これもずいぶん「今さら」な話題だが、先日、この2人がテレビ番組で対談した内容をまとめたサイトを見つけたので、読んでみた。キャリア志向の女性のモデルともいえる勝間和代と、2ちゃんねるを創設しMr.インターネットとも呼ばれるひろゆきとの対談は、笑えるほどまったくかみ合わないものであった。決して討論番組ではなかったはずなのに、「対談」でこれほどひどい結果になることも珍しい。(^^)
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503
誰と話すときも常に強気な印象がある勝間和代だが、この「対談」ではひろゆきにコテンパンに叩きのめされてしまった感がある。正直言って私は勝間をあまり好ましく思っていないので、爽快な気分になった。(^^) 妻も勝間については「あの人の一方的なしゃべり方、なんか苦手」と言っていた。私も同感である。
勝間和代は対談の最後の方で、「なんか、すごくね、今日ね、すごくね、私ね、いろんな人とさんざん対談してきたんですけど、はっきり言って、のべ多分100人くらいの中で一番やりにくかったんです。」なんてことを言っていた。そりゃそうだろう。今までの相手は誰もが勝間のペースに乗せられ、彼女と同じ土台の上に乗って話さざるをえなかったのだと思われるが、ひろゆきはガンとしてそれを拒み、絶対に同じ土台には乗ろうとしなかったのだ。だから、まるっきり噛み合わない対談になってしまった。こんなことができる男は、ひろゆきぐらいしかいないのではないか。
ひろゆきも寝起きで機嫌が悪かったそうで、いくら自分がゲストとはいえ年上に対してああいう話し方はないんじゃないの、と思った。もしかして以前から勝間が嫌いだったのかもしれない。私のように。
この二人の対決については、村上龍が編集しているメルマガ「Japan Mail Media」で、面白い記事が載っていた。冷泉彰彦というアメリカ在住の作家が、現地アメリカからの視点で日本の出来事について語る、というものである。長いが、これをぜひ読んでもらいたい。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_2032.html
つまり、日本語の問題だというのだ。重要な部分のみ抜粋すると、「日本語というのは、人間関係の調和が前提となってできている言語です。・・・こうした日本語会話の特質には、相手への明確な反論や、前提への懐疑というのはなかなか馴染みません。それをポンポンとやってしまうと、本人が思う以上の暴力的な権力行使として相手には受け取られてしまうのです。・・・日本語というのは、余程注意しておかないと、会話によってどうしても上下関係を規定してしまうのです。」ということだそうだ。
そう考えると、韓国語も似たような性質を持つ。日本や韓国のネット掲示板などが荒れやすいのも、使ってる言葉が問題だったのかもしれない。