http://www.asahi.com/edu/news/TKY200610280182.html
高校卒業に必要な科目の履修漏れは、本格的な受験シーズンを間近に控えた高校3年生に大きな負担を強いる。補習や授業時間の組み替えで、これから受験科目以外の授業が増えることになった生徒たちからは怒り、戸惑い、不安、あきらめの声があがる。
宮崎県の県立宮崎大宮では世界史と日本史で履修漏れが発覚した。26日、3年生約350人を体育館に集めて校長が履修漏れについて説明すると、「エーッ」とざわめきが起きた。女子生徒は「私は受験科目が日本史。(未履修の)世界史は正直いらない。とにかく不安だ。土日も補習になれば(受験に)必要な教科の勉強ができない。どうしてちゃんと調べてカリキュラムを組んでくれなかったのか……」と憤る。
(以下略)
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最近は仕事がまた忙しくなって、家に帰るのは連日10時過ぎである。疲れ果てて帰っても、妻が夕食を作って待ってくれている、というのは嬉しいことだ。しかし家でもいろいろと忙しく、ブログを更新する時間もないことは、残念きわまりない。おかげで更新がかなり遅れてしまった。
それはともかく、日本中で多くの高校が、世界史を教えていなかったらしい。世界史もずいぶんと軽視されたものである。受験体制を重視したためらしいが、学校は受験のためにあるのではない。これでは予備校と変わらんではないか。教育者自ら、受験さえ重視すればよいと言うのなら、生徒は全員学校を辞めさせて、有名予備校にでも通わせればいい、ということになる。
私は文系だったが、世界史はあんまり得意ではなかった。「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」とか、「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」とか、「ウンキャル・スケレッシ条約」とか、よく分からんカタカナを必死で覚えようとしても、すぐに忘れてしまった。しかし今から思えば、人の名前やら事件やらを暗記するだけで、それらの人や事件が歴史においてどのような意味を持つのか、あまり考えていなかったように思う。教師の教え方も、暗記を重視するようなやり方だった。しかし歴史を学ぶ上で重要なのは暗記ではなく、それが現代とどう繋がっており、今を生きる我々にとってどんな意味があるか、を理解することではないか。私は国際政治に関心が強いが、やはり現代の国際社会を理解するうえで、歴史の知識は絶対に外せない。刻々と変化を続ける今の世界も、あくまでも歴史の上に立っているのである。そういうわけで、高校時代に世界史を学び、理解することは非常に重要であるはずだ。日本史なら中学校である程度学べるが、世界史は高校だけである。
私は世界史であれば、古代や中世などより、近現代史をもっと重点的に学ぶべきだと思っている。特に19世紀に入ってからの歴史は、人類が引き起こす事件もグローバルになり、多くの国が関わるようになる。現代世界の成り立ちと直接つながっているのも、いうまでもなく近現代史である。中でも、後回しになって省略されがちな第二次世界大戦など、必修中の必修ではないか。
お忙しくされているようで何よりです。
くれぐれも、お体をご自愛ください。
さて、学校での歴史教育なんですが小生は受験よりもしっかりとした歴史教育を行うほうが重要ではないのではないかと思います。willowさんも言われるように、近代史を一番に世界史・日本史をしっかり教えることが重要だと思います。
ともあれ、今回の問題は生徒には必ずしも生徒には責任があるとはいえません。そのあたり何とか配慮ができないものかと思いますが・・・。
それではまた。
経理係長さん> 本当に哲学書を読んでいたのかどうか分かりませんが、やけに哲人ぶる奴はいましたよ。(^^) 同級生からは変人扱いでしたが。
カテキンさん> その通りですね。人間は生涯を通じて学んでいくものです。私も今になって、歴史を勉強したくなりました。
ハチローさん> ええ、妻には本当に感謝しています。最近は家に帰ることが本当に楽しみですね。
ないちょさん> お久しぶりですね。おっしゃる通り、生徒には責任がありません。何とかして卒業させてやるべきです。