今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

人間存在の分かれ道

2024年04月23日 | 仏教

人間の在り方そのものの岐路がある。

動物としての人間(サピエンス)を超越し、よりハイレベルの存在になるか、
その逆に、動物性に負けて、人間より下のレベルに落ちていくか。

この論議を仏教に備わって入ってきた六道思想(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)で論じてみる。


人間を超越したハイレベルな存在とは、人が「」になること。
天とは、仏教でいう天部すなわち、神道やヒンズー教のような多神教的神のレベル。
実際、日本の神道では、すでに歴史的人物が神になっている(菅原道真、徳川家康)。
天部(神)は、人間の限界を超えたパワーを備え、物事を思い通りにできる。
ただ、神話の神々がそうであるように、自己であることの執着・限界があって、それなりに欲や悩みがあり、
他の神と揉めたり、人間が信仰しないと気分を害す(この程度で気分を害するような神は宇宙創造の”絶対神”ではなく、天のレベル)
すなわち、菩薩や如来の域には達していない。

個人的には、人間が一挙に菩薩や如来になるのは無理なので、
まずは来世に一歩前進の天部になることを目指して現世を生きればいいのではないかと思っている。
そのためには人間性を向上させる必要があり、私がスピリチュアルに目覚めたのもこの理由。


それに対して、人間性を高めるどころか、もったいないこと(せっかく人間に生まれたの)に逆方向の在り方を進む人がいる。
動物由来の欲を満たすことを人生の目標とした在り方は、畜生の道。
子孫や財産を増やす生き方もこれに該当し、それなりに満足・幸せになれるが、我欲の満足でしかない。
残念ながら、生きる目標がこのレベル(家内安全・商売繁盛)に留まっている人たちが多い。

さらにその欲に支配されひたすら飢えた(欲が満たされない)状態になった在り方は畜生より劣る餓鬼の道で、
こちらは飢えに苦しみながら生きる哀れな存在。
最悪なのは、それのために平気で悪事をするような地獄の道。


注意してほしいのは、一見人間的に見えるが、やたらと人を悪意で見て、憎悪/軽蔑する人たち(ネットの世界にも多数棲息)。
本人は正しい道を進んでいるつもりだろうが、これは人間より一段劣る修羅の道。

日本人の多くが、自民党政府に批判的ながらも、野党の支持に向かわないのは、野党の人たちってなんか修羅的だから。
修羅の成れの果ては、かつての連合赤軍やオウム真理教、イスラム国(IS)、北朝鮮の政権。

多くの日本人はもとより真っ当な人間レベルだから修羅に権力を託そうとはしない。
人間ならば愛と信頼がベースになっている。
憎悪と不信がベース(マルクスレーニン主義者の基本メンタルもこれ)の修羅とそこが違っている。


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