昔からの集落ではなく、最近になって売り出された新興住宅地は、人が住まなかった空間の開発地であることが多いのだが、河川から多少距離があるのに冠水した「武蔵小杉」駅付近も昔はやはり沼地だった。
地図アプリ「東京時層地図」の昭和戦前期の地図によると、南武線(図の左上から右下に大回り)の向河原と横須賀線(図の中央を縦断)の間は大小5つの沼があって、その東の多摩川側に「下沼部」と地名が記されている。
その西側の横須賀線と東横線(図の左斜めを縦断)に囲まれた今「パークシティ」のある所にも池があった。
そういえば、 水没した北陸新幹線の車両センターも「赤沼」という地名。
同じ多摩川沿いの二子玉川もここと同じような地形で、集落でなく別の巨大施設があった所。
逆に、昔からの集落地は「屋敷」などいかにも人が住んだ地名になっていて、周囲より微高地になっている。
これらは等高線付きの地形図を見れば確認できる(お勧めアプリは「スーパー地形」)。
たとえ沼や地名が消えても、地形までは変える事ができない。
地震ハザードマップが地盤が根拠になっているのに対し、洪水ハザードマップは地形が根拠になっている。