今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

近所に書店がなくなった

2021年06月20日 | 生活

2週間ぶりに帰京したら、自宅最寄り駅のビルにあった書店(TSUTAYA)が閉店していた。
 同じTSUTAYAの別フロアでのレンタルビデオ店は数年前に閉店。
TSUTAYAのビジネスモデル自体が時代の流れに合わなくなっていることがわかるが、
それとは別に、自分の住んでいる町から書店がなくなることに、一抹の寂しさを覚える。

ただ「一抹」に過ぎないのは、私自身、年に6桁の書籍代を使っている身ながら、最寄り駅を含めて市中の書店にはとんと足を運んでいないから。
研究費で買う専門書は大学出入りの業者から購入するし、個人で買う一般書レベルの本は、ほとんど電子書籍で買う。
自分は買わないが、今では雑誌もコミックスも電子書籍化されている。
文庫本を開いた大きさに等しいiPadminiで、それ以上の大きさの本を電子書籍として読んでいる。

音楽を聴くのにCDを買わなくなって久しいが、その波が、本と映画にも来ているわけだ(私が最後に買ったCDは、一生ものの、すなわち今後はこれだけ聴いていればいいモーツァルト全集とバッハ全集。しかもネットで)。
なぜならこれらは物ではなく情報が商品だから、デジタル情報のダウンロードで済む。

だから、このご時世下に、名古屋宅の最寄り駅前に書店が新たにオープンしたのには驚いた。
本好きとして応援したい気持ちでいっぱいだが、自分の読書スタイルが書店を必要としなくなっているので、入店しても、歩き回るだけ。
その店内は、コミックスと参考書と文具が充実しているから、電子化が遅れている子供相手にすれば書店経営もまだ可能ということか。

本というテキスト情報は、最も効率的な情報伝達形式なので、これが廃れることはない。
むしろその情報的価値は、物(紙とインク)という余分な付加価値を要しないことによって、より安価でしかも流通しやすくなる。

電子書籍化は、貴重な本が、ビジネス的論理で絶版となる文化的損失を回避できる(回避してほしい!)。
実際、図書館が貴重な古書をアーカイブ化することで、多くの人がそれを閲覧できる。

ただ、個人の寿命を超えた保存性、数百年・数千年単位の、いわば歴史考古学的レベルの保存性では、電子情報より、紙(和紙)や木簡が勝るんだよな。
もっとも、われわれ市中の人間がそういう保存をする必要はない(古書として流通してほしい)。