伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ミノルホド コウベヲタレル イナホカナ

2006年12月04日 | エッセー
 今年は、地方の首長に不正が相次いだ。正確にいうと、相次いで不正が明るみに出た。入札絡みの事件では、知事レベルで3件。福島、和歌山に次いで、いま宮崎が渦中にある。市町レベルでは5件。まさか「地方の時代」のさきがけでもあるまい。
 四捨五入して言うと、遠因は小選挙区制の導入にある。近因は検察がスタンスを変えたことだ。
 中選挙区とちがい小選挙区では1人しか当選しない。ひとつの政党で複数の立候補はない。当然、党主導になる。派閥は力を削がれる。特定の勢力を代弁していた族議員も減退しつつある。選挙区内をまんべんなくカバーしないと当選できなくなった。いままでの特定勢力の票だけでは足りなくなったのだ。
 政官業はピラミッドを成す。一時代前までは頂点に有力国会議員が君臨して、増え続けるパイを取り分けていた。しかし、いまやパイは細り続けている。構造自体が変容している。加えて、小泉改革。中途半端ではあったものの「国から地方へ」のベクトルはより強まった。国の力が低下した分、相対的に知事のプレゼンスが大きくなった。小さいながらも大統領制的な権限を知事は持っている。
 さらに、今年1月、改正された独占禁止法が施行された。罰則が強化され、起訴権限も地検にまで拡大された。「談合は必要悪という意見もあるが、談合で7、8割の金額でできる公共事業の値段を吊り上げている。これは国民の税金をだまし取る詐欺のようなものだ」との検察トップの認識もあった。贈収賄から談合の摘発へ、検察がスタンスを変えた。かつ、業界もいまサバイバル・ゲーム。かつての「鉄の結束」は崩れつつある。受注絡みの不満はすぐに噴出し、摘発への有力な内部情報が得やすくなった。
 かくて、知事による不正の連鎖「知事ドミノ」となった。
 最近聞いた話 ―― 大量飼育の養豚場は10頭づつぐらいの小部屋に仕切られている。10キロ強の子豚を3倍にして出荷する。餌は機械仕掛けで小さな箱に供給される。群がっては食えない。ところが各部屋にボスがいて、餌の順番を取り仕切る。しかし、悲しいかな一番始めにたらふく食うボスが最初に大きくなる。したがって出荷が最初なのだそうだ。 ―― 身につまされる向きがあるかもしれない。
 かの知事たちは稔るほどに頭(コウベ)をもたげ、ついに「天の声」を発するに至った。しばらく養豚場にでも出向いて、生態を観察していただいてはいかがか。
 ヨーロッパでは「ノブレス・オブリージュ」という。「高貴なる者に義務あり」だ。民主主義の大鉄則といわれる。政治家は権力をもつ分、身を律し民衆に尽くせ、と。さらに、ドイツの詩人・ハイネは綴る。「わたしの国民よ、あなたは国家の真の皇帝であり、真の君主である」。民主主義の『民主』とは、何あろう、このことではないか。これが為政者の本来の姿だとすれば、今の世はまさに転倒だ。この転倒を正さないかぎり、「浜の真砂(マサゴ)は尽くるとも世に盗人の種はたへせじ」だ。石川五右衛門、辞世の高笑いが聞こえる。ガンジーはカースト最下層の民を「ハリジャン」神の子と呼んで慈しんだ。カースト制度への対応について甲論乙駁はあるものの、ガンジーの真情と言動に嘘はない。
 
 「つま恋」を受けての『たくろう全国ツアー』が跳ねた。どの会場も2時間40分、圧倒的なパワーで押しまくった。今回のツアー、タイトルは「ミノルホド コウベヲタレル イナホカナ」。エンディングは、いつものように1分に及ぶ長く、深いお辞儀であった。
 初冬の列島に春の風が駆けた。(コンサートツアーの報告に替えて)□