伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

12/8

2006年12月08日 | エッセー
 12月8日は因縁めいた日だ。65年前にパールハーバーの攻撃が、26年前にはジョン・レノンの横死があった。不意討ち、闇討ち、暗殺の類い ―― 片や国家的規模で、片や一人の狂人によってそれは行われた。古い話になると、四十七士の討ち入りは1週間後である。この時分(ジブン)、人を駆り立てるなにものかが蠢くのであろうか。
 真珠湾攻撃の立案者は山本五十六である。対米戦争反対の急先鋒だった五十六が戦端を開いた。悲劇的な皮肉である。同郷に河井継之介がいる。戊辰の役で壮絶な死闘を繰り広げた長岡藩の家老である。慧眼の士であった河井には幕府が余命幾ばくもないことは分かっていた。しかし結局は幕府と心中する。五十六も、継之介も時代は明瞭に見えていた。だが流れに抗い、逆行せざるをえない。このあたりの悲劇性は、まことに因縁めいてくる。「トラトラトラ」はかりそめの徒花(アダバナ)に終わる。

 訃報は車のラジオで聞いた。信号待ちをしていた時だ。よく晴れた日で、衝撃とともに、どういうわけか、あたりの光景までも鮮明に覚えている。 ―― 午後10時50分、ニューヨーク市内のダコタ・アパート前。マーク・チャップマンはリボルバーで5発の銃弾を浴びせた。
 デジャブではなく、なんとなく予感はあった。因果応報 ―― 彼は、また彼らもかつて刺客であった。リバプールから旅立った彼らはまたたくまに世界を席巻した。音楽シーンは不意討ちを食らい、固陋な社会は闇討ちに脅えた。たった4人で20世紀の奇蹟を創った。その中心に彼はいた。わたしたちは、彼を、彼らを英雄と呼んだ。しかし、英雄は非業の死を迎える。歴史はそう教える。老残を晒しながらベッドで身罷る彼は、想像の外だった。
 レノンもまた非業に斃(タオ)れた。
 
 わたしはこの日を、しずかに「IMAGINE」を聴く日と決めている。
 
 当時、アメリカは泥沼のベトナムにいた。「IMAGINE」は一条の光明だった。ヨーコに啓発されたレノンの思念がたおやかな調べに乗り、紡がれた。いままた、泥沼のイラクにいる。背景を同じくするためか、ここに再びの光明を見いだそうとする善意が注がれている。
 今年8月、朝日新聞社から『自由訳 イマジン』が出版された。新井 満(アライ マン、第99回芥川賞受賞作家)の力作である。トリノ五輪の開会式でこの曲が歌われたことに心打たれ、ヨーコ氏の賛同も得て執筆に至ったらしい。
 歌詞はレノン独特の、きわめて平易な英詩である。それだけにこちら側に預けられたものは大きい。優れた芸術がそうであるように、切り口は万斛(バンコク)にある。
 作家の目は、さすがに鋭い。 ―― 天国も地獄もない。国家も宗教もない。富も貧困もない。「ない」ことをこころに描けという。非常に希な呼びかけだと、氏は指摘する。アナーキーと早とちりしてはいけない。存在の証明はできても、不存在の証明は不可能に近い。対立概念を並べて、「ない」で括る。わたしはそこに東洋の智慧を感じる。

Imagine there's no Heaven  it's easy if you try
No Hell below us  Above us only sky
Imagine all the people  Living for today
Imagine there's no countries  It isn't hard to do
Nothing to kill or die for  And no religion too
Imagine all the people  Living life in peace
You may say I'm a dreamer  But I'm not the only one
I hope someday you'll join us  And the world will live as one
imagine no possessions   I wonder if you can
No need for greed or hunger  A brotherhood of man
Imagine all the people  Sharing all the world
You may say I'm a dreamer  But I'm not the only one
I hope someday you'll join us  And the world will be as one

 英雄、逝いて四半世紀。しずかに来し方をふり返る。□