斎藤英喜『読み替えられた日本神話』(講談社現代新書、2006年12月)
普通日本神話と言えば『古事記』に描かれているオオクニヌシやヤマトタケルなどの物語を思い浮かべますが、この本では中世に語られた神話群の紹介に多くの紙幅を割いています。
平安時代には主に『日本書紀』がスタンダードなテキストとされ、『古事記』は『日本書紀』の副読本のひとつという扱いでしかなかった。そして中世に入ると僧侶や神官によって『日本書紀』の独自の解釈や改変がなされ、アマテラスが第六天魔王と対峙したり、安徳天皇がヤマタノオロチの化身とされたり、イザナギ・イザナミに捨てられたヒルコがその後エビスとなったというような、我々がイメージする神話とはまるで異なった物語世界、いわゆる「中世日本紀」が生み出された。
江戸時代の本居宣長に至ってようやく『古事記』が脚光を浴びるが、彼の研究も中世以来の神話学から断絶したものではなく、むしろ中世からの連続性が見て取れる。
……以上が本書の要旨です。この他近現代の神話研究(というかその時代その時代の神話の読み替えられ方)についても言及していますが、宮崎駿の作品の分析なんかは正直蛇足だと思いました(^^;)
普通日本神話と言えば『古事記』に描かれているオオクニヌシやヤマトタケルなどの物語を思い浮かべますが、この本では中世に語られた神話群の紹介に多くの紙幅を割いています。
平安時代には主に『日本書紀』がスタンダードなテキストとされ、『古事記』は『日本書紀』の副読本のひとつという扱いでしかなかった。そして中世に入ると僧侶や神官によって『日本書紀』の独自の解釈や改変がなされ、アマテラスが第六天魔王と対峙したり、安徳天皇がヤマタノオロチの化身とされたり、イザナギ・イザナミに捨てられたヒルコがその後エビスとなったというような、我々がイメージする神話とはまるで異なった物語世界、いわゆる「中世日本紀」が生み出された。
江戸時代の本居宣長に至ってようやく『古事記』が脚光を浴びるが、彼の研究も中世以来の神話学から断絶したものではなく、むしろ中世からの連続性が見て取れる。
……以上が本書の要旨です。この他近現代の神話研究(というかその時代その時代の神話の読み替えられ方)についても言及していますが、宮崎駿の作品の分析なんかは正直蛇足だと思いました(^^;)
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