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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

避暑山荘へ

2009年08月07日 | 留学
長春に戻って1週間。同学と連絡を取ったところ、大学院の講義は昨年と同じく9月より開始とのこと。で、あまりのヒマさにブチ切れたので、8月20日から25日まで北京経由で河北省承徳の避暑山荘に行くことにしました。避暑山荘というのは清朝皇帝の避暑地で、よく清朝物の宮廷ドラマの舞台となる場所ですね(^^;) 承徳という地名も古名の「熱河」の方が通りがいいかもしれません。

承徳では2泊して避暑山荘のほか外八廟を見てくる予定です。後は北京ということになりますが、恒例の本屋めぐりのほか、出来れば日帰りで秦皇島に出向き、山海関や万里の長城の東端で渤海に突き出た老龍頭を見学したいなと。

秦皇島行きの切符が確保出来ないようなら、目も当てられないほどピカピカに生まれ変わったと評判の国子監や孔子廟、あるいは今まで行ったことのない天壇公園、去年の秋に入り損ねた故宮の武英殿(『地球の歩き方 北京 09~10年版』によると、展示物の運搬などで閉館となることもあるとのよし……)、新たに一般公開されたらしい文華殿などを見て来ようかと思います。

緑豆餅とアニメ『三国演義』と

2009年08月04日 | 留学
今日街中に出て、たまたま君子蘭さんイチ押しの緑豆餅の店を発見。早速買ってみました。外側がクロワッサン状になっていてパリパリと香ばしく、中は緑豆の餡が詰まってます。小豆の餡よりあっさりしてますね。大変おいしくいただきました。ただ、箱入りのものが無いので、というか焼きたてホカホカのものが一番おいしいので、旅行のお土産には向いてませんね(^^;)

今日私が行ったのは長春の桂林路バス停付近にある支店ですが、人民広場の近辺に本店があるとのこと。

で、アニメ『三国演義』ですが、このまま第1話の超速展開が続いたらどうしようと思っていたら、第2話以降はちゃんと普通の速度になって一安心です(^^;) 本日放映の第4話で劉備が呂布に徐州を乗っ取られるあたりまで進みました。

清華簡と長春帰還と

2009年07月30日 | 留学
長春への帰還が明日へと迫る中、ネットサーフしていて以前こちらでも紹介した清華大学蔵戦国竹簡の『保訓』が『文物』最新号(2009年第6期)で紹介されていることが判明。母校の図書館でチェックして来ました。やっぱり図録が出る前に単品で紹介されましたなあ(^^;) 当該誌には釈文と竹簡の写真及び李学勤氏による解説が掲載されています。

で、長春への帰還ですが、日本に帰って来るなりずっとバタバタし通しだったこともあって、滞在期間をもう少し延ばしても良かったなあと…… あと、今回は幇会関係の皆様とお会いできなかったのが心残りです。また冬に帰国したおりにお会いしましょう!

旧満州国建築 その3

2009年07月08日 | 留学
今回は人民広場・人民大街周辺を回ってみました。



まずは旧満州国中央銀行跡。現在は中国人民銀行となってます。



そして関東軍司令部跡。こ、これはどう見ても天守閣っ…… 中国に日本式の城がっ……!!今まで車窓から眺めるたびに思ってましたが、はっきり言ってカッコいいです(^^;) 



ついでに遠景も載っけておきます。ちなみに現在は中国共産党吉林省委員会の建物となっています。旧関東軍からすると一番入ってもらいたくない連中に母屋を取られたということになるんでしょうが、あるいはこれは壮大な歴史の罰ゲームなのかもしれません(^^;)



こちらは吉林大学前衛校区(吉大北校)。かつては吉林大学の本部が置かれていましたが、現在は本部機能は南校区(吉大南校)に移され、学部の多くもそちらに移転しています。



そしてその前衛校区内に位置する牡丹園の中にあるのが、神武殿跡。現在は吉林大学の礼堂として使用されているとのことですが、何かよく見ると屋根に草が生えてるんですけど…… あと、ここで結婚式も出来るみたいで、ウェディングドレスを着た花嫁さんが新郎と歩いてました(^^;)

旧満州国建築その2

2009年07月04日 | 留学
おとといのリベンジということで、自由大路沿いの旧満州国関係の建築を見て来ました。まずは新民広場に接する旧満州国総合法衙跡。現在は人民解放軍の第四六一医院となっています。



で、お次はその隣の旧興農部跡ですが……



何か見るからに新しい(^^;) 解説書によると、元々2階建ての建築だったのが、現在は元の基礎を生かしたうえで5階建て(一部6階建て)の建物として建て直し、東北師範大学附属中学として使用されているとのこと。当時の写真が手元に無いのでアレなんですが、取り敢えず上の写真に写っているあたりは元の面影を留めている模様。

そして更にその隣にある旧文教部跡ですが……



もう面影がどうとかいうレベルじゃねえ!(^^;) 元の建物は完全に撤去されてしまい、現在は東北師範大学附属小学となっているとのこと。

リベンジと言いつつ何とも残念な結果になってしまいましたが、ついでに紅旗街沿いの旧満州国時代に敷設された路面電車の線路の写真もアップしておきます。


歯医者続報&旧満州国建築

2009年07月02日 | 留学
歯医者の治療代払い戻しの件ですが、今日事務室に問い合わせに行ったら、「結局ダメだった。そもそも歯科・眼科・産婦人科での治療費は保険の対象にならないみたい」とのこと。ああ……(;´д⊂)  

で、今学期の講義も既に終了し、ビザの延長も無事完了したということでだいぶヒマになったので、旧満州国関係の建築を見に行ってみることにしました。本当は去年の夏ぐらいに見に行こうかと思っていたんですが、こちらに着いて早々に風邪で寝込んだり、そうこうしているうちに授業が始まったり、寒くなって遠出をする気がなくなったりで、延び延びになっていたんですよね(^^;)

今回は新民大街から文化広場までを散策してみました。



まずは旧満州国交通部跡。現在は吉林大学公共衛生学院となっています。(「学院」は日本でいう「学部」のこと。)



同じく司法部跡。現在は吉林大学白求恩(ベチューン)医学院。



経済部跡。現在は吉林大学第三医院(通称吉大三院)となっています。



軍事部跡。現在は吉林大学第一医院(通称吉大一院)。実は去年の夏に風邪をひいた時に連れて行ってもらった病院です。



国務院跡。日本の国会議事堂をベースに設計されたとのこと。ちなみに建物の前には下の写真のごとくベチューンの像が安置されています。



ノーマン・ベチューンはカナダ人の医師ですが、東洋医学を学ぶべく中国に到来。長白山に隠棲する名医のもとで修行に励みつつ、朝鮮人参などの薬材を収拾。彼と東北地方との縁はこれより始まります。「白求恩」という中国名もこの名医より授かったものです。で、満洲事変勃発後は東北を脱出して中国共産党に身を投じ、毛沢東の長征にも同行して多くの人命を救います。これにより彼は「神医」と呼ばれることに。しかし延安を目前にして毛沢東が国民党側に雇われた四川唐門の使い手の暗器によって重態となります。ベチューンは何とか毛沢東の体から毒を取り除いたものの、彼自身が毒に冒されて帰らぬ人に。毛沢東は感謝の意を込めて終生「神医白求恩」を顕彰することとなったのでありました。

彼は死後、延安周辺及び東北地方において神として祀られることになりましたが、不治の病に冒された者が一心に祈り続けたところ、一夜にして病が癒えたといった霊験が見られ、そのため解放後に東北地方の病院ではロビーにベチューン像が置かれたり、ベチューン廟が併設されるのが常となりました。現在では扁鵲・華陀とともに中国三大医神の1人とされています……

すんません、上の記述は真っ赤なウソです(^^;) ベチューンの本当の略歴はWikipediaの記述でも参照してください。ベチューンが長春とどういう縁があるのかもよく分かりません……



新民大街の北端文化広場にあるのが地質宮。溥儀の宮殿として建築が開始されたものの、太平洋戦争の勃発により建設が中断されてしまったとのこと。で、溥儀は結局街外れの不便な所にある偽皇宮に終戦まで住まわされることになったわけですね(^^;)



その地質宮の前にある変なモニュメント。観光地に行くたびに思うのですが、こういうモニュメントを作らないという選択は無いのでしょうか……

帰宅後に地図を見てみたら、新民広場に接する自由広場にも3つほど旧満州国関係の建築があることが判明(-_-;) こちらの方はまた今度ということにしますか。

夏の帰国

2009年06月25日 | 留学
留学延長の目途が立ったということで、一時帰国のチケットを確保しました。7月10日に帰国し、7月31日に長春へと戻る予定です。

先日紹介した長春-大阪便で帰ることにしました。で、チケットを取って分かったのですが、まず発着時間が長春からの便が7:40~13:30、大阪からの便が14:30~18:15と、大阪での発着時間がそれぞれ1時間ずつ遅れてます。先日新聞で見たのは発着とも中国時間での表記だったようです。何でこんな訳の分からんことを……(-_-;)

そんでフライト時間が5時間前後となると、ひょっとして直行便ではなく経由便では?と思って検索をかけてみると…… 予測は当たってました。下のサイトによると行き帰りとも大連経由です。

参考:中国南方航空 「大阪-長春線 新規就航のお知らせ」

何かこれを見ると既存の大阪-大連便の行き先に長春を加えたというだけという感じですね。トホホ……

留学期間延長

2009年06月23日 | 留学
昨日、かねてから希望していた留学期間の延長が許可されたという連絡が届いたので、今日早速ビザと居留許可の延長手続きのため公安局に行って来ました。公安局はいつ行っても混み混みというイメージがあったのですが、新学期のシーズンではないせいかそんなに混んでなかったですね。一週間後にまた更新済みのパスポートを取りに行かなければなりませんが、手続きがうまく行けば来年の1月までこちらに居れる予定です。

それと歯医者の治療代払い戻しの件ですが、先週領収書を事務室に持って行ったら「医療保険は基本的に大学附属病院しか適用されないんだよ。だからたぶんムリだと思うけど、一応預かっておくよ。」とか言われました。そういう大事なことは最初に言って下さい(;´д⊂)  また払い戻し可かどうか分かったら電話すると言ってましたが、未だに連絡がありません。今日延長手続きの件で事務室に行った時についでに聞けば良かったですね……

今学期受けた講義

2009年06月20日 | 留学
昨日で今学期の講義がすべて終了。ということで今回も受講した講義をアップしておくことにします。まずは古文字関係の科目から。

戦国文字研究
戦国金文・印璽などの資料をPower Pointでひたすら紹介していく。モニターを使った講義は外国人にとってはありがたいところ。

甲骨文字研究
『甲骨文合集』所収の甲骨文を賓組・出組など黄天樹の分組・分類に沿って講読していく。途中で分組・分類の解説や重要論文の講読を挿入。

古文字方法研究論
4人の教員によるリレー講義。各教員が研究における電脳の利用、音韻学と通仮、論文の構成と書き方、主要工具書の紹介といったテーマで講義。ここ2~3年ぐらいで新しく開講された科目らしい。日本語で説明されても分からなかった音韻学が中国語で説明されてある程度飲み込めたのは良い思い出(^^;)

古文字研究論著導読
ようするに博士課程の演習科目。毎回2人程度の院生が研究発表。私も1度発表しました。

以下は考古系開講の科目。

夏商周考古
『中国考古学 夏商巻』『同 両周巻』をテキストに夏商周三代の主要な遺跡について紹介・討論。発掘の成果を文献資料の枠組みの中でしか解釈しようとしない、政治・制度に関するものにしか触れないといった、中国考古学・先秦史の悪い面がモロに出ている講義でした(^^;)

両周考古文献学(仮)
(仮)としているのは、知り合いに誘われて正式な科目名が分からないまま受講していたため(^^;) 『詩経』『礼記』『逸周書』などの古文献から考古学・古文字学に関わる部分を紹介・講読。当世の信古的な研究に批判的で、先学期受けた「金文研究」とともに吉大で受けた中で最も面白かった講義。