今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

気象記念日に思う

2021年06月01日 | 歳時

今日6月1日は、気象記念日
明治8年(1875年)のこの日に、当時の東京気象台が設置され気象と地震の観測がされた日(wikiによる)。
実は、勤務先の大学の創立記念日でもあるので、私らだけ仕事は休み。
なので、東京にいて国会図書館で仕事をした。
帰りに皇居の反対側の気象庁に足を伸ばそうと思ったが、庁舎1階にあった気象科学館は虎ノ門に移り、また昔からあった書店も閉店したという。

以前は、あこがれの気象庁に用もないのに行き、書店で専門書を買ったり、科学館で時間をつぶし、食堂で昼食をとったりしたが、最近はご多分に漏れず入館チェックが厳しくなった。

この日にちなんで、中公新書の『気象庁物語』(古川武彦)を読んでいる。
うらやましくも気象に人生を賭けた「天気野郎」たちの物語。

そもそも気象観測の最大の目的は、気象災害を減らすことに尽きる。
今では精巧な数値予報によって、明日の最高気温まできちん予測できるのはすごいことだ。
これがいかにすごいことであるか、世間には理解されないのが悔しい。
そのすごさは台風の上陸時に発揮され、数日前からの予想とリアルタイムの実況が逐次公表される。
だから、本来なら気象災害による死者は無くせるはず。

ところが現実には、気象災害による死者が毎年出ている。
問題は住民による情報の活用だ(気象庁からの「警報」だけでは大ざっぱすぎる)。
東日本大震災で津波で無くなった人たちが、地震と津波の間の30分の(避難するには充分の)猶予を活かしきれなかったのは、まずは不足していた情報のせいだ(停電のせいで、地元の人たちだけが仙台湾に向って沖合から大津波が進んでいる自衛隊機からの実況映像を見れなかった)。

気象庁のサイトの「各種データ・資料」のページには詳細な普通の人には手に余る情報が載っている。

気象庁が発表する高度な情報と住民との間をとりもつのが、われわれ気象予報士・防災士の役割だ。

わが勤務先の大学は震災後、防災の授業「安全学」を立ち上げ、先週の土曜に私も防災情報の活用の講義をしてきた。

日本は治安はいいほうだが、自然災害の頻度は世界的にも多い。
そういう国に生きているからこそ、自分と家族の命を守るために、防災情報のリテラシーを高めてほしい。
その役に立てるよう、講義以外でも情報発信していきたい。