今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

弁才天詣で

2013年01月04日 | 仏教

さぁ、今日から活動日。
まずは、運動を兼ねて、ちょっと足を伸ばした寺社詣で。
詣でる先は、今年の干支「巳」(ヘビ)の神でもあり、めでたい七福神の1つに数えられる弁才天
弁才天は、同音のため弁””天とも書かれ、財物の神に祭り上げられているが、それは附会(こじつけ)。
本来はインドのシタールを持つ芸能の女神サラスバティなのだから、が正しい。
なので、きちんと”弁才天”として祀られているところを探す(鎌倉の”銭洗い弁天”は除外)。
こうこだわるのは、数日前からクラリネットを始めたためでもある。
音楽の技能向上を願いたいのだ!

上野不忍池の弁天堂が、それに該当する。
ここなら谷中七福神の1つで、しかも最終到達点。
運動を兼ねた徒歩に最高。

ついでに七福神巡りを兼ねる。
でも弁天様って、「ついで参り」はダメで、そこを目的として詣でなくてはならないという。
なので、途中の寺は詣でるが、本尊や福神は拝まない。

徒歩1時間もせずに、弁天堂に到着。
堂内の大提灯には「辯才天」とある。
ここではじめて賽銭を入れて参拝。
年女の母の健康と自分のクラリネット技能向上を祈る。
ついでに、母に巳の守り鈴と自分用に芸能守りを買った。

まだ歩き足りないので、別道を歩いて戻ることにした。
そして「谷中七福神めぐり」を完遂させるため、田端の東覚寺にも足を伸ばした。
片道3駅半~4駅の距離を往復したので、少しは運動になったはず。


三が日をすごす

2013年01月03日 | 歳時
三が日は、飲み喰いだけで、活動らしい活動はあえて何もしなかった。
また和服で通した。
ただ和服って正座以外の座り方が不向きな(帯がズレて弛む)ため、フローリングや洋室ではすごしにくい。

外出したのは元旦の近所の初詣と、賀状の投函だけ。
あとずっと室内で、昼から酒を飲み、寝る前には湖池屋の”のり塩”ポテトチップスのXLサイズを
DVDの映画を見ながらバリバリ食べる生活を続けたわけだから、絶対に体重が増えている。

一年の最初の三日間を”無為”にすごすと、どうしても飽きて活動したくなる(仕事始めが苦痛でなくなる)。
社会人としては、それはいいことなのだが、
忙しさに身を置くことで”安心”するのは、ハイデガーによれば、
存在の”不安”から逃れるための、存在忘却であるという。

逆に言えば、無為に身を置くことは、存在に直面せざるを得ない、
すなわち”おのれが在ること”に対峙すること…らしい。

ただ、この無為の三日間、あっという間にすぎてしまった。
ボーッとして、居眠りして、ネットを見て、退屈していたので、
はっきり言って充実感はなく、おのれの存在に直面した覚えがない。
まぁ「正月は退屈を楽しむもの」と言われているから(ソースは2ch)。

実は…活動は意地でもしないつもりだったが、
退屈さに負けて、年末にネットで購入した
クラリネットの練習をしてしまった。

初めて手にする楽器なので、簡単にいい音は出ない。
なので、退屈しのぎに最適。

餅を喉に詰まらせない方法:追記

2013年01月02日 | 防災・安全

残念なことに、今年も元日から餅を詰らせる事故が続発した。
祝いの場が一転して最悪の場面に。

防止法で推奨されているのは、餅を最初から細かくして食することだが、
餅の食し方として、手間と不満が残ろう。

私自身の経験からいえば、
煮込んだ餅が危険
表面も内側も柔らかく、ツルツルになって、
自分の意思とはべつに、喉の奥につるりと入ってしまう。
事故はたいてい”雑煮”で起きる。
このアニメのように、伸びる餅が危険なのだ。
事故を起こすのは、嚥下力の低下した高齢者だけではない。
たぶん海苔を巻いた”イソベ”では起きない。

餅は、必ず焼いて食べること。
表面が硬くなり、焦げ目がつく程度にきちんと焼く。
膨らみすぎて中身が全部出る前に、取り出す。

焼いた餅を雑煮に入れる。

その餅は、表面が硬いので、噛み切って食べざるをえない。
しかも硬さと粘性が適度なので噛み切りやすい。
自分の歯で必然的に細かくして、食べるようなる。

実際、焼いた餅の方が雑煮に入れて見映えがいいし、美味しい!

そもそも「口に入れるのは一口分」なのは、和食の作法として確立されている。
一個分の餅をいっぺんに口に入れる事自体が、”卑しい食べ方”として作法に反している。
作法通りに食べればいいだけなのだ。

その作法をやりやすくするには、餅を”焼く”事。
オーブントースターで。
こうするだけで事故はかなり減らせるはず。
もちろん、わが家では今年84を迎える母をはじめ、全員がこれを実践している。

2023年大晦日追記:94歳の母も、こうして餅を食べている。


元日をすごす

2013年01月01日 | 歳時
昨晩は2時に寝たため、目覚めたのは9時。
湯垢離をして、絹の下帯をしめ、口を漱ぎ、髪を整え、羽織袴姿になり、帯に扇を差す。
近所に元旦の初詣に出るため。
以下、毎年同じ行動なのだが、改めて書く。

まずは第一鎮守の諏方神社。
手水で今一度手と口を清め、本殿に参拝。
ここでは、特製のお神酒(『神威』という銘柄)を土器で戴けるのがうれしい
(こういう外で一口呑む日本酒ってなんでいつもおいしいんだろう)。
開運のお札を買って、境内を出る。

目の前の富士見坂の上に進むと、
快晴の青空に、純白の富士が美しい(上写真)。
近年、元日の富士をこんなに見事に拝見できるのはめずらしい。
日本の守り神である富士のかくも神々しい姿をみていると、手を合わせたくなる。

つづいて第二鎮守の八幡神社。
参拝の後、巳の土鈴を買った。
境内には、富士講が造った富士塚がある。
ここにも参拝。
富士の姿を拝み、富士塚を詣でた(富士に登ったことになる)わけだ。

帰宅し、昼をだいぶまわってから弟一家がやってきて、
新年のお祝い。
一家が揃ったところで、例年通り、私は烏帽子・直垂の武家の正装姿になり、
屠蘇の儀を執り行う。
BGMに雅楽・越天楽を流しながら。

屠蘇の儀は、屠蘇散を金箔入りの酒に一晩ひたし、
それを三つ盃にて、”式三献”に則って頂戴する。
幼順から、盃に酒を三度入れ、三度で呑むのを一順。
それを次の幼順、次の次の幼順と計三順する。
かように”式三献”は、合計九度呑むので俗に「三三九度」ともいう
(式三献自体が本来の儀礼たる”九献”の略式)。
金箔入りの酒にしたのは、その方が酒を注ぐ時、子供が盛り上がるから。
9歳になったばかりの甥はこれが楽しみ。

この儀が終わると、いよいよお節料理を食べることになる。
わが家は重箱ではなく、大皿に盛る。

子供たちにお年玉を渡す。
大人たちは、日本酒を飲みながら料理
(ほとんど酒の肴なので子供にとっては食指が動かない)。

こうして食べて呑むだけの三が日が始まった。