今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

野川を歩く5:もう一つの水源

2023年04月02日 | 川歩き

多摩川の支流で、国分寺崖線に沿って流れる野川は、二子玉川の合流点から遡ると、
延々と並行する崖を見ながら調布の深大寺の脇を流れ(深大寺そばを2度食べた)、
この川が主人公となる楽しい野川公園を抜けて、国分寺界隈の”はけ”(お鷹の道)への支流を分けて、最後は日立製作所中央研究所内の池に達する。

過去4回に分けて下流から歩いて、歩き残した最後のこの水源の池は上に示した企業の敷地内なので、年に2回ほどの特別公開日でないと部外者は入れない。
4月の第一日曜がその日だというので昨年行ってみたら、コロナ禍のため公開中止だった。→野川を歩く4


今年は、脱コロナ禍の状態だから大丈夫だろうと、一応前日にサイトで確認しようとしたが、
当のこの研究所のサイトにも国分寺市の観光サイトにも情報がない。

まぁ、当日は近くの祥應寺で地元商店街のイベントがあるという情報は得たので、
そっちに立ち寄るつもりで、4月2日の10時過ぎに国分寺駅に降り立った。

早速、昨年通った道を研究所に向かうと、昨年と違って研究所の門が開いている(昨年は、中止の看板のみ)。
ただ、見学客の出入りの姿がない。
門に入った受付で、本日は一般公開しているか尋ねたら、申し訳なさそうに「中止になりました」と答える。
またしてもだ。
遠方から来る者もいるので事前に情報公開してくれないかな(公開は企業の厚意だから、強くは出れない)。


気を取り直してスマホのナビを祥應寺に設定する(ここから9分)。

祥應寺の広い境内はイベント参加の地元の親子連れで満員状態で、
期待した出店の焼きそばの前も長蛇の列ながら、人気がありすぎて、焼きそばが足りず、
近くの店で焼いている最中という(すなわちしばらくありつけない)。
行列のないフランクフルトを買って食べるが、これだけでは昼食にはならないので、ここを後にし、近くのでスーパー中華丼弁当と缶発泡酒を買う。


中央研究所の池の外の南側にある線路沿いの野川の暗渠付近にベンチがあり、
そこに座って、中華丼を発泡酒で流し込む。
この地は水源の池に一番近い野川上の場所なので、この暗渠手前の線路(JRと西武)の南側まで達した昨年よりは、ほんの少し川歩きを進んだことになる。

このベンチ脇に周囲の散策路の地図があり、それによると野川は今では暗渠のまま西側に伸びて「姿見の池」というのが水源になっている。
本来の野川の水源はもちろん研究所内の池だが、水路の長さで見ると姿見の池の方がより上流となる。
しかもここから西武国分寺線の下をくぐって一本道で行ける。


姿見の池は、住宅地内でJRの線路脇にあり(車窓から見える)、その場の説明によると、この付近は鎌倉時代の鎌倉街道の宿場で、そこの遊女たちがこの池で鏡の代わりに姿を映したという。
昭和になって一度は埋め立てられて消えたものの、自然に対する意識の変化で、平成になって復活したという。
自然な雰囲気が残された池には鯉が泳いでいる(写真)。

しかもこの池の東側付近(歩いてきた道)は、古代の東山道武蔵路(相模の東海道と上野の東山道を結ぶ幅12mの公道)が南北に縦断していたという。

この付近は「恋ヶ窪」といって(西武線の駅名にもなっている)、窪地なので地形的に池に入り込む流れがあり、川としてはさらに上流がある。

それにしても「恋ヶ窪」とはロマンチックな地名だが、こういうのは、えてして後世の当て字で、
地名は生活感覚でつけるから本来は「肥(こえ)が窪」などの無粋な地名だったに違いない(鯉が窪という説が有力)。
ただ、せっかくの当て字にふさわしく、遊女の恋にまつわる中世の伝説も誕生しているようで、
ここ姿見の池こそ、恋ヶ窪を象徴する地と言ってよい。


ここから”恋ヶ窪分水”沿いに歩けば西国分寺駅が近い。
散策路としては駅を越えて南の武蔵国分寺跡に続くが、今回は野川が目的なので西国分寺を終点とした。
これで一応、野川を”歩き通した”ことにする。

追記:こう自分に言い聞かせたが、この7ヶ月後、満を持して野川の真の水源に達した☞野川を歩く6



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