伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

空打ち

2009年03月04日 | エッセー
 たとえばやっと書き上げた数枚の書類の端を丁寧に揃え、慎重に位置を決め、やおらグッとホッチキスを押す。と、いつもの小気味いい音がしない。指にはなんの抵抗もなくホッチキスは合わさり、紙に少しの窪みだけが残る。
 針が切れていたのだ。
 こんな時、僅かな徒労感とともに一瞬の空しさが襲う。舌打ちをして、針を入れる。紙を重ねるところからやり直しだ。

 3月3日、「笑っていいとも」のテレフォン ショッキングに現れたのは樹木希林であった。お決まりの土産はなし。出演したDVDを持参し宣伝はしたものの、そのまま持ち帰る。当たり前のように受け取ろうとしたタモリに、「どうせ観ないでしょう」と、さらり。
 百分の一アンケートでは見事に当てる。しかし、ニコリともしない。仏頂面のゲストでも、当たれば意外なほどに相好を崩す。ガッツポーズも出る。ほとんど見落としはないつもりだが、褒美のストラップにかえって迷惑そうな顔をしたのは樹木がはじめてだ。
 「こういうものは、一番いただきたくないものなのね。どなた? …… ここに置いて帰るから、持ってってください」
 タモリは客席に、「よかったですねー」とフォローするのが精一杯。樹木の自由奔放なおかしみに顔色なしだった。

 したたかな計算があったようにはみえない。あるとすれば、バラエティーのもつ恐さ、陥穽への警戒か。それも巧まざる天性によるものだ。役者は「素顔」で売っても、売られてもいけない。「楽屋」を見せるなどは下半身を晒すに等しい。そのような気質(カタギ)のなかにあるにちがいなかろう。

 勝負というのも変な話だが、今回は完全に樹木の勝ちだ。筋金入りの役者がバラエティーの雄に、そうたやすく呑み込まれはすまい。タモリは、ホッチキスの空打ちをしてしまった。「僅かな徒労感とともに一瞬の空しさ」に襲われたにちがいない。
 
 樹木に繋いだのは養老孟司氏だった。「養老さんは、ハンサムな声ね」と言う。「カラオケが本当にお上手なの。いろんなジャンルを、感情移入せずに、しかも音程がしっかりしてるのよ」と、冒頭にひとしきり養老氏が話題になった。
 「感情移入せずに」がいかにも養老氏らしく、それを言挙げするのもいかにも樹木らしかった。こちらはしっかりと針で綴られていたようだ。 □


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