今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

比企の小倉城・青山城巡り

2018年04月14日 | 城巡り

新年度になって初の帰京。
今週から幼稚園に通い出した3歳の姪が、私の帰省を待ちわびていた。
私に「高い高い」をせがむので、重くなった姪を高だかと持ち上げる(そろそろ限界)。
それはいいのだが、女の子の人形遊びの相手をさせられるのはいささか閉口。

さて本題。
帰省したらゆっくり休みたい一方、なまった体を絞りたい。
日曜は雨らしいので、土曜に寝坊をしないで、比企(埼玉県の中西部)の山城巡り第二弾を敢行。

前回は菅谷城跡と杉山城だったので、今回は残りの小倉(オグラ)城跡と青山城跡だ(以後、〜城)。
どちらも駅から遠く、真に山の中の城でしかもその間は長い尾根歩き。
なので城巡りとハイキングの併用となる。 

小倉城に最寄のバス停(田黒)を通るバスの便は週末・休日は本数が少なく、
その便に合せるため、池袋9:30の小川町行きの東武東上線に乗る。

武蔵嵐山駅付近には店がなくバスの待ち時間もないので、東上線が川越を過ぎて、田園風景になり、
また車内の客がまばらになったのを見計らって、コンビニで買ってきた朝食用のおにぎりを頬張る
(京王線で高尾山に行く時もこんな感じ)。

武蔵嵐山駅前から予定していたコミュニティ・バスに乗り、「田黒」で降りて、のどかな風景の中、小倉城に向う。
城の東麓にある大福寺(城見学用の駐車場がある)付近は、新緑に覆われた周囲の大平山(179m)、正山(169m)がいい感じで眺められ、この地に「武蔵嵐山」の名称が与えられたのもうなずける(写真は大平山)。

さて、大福寺の右裏手から山に入る(登り口に城の案内パンフがある)。
小倉城のある山は郭(くるわ)1(本郭)のある最高点で136mなので、ほどなく郭が並ぶ尾根筋に出るが、その手前左の踏跡に入ると、郭の側壁を構成するこの城特有の緑泥片岩を板状に重ねた石垣をずっと眺められる。

この石(鉱物)は中世の武蔵一帯に拡がった板碑の材料で、まさに板状に剝がれるので、それを積み重ねたこの地固有の石積み法だ。
その特徴もあり、杉山城などともに国指定史跡になっている。

升形の虎口(こぐち)を登ると平らな頂上の郭1 に達する。
土塁上の木が伐採されて、城があった頃の遠望が得られる 。

山城巡りの醍醐味はここから始まる。
すなわち、正規の道を外れて、かすなか踏跡をみつけて、
縄張り全体、すなわち他の郭、堀切、切岸(この城はここが石積みになっている)見て回る。
山城の縄張りにまで興味ない頃は、本郭に達した(たいていそこに記念碑がある)だけで、その城を訪れた事にしていた。
小倉城では、郭1の南東に延びる郭3の切岸を構成している石積みが 間近に見れていい(写真。ただし正に人を寄せ付けないための石垣なので、滑落に注意。と経験者は語る)。

さて、小倉城だけなら、もっと遅い出発でもよかった。
これから尾根伝いに青山城に行き、さらにその先の小川町まで歩かねばならない。

尾根伝いといっても標高300m未満なので、距離があってもスタスタ歩ける(念のため左膝はZAMSTで保護)。

物見山(286m)を経て、大日山から北に方向転換し、やがて尾根上の平地である青山城に達する。
ここの本郭手前に小倉城と同じ石積みがある。
ただし石垣の規模に雲泥の差があるためか、この城は小川町指定史跡に留まっている。
青山城の郭1で右折して、郭3の堀切を抜けて、またUターンする感じで尾根を進むと、
尾根上の最高地点である仙元山(299m)に達する。
私の腹あたりが標高300mだ。 
眼下に小川町の町並みが見える。 

ここから小川町に下り、あとは街中を抜けて小川町駅に達する。
到着は14時45分。
田黒のバス停からおよそ4時間。
歩数計では歩行距離15kmに達した。 

小川町は埼玉の小京都といわれ、街中に古い木造建築が点在して、いい風情。
それに複数の地酒の蔵元がある。
なので、小川町駅から帰る時は、駅前のスーパーで地酒を買って帰る
(棚に300mlの小瓶が並んでいるので持帰り用に複数買えるのが嬉しい)。