今年からの研究テーマとして「霊が見える」という心理現象を真面目に扱うことにする。
本当に「霊が見える」という人が少数ながら一定数いて、本人自身がその経験を扱いあぐねているようだ。
そして、そう言明することで周囲から変な目で見られてしまうため、秘匿していることが多い(幾人かはその経験を本にしている)。
私自身は、見えるとされる”霊”が客観的に実在するとは思っていない(思えない)。
ただし「霊が見える」という知覚経験(以下、霊視)を心理現象として存在することを認めることで、少なくとも心理学の研究対象としたい。
このように霊視現象を、素朴に”霊が外的に実在する”とは認めずに、まずは心理現象すなわち主観的経験として認め、その次元で霊視経験を批判的に精査することで、霊が外的に実在するか否かの判断に導きたい。
このような態度で心理現象として扱うには次のチェックを要する。
①虚言でないこと
この第一関門で、日常的に出回っている”霊視”言明の多くは脱落するかもしれない。ここをチェックするには、言明者の人格特性の確認が必要であるため、きちんとした面談が必要(それを経ない報告だけの情報は採用しない)。特に顕示性性格者が本人も信じてつく虚言癖※のチェックが必須(こういう人は霊視以外でも日常的にホラを吹く)。
※:霊が見えるお笑い芸人・シークエンスはやともによると、テレビに出る(自称)霊能者にも実は”見えていない”人がいるらしい。それは見える人からみれば分かるという(『ヤバい生き霊』より)。
②錯視(錯覚)ではないか
霊視を(検討もせずに)錯視と断じている科学者がいて、確かに瞬間的な”霊視”経験は錯視であることが多いが、その場合は一部の人ではなく、多くの人がそう反応するはず。さらによく見れば本人でも錯視と分かるもので(幽霊の正体見たり枯れ尾花)、実は本人でチェック済みが多い。ただし視覚上(網膜像)のトラブルの可能性があるので、視野のチェックは必要。
③幻視(幻覚)ではないか
視覚現象は最終的には脳の現象なので、網膜上に映らない映像も”見る”ことは可能(夢がその実例)。ただ覚醒中の幻視は錯視のように誰でも経験するものではなく、また一時的で再現性がない(錯視は恒常的)。
まずは、脳(視覚中枢)の機能障害の有無を確認する(専門的な検査ではなく、中枢性の視覚障害があるかの確認でよい)。
また幻覚症状を呈する精神病理(統合失調症、アルコール・薬物依存など)の有無もチェックする。
以上の虚言、錯視、幻視の可能性を徹底的にチェックし、これらで説明できるものは(””なしの)霊視現象とは認めない。
そしてこれらの関門をクリアして、霊視現象と認められた事例は、その内容を詳細にデータ(変数)化し、他の心理現象と同じく客観的な分析対象とする。
分析結果の考察(解釈)については、霊を実在視する既存の神話(宗教)的な解釈図式は採用せず、データのみを根拠としてボトムアップ的に理論化を試みる。
以上を今年から実行するつもり。
というのも、大学教員をやっていると、霊視者は意外に身近にいるから(統計分析に堪える人数には達しないが)。
来年度中に執筆するので、論文として公開されるのは、早くて2024年3月となる。
視覚以外の超感覚現象については手付かずです。
ご本人としても、まずは錯覚・幻覚の可能性からアプローチしてください(あらゆる感覚は脳内で発生できます)。
そうでない場合、”HSP”と言われている人たちの延長と考えています。
この世(宇宙)の真の姿を、貧しい空想で満足せずに、人智を集めての真っ当な解明をする道(科学)こそ、人類最大のロマンだと思っています。
私は匂いを感じるのですが、側に居てもそれを共有出来る人と出来ない人が居ます。
(ただ、たまーに稀に視えている様です)
また、ブログ内でも記載がありましたが、視覚タイプは「あいつヤバくない?」と敬遠される人が多いと感じますが、聴覚・嗅覚タイプは「は?何言ってんの?ヤバいんじゃない?」と同じ“ヤバい”でも、いじられる傾向が強いと感じています。
この心理の違いは(扱いの違い)何でしょう?
超常現象は“非科学”ではなく、昨今では“未科学”と呼ばれるそうですが、不思議が解明されるのは面白い反面、何だか淋しさも…
近年、稀に見る寒波が来るそうです。
ご自愛ください。