極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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まだまだ続く、慰安婦問題

2017-10-06 15:50:10 | 日韓

以下文は、1年前の少し古い資料です。今も韓国内では毎日と言っていい位、慰安婦問題を取り上げています。

これまでのように韓国に対しても日本の性善説、慰安婦問題対応は改めるべきです。私が精査した、下記記事の吉田清冶氏の人物像では経歴、学歴等々はあまりにも嘘が多く、記することが出来ない位です。

 

参考文

「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」 

慰安婦問題を作った男「吉田清治」の長男が語る

韓国・北朝鮮、「新潮45」 2016年9月号

うんざりする慰安婦問題・・・「新潮45」・2016年9月号は興味ある内容の記事が書いてありました。この記事を記載した「新潮45」とは、どんな雑誌か・・・昨年から不思議と表に出てこないこの記事内容

「新潮45」とは・・・「新潮45」の創刊は、1982年3月で、創刊当初は、「新潮45+」(シンチョウ・ヨンジュウゴ・プラス)という誌名で、45才以上の中高年層を読者対象に想定した雑誌でした。新潮社にとっては初の総合雑誌への挑戦だったそうです。 3年後の1985年より、+が取れて、現在の新潮45に変わっています。内容も、日記と伝記を軸にした新たな教養雑誌へとリニューアルしています。以来、その時々の編集部の方針によってノンフィクションや事件への志向が強まったり、独自の言論に力点を置いたり、誌面は変わり続けていますが、内容には信頼、信憑性が高いと言われています。

 

父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様にたいへん申し訳なく思っております…と吉田清治氏の長男は語り始めました。(新潮45 2016年9月号)

慰安婦問題をめぐっては、数年前に朝日新聞が、過去の記事を撤回したことが記憶に新しいと思います。

 

1983年、吉田清冶氏(福岡県芦屋町出身となっています。2000年7月死亡、本名・吉田雄兎・・・韓国出身)が「私の戦争犯罪、朝鮮人強制連行」という本を出版されました。内容は、私は日本軍の命令によって、朝鮮人女性205人を強制連行して従軍慰安婦にしたと言う告白内容です。

 

以後、著書等を朝日新聞がこれを大々的に取り上げて、従軍慰安婦の話が本当のように広まってしまいました。以後、朝日新聞は徹底的に慰安婦の話を取り上げ、真実のようにすり替えました。これが従軍慰安婦問題に発端です!
以前は、従軍慰安婦などという話はありませんでした。勿論、韓国側からも出たこともなく、日本側にもありませんでした。

 

慰安婦問題の全ては、吉田清冶氏の著書が問題の始まりです! 

週刊新潮(1996年5月号)で、吉田清冶氏の話はまったくの作り話で嘘であることが判明しました。

勿論、吉田清冶氏自身も嘘と認めましたが、謝ることはありませんでした。
不幸にも、1989年には韓国語に訳され真実のように語られました。今もこの記事は英訳でも出版され、一人歩きしています。両国の不幸の始まりです。

吉田清冶氏の内容にある、韓国人女性たちを強制連行したという韓国の済州島ではあまりの内容に疑問を持った人が多くいたそうです。

以後、済州新聞が詳しく調査等した結果、吉田清次氏の本は作り話であるという記事を発表しましたが、何故か日本では報道されませんでした。

新聞記事には、250余りの家しかない村で15人も徴用したとすれば大変な大事件だけれども当時そんなことはなかった!当時の新聞には多くの村人の証言などが載せられています。

日本の現代史家の秦郁彦氏も、自身が済州島に渡っていろいろ調べられ、雑誌の正論(1992年6月号)に発表、吉田清冶氏の作り話であることが証明されました。

吉田清冶氏自身、週刊新潮(1996年5月号)で、作り話だったと告白しましたが・・・謝ることもなく、本に真実を書いても何の利益にもならない!

新聞だってやることじゃないか!と発言・・・この開き直った姿勢、びっくり仰天してしまいます!

 

1981年から30年以上がが経過しました・・・

新潮45、2016年・9月号に掲載の吉田清治の長男、衝撃の告白

「慰安婦像をクレーン車で撤去したい。」

慰安婦問題を作った男の肖像では、ジャーナリストの大高未貴(おおたか・みき)氏が実像に迫っています。

大高未貴氏は1969年生まれで、フェリス女学院大学卒業、以降世界70カ国以上を訪問、インドではチベット亡命政権のダライラマ14世、カルマパ17世、パレスチナガザ地区では、PLOのアラファト議長などにインタビューし、1995年国際情報誌サピオでデビュー、講演活動のほか、2004年8月15日からは日本文化チャンネル桜でキャスターも務めています。韓国では嫌日本人の一人とも言われています。週刊文春、正論、夕刊フジ等にも記事を寄稿、TVでは、朝まで生テレビ、たかじんのそこまで言って委員会、激論コロシアム、チャンネル桜等に出ています。

 

清治氏の長男へのインタビューです。

済州島には行っていません!

父が犯した慰安婦強制連行の捏造について吉田家の長男として、日本の皆様にたいへん申し訳なく思っております。できることなら、世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい!

私自身、なぜ父があんなことをしたのか知りたい!

清治氏は2000年7月に死去するが、それまでずっと一緒に暮らしていたのが、この長男です。66歳になるこの長男に、大高氏は貴重な話を聞きました。

清治氏は、朝鮮独立運動の首領で日本民間人を殺害した金九を輸送したかどで憲兵に逮捕、(軍法会議で懲役2年の刑)1942年6月に諫早刑務所での服役後に、山口県労務報国会下関支部の動員部長として済州島に赴き、軍の命令で朝鮮人女性を強制連行し慰安婦にしたということになっています。

長男が驚くべき証言をします。

父は済州島には行っていません!

それは父から聞いています。

それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました。

ではなぜあれほど克明に書けたのか?

材料はなかったはずです。ですからそれは、出版社や周りにいた人たちに発言をしていただきたいんです。

原稿とは、済州島での慰安婦狩りを詳細に綴った、1983年出版の私の戦争犯罪のことです。

清治氏が済州島に行っていないとすれば、慰安婦狩りに携わったという証言が捏造です。大高氏は、当時の担当編集者にも接触し、話を聞いています。

 

服役後に労務報国会に所属の経歴についても、出所直後に半官半民団体に入る不自然さが指摘されており、清治氏が本当に在籍していたかどうかの証拠も見つかっていないようです。

これは長男によると終戦時、父は労務報国会で物資の管理をしていたそうです。だから戦後、その物資を自由に隠匿できた、そこにあった配給の余りものの肥料を隠匿して下関肥料という会社を作った・・・一時はもうかったようです。ただ父は商売の経験がない。どんぶり勘定であっと言う間に倒産してしまいました。労務報国会に在籍し、それを元手に下関肥料株式会社を戦後に経営していたというのです。

韓国・北朝鮮、新潮45 2016年9月号の18ページにわたる特集では、このほかにも朝鮮半島の、ある組織と活動していたとする清治氏のエピソードなどが明かされています。本記事は貴重な資料でしたが、何故か国内のニュースになることはありません。

慰安婦問題に対しては、孫子の兵法のような凛とした姿勢、態度等で日本は対応することが必要と思います。

私達日本人一人々が、慰安婦問題を公正に、正しく理解しすることは極めて大切だと思います。このままでは永遠に韓国側は、凝りもせずに慰安婦問題を盾に対日外交を行うでしょう。

 


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