹」は至難の業だ。もう一度、「たかが3年」と肚を括るか。 □


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